だいきょういん 大教院 神道国教化政策を推進し教導職を養成・統括するため、 明治初年に設立された中央機関。 明治政府は明治5年 (1872) に三条教則を発布し、 それを国民に徹底するために教導職を置いた。 政府は教導職に神官だけでなく僧侶も任用して仏教の統制を図り、 三条教則を骨子としない布教を禁止した。 大教院はこうした政策のもとで設立され、 神仏合同ながら、 神道が支配的な力を持ち、 僧侶にも神道の儀礼を行うことが求められた。 これに対して本願寺派島地黙雷らが政教分離、 信教の自由を主張して大教院分離を訴え、 明治8年 (1875) に本願寺派、 大谷派高田派木辺派の真宗四派が大教院から分離すると、 その後まもなく大教院そのものが解散した。