どうあん 道安 (312-385) 東晋時代に活躍した僧。 常山扶柳 (河北省冀州西南) の人。 仏弟子は釈尊の弟子であるから 「釈」 を姓とすべきであるとし 「釈道安」 と名乗った。 仏図澄 (232-348) に師事し、 のち襄陽の檀渓寺に住して慧遠等500人の門下とともに仏法を宣布した。 晩年は長安で過ごし、 前秦王の符堅に鳩摩羅什の招聘を進言したが、 自らは会うことなく没した。 格義仏教を批判し中国仏教発展の基礎を固めた。 ¬綜理衆経目録¼ (¬道安録¼) を編纂し、 経典翻訳が正しく行われるための原則ともいうべき 「五失本・三不易」 という翻訳論を確立した。 また、 一経典を序・正・流通の3段に分ける 「一経三段 (三分科)」 の創唱者であるともいわれる。 ¬浄土論¼ を著したと伝えられるが現存しない。