(639)、津戸返状 一

津戸つのとの三郎さぶろうへつかはすへん 第三だいさん

御文おんふみくはしくうけたまはりそうらいぬ。

念仏ねんぶつことめしはれそうろうはんには、 なじかはくはしきことをばもうさせたまふべき。 げにもいまだくはしくもならはせたまはぬことにてそうらへば、 専修せんじゅ雑修ざっしゅあいさことはくはしき沙汰さたそうらはずとも、 いかやうなることぞとめしはれそうら0640ゞ、 法門ほうもんのくはしきことはしりそうらはず。

京上きょうじょうときうけたまはりわたりそうらいて、 ひじりのもとへまかりそうらいて、 後世ごせことをばいかがしそうろうべき、 ざいのものなんどのしょうたすかるべきことは、 なにごとそうろうらんとといそうらいしかば、 ひじりもうしそうらいようは、 おほかたしょうをはなるゝみち、 様々さまざまにおほくそうらへども、 そのなかにこのごろのひとしょうをいづるみちは、 極楽ごくらくおうじょうするよりほかには、 ことみちはかなひがたきことなり

これほとけのしゅじょうをすゝめて、 しょうをいださせたまふべきひとつのみちなり

しかるに極楽ごくらくおうじょうするぎょうまた様々さまざまにおほくそうらへども、 そのなかに念仏ねんぶつしておうじょうするよりほかには、 ことぎょうはかなひがたきことにてあるなり

そのゆへは、 念仏ねんぶつはこれ弥陀みだ一切いっさいしゅじょうのためにみづからちかひたまひたりし本願ほんがんぎょうなれば、 おうじょうごうにとりては、 念仏ねんぶつにしくことはなし。 さればおうじょうせんとおもはゞ、 念仏ねんぶつをこそはせめともうしそうらいき。

いかにいはんや、 またさいのものゝ、 法門ほうもんをもしらず、 智慧ちえもなからんものは、 念仏ねんぶつのほかには何事なにごとをしてかおうじょうすべきといふことなし。

われおさなくより法門ほうもんをならひたるものにてあるだにも、 念仏ねんぶつよりほかに何事なにごとをしておうじょうすべしともおぼへず、 たゞ念仏ねんぶつばかりをして、 弥陀みだ本願ほんがんをたのみておうじょうせんとはおもひてあるなり

ましてさいものなんどは、 何事なにごとかあらんともうされしかば、 ふかくそのよしをたのみて、 念仏ねんぶつをば0641つかまつりそうろうなりもうさせたまふべし。 またこの念仏ねんぶつもうことは、 たゞわがこころより弥陀みだ本願ほんがんぎょうなりとさとりてもうすことにもあらず。

とう善導ぜんどうしょうもうしそうらいひとおうじょうぎょうごうにおいて専修せんじゅ雑修ざっしゅもうふたつのぎょうをわかちてすゝめたまへることなり専修せんじゅといふは念仏ねんぶつなり雑修ざっしゅといふは念仏ねんぶつのほかのぎょうなり専修せんじゅのものはひゃくにんひゃくにんながらおうじょうし、 雑修ざっしゅもの千人せんにんが中にわづかにいちにんあるなり

とうまたしんちゅうもうすものこそ、 このむねをしるして ¬専修せんじゅしょうごうもん¼ といふもんをつくりて、 とう諸人しょにんをすゝめたれ。 そのもんは、 じやうせうぼうなんどのもとにはそうろうらん。 それをもちてまいらせそうろふべし。

また専修せんじゅにつきて、 しゅ専修せんじゅ正行しょうぎょうといふことあり。 このしゅ正行しょうぎょうにつきて、 またしょうじょぎょうをわかてり。 しょうごうといふは、 しゅのなかにだい念仏ねんぶつなり助業じょごうといふは、 そのなかのつのぎょうなり

いまけつじょうしてじょうおうじょうせんとおもはゞ、 専雑せんぞうしゅのなかには、 専修せんじゅおしえによりて一向いっこう念仏ねんぶつをすべし。 しょうじょごうのなかには、 しょうごうのすゝめによりて、 ふたごころなくたゞだい称名しょうみょう念仏ねんぶつをすべしともうそうらいしかば、 くはしきむね、 ふかきこころをばしりそうらはず。 さては念仏ねんぶつはめでたきことにこそあるなれとしんそうらいもうしそうろうばかりにそうろう

くだんひと善導ぜんどうしょうもうすひとは、 うちあるひとにもそうらはず、 弥陀みだほとけのしんにておはしましそうろうなれば、 おしへすゝめさせたまはんこと、 よもひ0642ごとにてはそうらはじとふかくしんじて、 念仏ねんぶつはつかまつりそうろうなり

そのつくらせたまいそうろうなるもんども、 おほくそうろうなれども、 もんもしりそうらはぬものにてそうらへば、 たゞこころばかりをきゝそうらいて、 しょうやたすかりそうろうおうじょうやしそうろうとてもうしそうろうほどに、 ちかきものどもうらやみそうらいて、 少々しょうしょうもうすものどもそうろうなりと、 これほどにもうさせたまふべし。

中々なかなかくはしくもうさせそうらはゞ、 あやまちもありなんどして、 あしきこともこそそうらへとおぼへそうろうは、 いかゞそうろうべき。 様々さまざま難答なんとうをしるしてとそうらへども、 ときにのぞみては、 いかなることばどもかそうらはんずらん、 かきてまいらせてそうらはんも、 あしくそうらいぬべくそうろう。 たゞよくよくはからひそうらいて、 早晩そうばんよきやうにこそは、 はからはせたまそうらはめ。

また念仏ねんぶつもうすべからずとおほせられそうろうとも、 おうじょうこころざしあらんひとは、 それによりそうろうまじ。 念仏ねんぶつよくよくもうせとおほせられそうろうとも、 道心どうしんなからんものは、 それによりそうろうまじ。 とにかくにつけても、 このたびおうじょうしなんと、 ひとをばしらずおんにかぎりてはおぼしめすべし。

わざとはるばるとひとあげさせたまひてそうろうこそ、 返々かえすがえすにん便びんそうらへ。 なをなをはれそうらはんときには、 これよりひゃくせんもうしそうらはんことは、 ときにもかなひそうろうまじければ、 やくことにてそうろう。 はからひてよきやうに、 早晩そうばんにしたがひてもうさせたまはんに、 よもひがごとそうらはじ。

しん仮字けじにひろくかきてまいら0643そうらはんは、 もてのほかにひろくもんをつくりそうらはんずることにてそうらへば、 にはかにすべきことにてもそうらはず。 それはまた中々なかなかあしきことにてもそうらいぬべし。 たゞいとさいはしりそうらはず、 これほどにきゝてもうしそうろうなりもうさせたまそうらはんに、 こころそうらはんひとは、 さりともこころそうらひなん。 また道心どうしんなからんひとは、 いかにどうひゃく千万せんまんわかつとも、 よもこころはえそうらはじ。

殿とのどうふかくして、 ひがごとおはしまさぬことにてそうろうもうしあひてそうらへば、 これらほどにきこしめさんに、 念仏ねんぶつひがごとにてありけり。 いまはなもうしそとおほせらるゝことは、 よもそうらはじ。 さらざらんひとは、 いかにもうすともおもうとも、 やくことにてこそそうらはんずれ。

何事なにごと御文おんふみにはつくしがたくそうろう。 あなかしこ、 あなかしこ。

じゅうがつじゅうはちにち

おぼつかなくおもひまいらせつるほどに、 この御文おんふみ返々かえすがえすよろこびうけたまはりそうらひぬ。

さても専修せんじゅ念仏ねんぶつひとは、 よにありがたきことにてそうろうに、 その一国いっこくさんじゅうにんまでそうろうらんこそ、 まめやかにあはれにそうらへ。 きょうへんなんどのつねにききならひ、 かたはらをもならひそうらひぬべきところにてそうろうだにも、 おもひきりて専修せんじゅ念仏ねんぶつをするひとは、 あ0644りがたきことにてこそそうろうに、 どうしゃくぜんの、 へいしゅうもうしそうろうところにこそ、 一向いっこう念仏ねんぶつにてはそうろうに、 専修せんじゅ念仏ねんぶつさんじゅうにんは、 よにありがたくおぼへそうろう

ひとへにおんちから、 またくまがやのにゅうどうなんどのはからひにてこそそうろうなれ。 それもときのいたりて、 おうじょうすべきひとのおほくそうろうべきゆへにこそそうろうなれ。

えんなきことは、 わざとひとのすゝめそうろうだにも、 かなはぬことにてそうろうに、 さいもしらせたまはぬひとなんどの、 おほせられんによるべきことにてもそうらはぬに、 もとよりえん純熟じゅんじゅくして、 ときいたりたることにてそうらへばこそ、 さほど専修せんじゅひとなんどはそうろうらめと、 おしはかりあはれにおぼへそうろう

たゞし无智むちひとにこそ、 えんにしたがひて念仏ねんぶつをばすゝむることにてはあれともうしそうろうなることは、 もろもろの僻事ひがごとにてそうろう弥陀みだほとけのおんちかひには、 有智うち无智むちをもえらばず、 かいかいをもきらはず、 仏前ぶつぜんぶつしゅじょうをもえらばず、 ざいしゅっひとをもき[ら]はず、 念仏ねんぶつおうじょう誓願せいがんびょうどう慈悲じひじゅうしておこしたまひたることにてそうらへば、 ひとをきらふことはまたくそうらはぬなり

されば ¬かんりょう寿じゅきょう¼ には、 「仏心ぶっしんとはだい慈悲じひこれなり」 とときてそうろうなり善導ぜんどうしょうこのもんをうけては、 「このびょうどう慈悲じひをもて、 あまねく一切いっさいせっす」 (定善義) しゃくたまへるなり一切いっさいのことばひろくして、 もるゝひとそうろうべからず。 しゃのすゝめたまうも、 悪人あくにん善人ぜんにんにんもひとしく念仏ねんぶつすれば0645おうじょうすとすゝめたまへるなり

されば念仏ねんぶつおうじょうがんは、 これ弥陀みだ如来にょらいほん誓願せいがんなり。 種々しゅじゅぎょうは、 ほんのちかひにあらず。 しゃ如来にょらい種々しゅじゅえんにしたがひて、 様々さまざまぎょうをとかせたまひたることにてそうらへば、 しゃにいでたまこころは、 弥陀みだ本願ほんがんを[と]かんとおぼしめすおんこころにてそうらへども、 しゅじょうえんひとにしたがひてときたまは、 種々しゅじゅぎょうをもときたまふは、 これずいほうなり、 ぶつの自らのおんこころのそこにはそうらはず。

されば念仏ねんぶつ弥陀みだにもしょう本願ほんがんしゃにもしゅっ本懐ほんかいなり種々しゅじゅぎょうにはそうろうなり。 これは无智むちのものなればといふべからず。

また要文ようもんことかきてまいらせそうろうべし。 またくまがやのにゅうどうふみは、 これへとりよせそうらいてなをすべきことそうらへば、 そのゝちかきてまいらせそうろうべし。

なにごと御文おんふみもうしつくすべくもそうらはず、 のちの便びん又々またまたもうしそうろうべし。

がつ廿にじゅう八日はちにち

まづきこしめすまゝに、 いそぎおほせられてそうろうおんこころざし、 もうしつくしがたくそうろう

このれいならぬことは、 ことがらはむづかしきようそうらへども、 とうだいにて、 今日きょうあす左右さうすべきことにては、 さりながらもそうらはぬに、 としごろのかぜのつもり、 このしょうがつ0646べつ念仏ねんぶつじゅうにちもうしそうらいしに、 いよいよかぜをひきそうらいて、 がつ十日とおかごろより、 すこしくちのかはくようにおぼえそうらいしが、 がつ廿日はつかじゅうにちになりそうらいしかば、 それまでとおもひそうらいて、 なをしゐてそうらいほどに、 そのことがまさりそうらいて、 みずなんどのむことになり、 またのいたくそうろうことなんどのそうらいしが、 今日きょうまでやみもやりそうらはず、 ながびきてそうらへども、 またたゞいまいかなるべしともおぼへぬほどことにてそうろうなり

医師いしだいもうしそうらへば、 やいとうふたゝびし、 にてゆでそうろうまた様々さまざまとうのくすりどもたべなんどしてそうろうにや、 このほどはちりばかりよきようなることそうろうなり

左右さうなくのぼるべきなんどおおせられてそうろうこそ、 よにあはれにそうらへ。 さほどとをくそうろうほどには、 たとひいかなることにても、 のぼりなんとする御事おんことはいかでかそうろうべき。 いづくにても念仏ねんぶつして、 たがひにおうじょうそうらひなんこそ、 めでたくながきはかりことにてはそうらはめ。

何事なにごと御文おんふみにはつくしがたくそうろうまたもうしそうろうべし。

がつ廿にじゅう六日ろくにち

わたくしにいはく、 これはいのちをおしむりょうにはあらず、 おんおだしくして、 念仏ねんぶつもうさせたまはんがためなり。 かんの ¬用心ようじんしょう¼ のおはりをあはすべし。