(617)一、 登山状

登山とうざんじょう 第一だいいち  源空げんくう

それろう三界さんがいのうち、 いづれのかいにおもむきてか、 しゃくそんしゅっにあはざりし。 りんしょうのあひだ、 いづれのしょうをうけてか、 如来にょらい説法せっぽうをきかざりし。 ごん開講かいこうのむしろにもまじはらず、 般若はんにゃ演説えんぜつにもつらならず、 鷲峯じゅほう説法せっぽうのにわにものぞまず、 鶴林こうりんはんのみぎりにもいたらず。

われしゃ三億さんおくいえにややどりけん、 しら0618ごく八熱はちねつのそこにやすみけん。 はづべしはづべし、 かなしむべしかなしむべし。

まさにいましょう曠劫こうごうをへて、 むまれがたき人界にんがいにむまれて、 りょうこうをおくりて、 あひがたきぶっきょうにあへり。 しゃくそんざいにあはざることは、 かなしみなりといへども、 きょうぼう流布るふにあふことをえたるは、 これよろこびなり。 たとへばしゐたるかめの、 うきのあなにあへるがごとし。

わがちょう仏法ぶっぽう流布るふせしことも、 欽明きんめい天皇てんのうあめのしたをしろしめして、 じゅう三年さんねんみづのえさるのとし、 ふゆじゅうがつ一日ついたち、 はじめて仏法ぶっぽうわたりたまひし。 それよりさきには如来にょらいきょうぼう流布るふせざりしかば、 だいかくいまだきかず。

こゝにわれら、 いかなる宿しゅくえんにこたへ、 いかなる善業ぜんごうによりてか、 仏法ぶっぽう流布るふときにむまれて、 しょうだつのみちをきくことをえたる。 しかるをいまあひがたくしてあふことをえたり。 いたづらにあかしくらして、 やみなんこそかなしけれ。

あるいは金谷きんこくはなをもてあそびて、 遅々ちちたるはるをむなしくくらし、 あるいは南楼なんろうつきをあざけりて、 縵々まんまんたるあきをいたづらにあかす。 あるいはせんくもにはせて、 やまのかせぎをとりてとしをおくり、 あるいはばんのなみにうかびて、 うみのいろくづをとりてをかさね、 あるいは極寒ごくかんにこほりをしのぎて、 世路せろをわたり、 あるいは炎天えんてんにあせをのごひて、 ようをもとめ、 あるいはさい眷属けんぞく0619まとはれて、 恩愛おんないのきづなきりがたし。 あるいはしゅうてき怨類おんるいにあひて、 しんのほむらやむことなし。

そうじてかくのごとくして、 ちゅうちょう行住ぎょうじゅう坐臥ざがときとしてやむことなし。 たゞほしきまゝに、 あくまでさん八難はちなんごうをかさぬ。 しかれば、 あるもんには 「一人いちにん一日いちにちちゅう八億はちおくせんねん念念ねんねんちゅうしょかいさんごう」 といへり。 かくのごとくして、 昨日きのうもいたづらにくれぬ、 今日きょうまたむなしくあけぬ。 いまいくたびかくらし、 いくたびかあかさんとする。

それあしたにひらくるえいは、 ゆふべのかぜにちりやすく、 ゆふべにむすぶみょうは、 あしたのにきへやすし。 これをしらずしてつねにさかへんことをおもひ、 これをさとらずしてつねにあらんことをおもふ。

しかるあひだ、 じょうかぜひとたびふけば、 有為ういのつゆながくきへぬれば、 これをこうにすて、 これをとをきやまにおくる。 かばねはつゐにこけのしたにうづもれ、 たましゐはひとりたびのそらにまよふ。 さい眷属けんぞくいえにあれどもともなはず、 七珍しっちん万宝まんぽうはくらにみてれどもやくなし。 たゞにしたがふものは後悔こうかいのなみだなり

つゐにえんちょうにいたるぬれば、 つみの浅深せんじんをさだめ、 ごう軽重きょうじゅうをかんがへらる。 法王ほうおう罪人ざいにんにとひていはく、 なんぢ仏法ぶっぽう流布るふにむまれて、 なんぞしゅぎょうせずして、 いたづらにかえりきたるや。

そのときには、 われらいかゞこたへんとする。 すみやかに0620しゅつようをもとめて、 むなしくかえことなかれ。

そもそも一代いちだいしょきょうのうち、 けんしゅうみっしゅうだいじょう小乗しょうじょうごんきょうじっきょうはっしゅうにわかれ、 万差まんじゃにつらなりて、 あるいは万法ばんぽう皆空かいくうしゅうをとき、 あるいは諸法しょほう実相じっそうしんをあかし、 あるいはしょう各別かくべつをたて、 あるいはしつぶっしょうだんじ、 宗々しゅうしゅうきょうごくをあらそひ、 各々かくかく甚深じんじんしょうしゅうろんず。

みなこれきょうろんじつなり。 そもそもまた如来にょらい金言きんげんなり。 あるいはをとゝのへてこれをとき、 あるいはときをかゞみてこれをおしへたまへり。 いづれかあさく、 いづれかふかき、 ともに是非ぜひをわきまへがたし。 かれもきょうこれもきょう、 たがひにへんしゅうをいだくことなかれ。

せつのごとくしゅぎょうせば、 みなことごとくしょう過度かどすべし。 ほうのごとくしゅぎょうせば、 ともにおなじくだいしょうとくすべし。 しゅせずしていたづらに是非ぜひろんず、 たとへばしゐたるひとのいろの浅深せんじんろんじ、 みゝしゐたるひとのこゑのこうをいはんがごとし。 たゞすべからくしゅぎょうすべし、 いづれもしょうだつのみちなり

しかるにいま、 かれをがくするひとはこれをそねみ、 これをじゅするひとはかれをそしる。 どんのもの、 これがためにまどひやすく、 浅才せんさい、 これがためにわきまへがたし。 たまたま一法いっぽうにおもむきてこうをつまんとすれば、 すなはちしょしゅうのあらそひたがひにきたる。 ひろく0621しょきょうにわたりてだんぜんとおもへば、 いちのいのちくれやすし。

かの蓬莱ほうらいほうじょうえいしゅうといふなるみつやまにこそ、 不死ふしくすりはありときけ。 かれをぶくしてまれ、 いのちをのべて漸々ぜんぜんならはゞやとおもへども、 たづぬべきかたもおぼへず。 もろこしに、 秦皇しんこうかんときこへしもん、 これをきゝてたづねにつかはしたりしかども、 童男どうなん丱女かんじょ、 ふねのうちにして、 としつきをおくりき。 ほうしちひゃくさいほう、 むかしがたりにて、 いまのときにつたへがたし。

曇鸞どんらんほっもうせしひとこそ、 仏法ぶっぽうのそこをきわめたりし。 ひとのいのちはあしたをしがたしとて、 仏法ぶっぽうをならはんがために、 ちょうせいせんほうをばつたへそうらひけれ。

ときだい流支るしもう三蔵さんぞうましましき。 曇鸞どんらんかの三蔵さんぞうおんまへにまうでゝもうしたまふやうは、 仏法ぶっぽうなかちょうせい不死ふしほう、 このせんぎょうにすぎたるありやとゝひたまひければ、 三蔵さんぞうにつわきをはきてのたまはく、 このほうにはいづくんぞところにちょうせいほうあらん。 たとひちょうねんをえてしばらくしなずとも、 つゐにさんりんすとのたまひて、 すなはち ¬かんりょう寿じゅきょう¼ をさづけて、 大仙だいせんほうなり、 これによりてしゅぎょうすれば、 さらにしょうだつすべしとのたまひき。

曇鸞どんらんこれをつたへて、 仙法せんぽうをたちまちににやきて、 これをすつ。 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ によりて、 じょうぎょうをしるしたまひき。 そのゝち曇鸞どんらんどうしゃく善導ぜんどうかんしょうこうとうにい0622たるまで、 このながれをつたへたまへり。

そのみちをおもひて、 いのちをのべて大仙だいせんほうをとらんとおもふに、 またどうしゃくぜんの ¬安楽あんらくしゅう¼ にもしょうどうじょうもんをたてたまふは、 このこころなり。 そのしょうどうもんといふは、 穢土えどにして煩悩ぼんのうだんじてだいにいたるなりじょうもんといふは、 じょうにむまれて、 かしこにして煩悩ぼんのうだんじてだいにいたるなり

いまこのじょうしゅうについてこれをいへば、 また ¬かんぎょう¼ にあかすところの業因ごういんひとつにあらず、 三福さんぷくぼんじゅうさんじょうぜん、 そのぎょうしなじなにわかれて、 そのごうまちまちにつらなれり。

まづじょうぜんじゅう三観さんがんといふは、 日想にっそう水想すいそうそう宝樹ほうじゅほう宝楼ほうろう花座けざ仏想ぶっそう真身しんしん観音かんのんせいかん雑観ぞうかん、 これなり

つぎに散善さんぜんぼんといふは、 いちにはきょうよう父母ぶも奉事ぶじちょうしんせつしゅじゅう善業ぜんごうにはじゅさんそく衆戒しゅかいぼん威儀いぎさんにはほつだいしん深信じんしんいん読誦どくじゅだいじょう勧進かんじんぎょうじゃなり

ぼんは、 かの三福さんぷくごうかいしてその業因ごういんにあつ。 つぶさには ¬かんぎょう¼ にえたり。

そうじてこれをいへば、 じょうさんぜんなかにもれたるおうじょうぎょうはあるべからず。 これによりて、 あるいはいづれにもあれ、 たゞえんぎょうにおもむきてこうをかさねて、 こころにひかんほうによりてぎょうをはげまば、 みなことごとくおうじょうをとぐべし。 さらにうたばひをなすことなか0623れ。

いましばらくほうにつきてこれをいはゞ、 まさにいまじょうぜん観門かんもんは、 かすかにつらなりてじゅうさんあり。 散善さんぜん業因ごういんは、 まちまちにわかれてぼんあり。 そのじょうぜんもんにいらんとすれば、 すなはち意馬いめあれて六塵ろくじんきょうにはす。 かの散善さんぜんもんにのぞまんとすれば、 また心猿しんえんあそんでじゅうあくのえだにうつる。 かれをしづめんとすれどもえず、 これをとゞめんとすれどもあたはず。

いま三品さんぼん業因ごういんれば、 じゅうあくぎゃくしゅじょうりんじゅうぜんしきにあひて、 いっしょうじっしょう弥陀みだぶつみょうごうをとなへておうじょうすとゝかれたり。 これなんぞわれらがぶんにあらざらんや。

かのしゃくゆうしゅんといひしひとは、 七度ななたび還俗げんぞく悪人あくにんなり。 いのちおはりてのち、 獄率ごくそつえんちょうていにゐてゆきて、 なんえんだい第一だいいち悪人あくにん七度ななたび還俗げんぞくゆうしゅんゐてまいりてはんべりともうしければ、 ゆうしゅんもうしていはく、 われざいしょうとき、 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ をしかば、 ぎゃく罪人ざいにん弥陀みだほとけのみょうごうをとなへて極楽ごくらくおうじょうすと、 まさしくとかれたり。 われ七度ななたび還俗げんぞくすといへども、 いまだぎゃくをばつくらず、 善根ぜんごんすくなしといへども、 念仏ねんぶつじっしょうにすぎたり。 ゆうしゅんもしごくにおちば、 さん諸仏しょぶつもうのつみにおちたまふべしとこうしょうにさけびしかば、 法王ほうおうにおそれて、 たまのかぶりをかたぶけてこれをおがみ、 弥陀みだはちかひによりて金蓮こんれんにのせてむかへたまひき。

いはんや、 七度ななたび還俗げんぞくにおよばざら0624んをや、 いはんや、 いちぎょう念仏ねんぶつせんをや。 「男女なんにょせん行住ぎょうじゅう坐臥ざがをえらばず、 しょ諸縁しょえんろんぜず、 これをしゅするにかたからず、 ないりんじゅうおうじょうがんするに、 そのたよりをえたり」 (要集巻下) と、 りょうごん先徳せんどくのかきおきたまへる、 まことなるかなや。

また善導ぜんどうしょう、 この ¬かんぎょう¼ をしゃくしてのたまはく、 「しゃしゅ、 そのしょうによるがゆへにひろくじょう要門ようもんをひらき、 安楽あんらく能人のうにんべっがんをあらはす。 その要門ようもんといはすなはちこの ¬かんぎょう¼ のじょうさんもんこれなりじょうはすなはちおもひをやめてもてこころをこらし、 さんはすなはちあくはいしてぜんしゅす。 このぎょうをめぐらしておうじょうをもとめねがふなり

がんといは ¬だいきょう¼ にとくがごとし。 一切いっさい善悪ぜんあくぼんのむまるゝことをうるもの、 みな弥陀みだぶつ大願だいがん業力ごうりきじょうじてじょうじょうえんとせずといふことなし。 またほとけのみっじんにして、 きょうもんさとりがたし。 三賢さんげんじっしょうもはかりてうかゞふところにあらず。 いはんやわれしんきょうもうなり、 さらに旨趣しいしゅをしらんや。 あふいでおもんみれば、 しゃはこのほうにして発遣はっけんし、 弥陀みだはかのくにより来迎らいこうたまふ。 こゝにやりかしこによばふ。 あにさらざるべけんや」 (玄義分) といへり。 しかれば、 じょうぜん散善さんぜんがん三門さんもんをたてたまへり。

そのがんといは、 ¬だいきょう¼ (巻上) いはく、 「せつ得仏とくぶつ十方じっぽうしゅじょうしんしんぎょうよくしょうこくないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがくゆいじょぎゃくほう0625しょうぼう」 といへり。

善導ぜんどうしゃくしていはく、 「にゃくじょうぶつ十方じっぽうしゅじょうしょうみょうごう下至げしじっしょうにゃくしょうじゃしゅしょうがくぶつこん現在げんざいじょうぶつとう本誓ほんぜいじゅうがん不虚ふこしゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょう。」 (礼讃) ¬かんぎょう¼ のじょうさんりょうもんをときおはりて、 「仏告ぶつごうなんにょこう是語ぜご是語ぜごしゃそくりょう寿仏じゅぶつみょう。」 これすなはちさきのがんこころなり

またおなじき ¬きょう¼ (礼讃) 真身しんしんかんには、 「弥陀みだ身色しんじきにょ金山こんぜん相好そうごうこうみょうしょう十方じっぽうゆい念仏ねんぶつもうこうしょうとう本願ほんがんさいごう。」 またこれさきのがんのゆへなり。

¬弥陀みだきょう¼ にいはく、 「不可ふかしょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんとくしょうこくにゃくぜんなんぜん女人にょにん聞説もんせつ弥陀みだぶつしゅうみょうごうにゃく一日いちにちにゃくにちない七日しちにち一心いっしんらんにん命終みょうじゅうしん顛倒てんどう即得そくとくおうじょう。」 つぎのもんに、 「六方ろっぽうにおのおのごうしゃぶつましまして、 こうじょう舌相ぜっそういだして、 あまねく三千さんぜん大千だいせんかいにおほひて、 じょうじつことなりしんぜよ」 (意) 証誠しょうじょうたまへり。 これまたさきのがんのゆへなり

また ¬般舟はんじゅ三昧ざんまいきょう¼ (一巻本聞事品意) にいはく、 「ばつ陀和だわさつ弥陀みだにとひていはく、 いかなるほうぎょうじてか、 かのくにゝむまるべきと。 弥陀みだほとけのたまはく、 わがくにゝらいしょうせんとおもはんものは、 つねに御名みなねんじてやすむことなかれ。 かくのごとくして、 わがくにゝらいしょうすることをう」 とのたまへり。 これまたがんのむねを、 かのほとけみづからのたまへり。

またたいざんの ¬だいしょう竹林ちくりん¼ にいはく、 「ほっしょうぜんしょう0626りょうざんにのぼりてだいしょう竹林ちくりんにいたる。 こゝに二人ふたりどうあり、 一人ひとりをば善財ぜんざいといひ、 一人ひとりをばなんといふ。 この二人ふたりどうほっしょうぜんをみちびきて、 てらのうちにいれて、 漸々ぜんぜん講堂こうどうにいたりてれば、 げんさつしゅ眷属けんぞくにょうせられてたまへり。 もんじゅ師利しりは、 一万いちまんさつにょうせられてたまへり。

ほっしょうらいしてとひたてまつりていはく、 末法まっぽうぼんはいづれのほうをかしゅすべき。 もんじゅ師利しりこたへてのたまはく、 なんぢすでに念仏ねんぶつせよ、 いままさしくこれときなりと。

ほっしょうまたとひていはく、 まさにいづれをかねんずべきと。 もんじゅまたたまはく、 このかいをすぎて西方さいほう弥陀みだぶつまします。 かのほとけにがんふかくまします、 なんぢまさにねんずべし」 と。

だいしょうもんじゅほっしょうぜんにまのあたりのたまひしことなり。 すべてひろくこれをいへば、 しょきょうにあまねくしゅせしめたる法門ほうもんなり。 つぶさにあぐるにいとまあらず。

しかるをこのごろ、 念仏ねんぶつのよにひろまりたるによりて仏法ぶっぽううせなんとすと、 しょしゅう学者がくしゃなんをいたすによりて、 ひとおほく念仏ねんぶつぎょうはいすときこゆ、 いまだこころえずはんべり。

仏法ぶっぽうはこれ万年まんねんなり、 うしなはんとおもふとも、 仏法ぶっぽうよう諸天しょてん善神ぜんじんまぼりたまふゆへに、 ひとのちからにてはかなふべからず。 かのもり大臣おおおみが、 仏法ぶっぽうめつせんとせしかども、 ほうみょういまだつきずして、 いまにつたはるがごとし。 いはん0627や、 无智むち道俗どうぞくざい男女なんにょのちからにて念仏ねんぶつぎょうずるによりて、 法相ほっそう三論さんろん隠没おんもつし、 天臺てんだいごんはいすること、 なじかはあるべき。

念仏ねんぶつぎょうぜずしてゐたらば、 このともがらはいっしゅうをもこうりゅうすべきかは。 たゞいたづらに念仏ねんぶつごうはいしたるばかりにて、 またくそれしょしゅうのおぎろをもさぐるべからず。 しかれば、 これおほきなるそんにあらずや。

しょしゅうのふかきながれをくむなんほっきょう学者がくしゃりょう大法だいほうをつたへたるほん本山ほんざんぜんひゃく千万せんまん念仏ねんぶつにひろまりたりとも、 ほんしゅうをあらたむべきにあらず、 また仏法ぶっぽううせなんとすとて仏法ぶっぽうはいせば、 念仏ねんぶつはこれ仏法ぶっぽうにあらずや。

たとへばろうがいをにげて、 師子ししにむかひてはしらんがごとし。 ぎょうほう念仏ねんぶつほうぜん、 おなじくこれぎゃくざいなり。 とら・おほかみにがいせられん、 師子ししがいせられん、 ともにかならずすべし。 これをもほうずべからず、 かれをもそねむべからず。 ともにみな仏法ぶっぽうなり、 たがひにへんしゅうすることなかれ。

¬像法ぞうぼうけつきょう¼ にいはく、 「三学さんがくぎょうにんたがひにほうしてごくにいること、 ときやのごとし」 といへり。 また ¬だいきょう¼ (大智度論巻一初品) にいはく、 「ほう愛染あいぜんするゆへに、 にん毀呰きしすれば、 かいぎょうにんも、 ごくをまぬかれず」 といへり。

また善導ぜんどうしょうののたまはく、

そん説法せっぽう将了しょうりょう慇懃おんごんぞく弥陀みだみょう
0628じょくぞうほう道俗どうぞく相簡そうけん用聞ようもん
けんしゅぎょう瞋毒しんどく方便ほうべん破壊はえ競生きょうしょうおん
にょしょうもう闡提せんだいはいめつとんぎょうよう沈淪ちんりん
ちょうだいじんごう未可みかとくさんしん (法事讃巻下)

といへり。

念仏ねんぶつしゅせんものは、 ぎょうをそしるべからず。 そしらばすなはち、 弥陀みだがんにそむくべきゆへなり。 ぎょうしゅせんものも、 念仏ねんぶつをそしるべからず。 また諸仏しょぶつ本誓ほんぜいにたがふがゆへなり。

しかるをいま、 真言しんごんかんまどのまへには念仏ねんぶつぎょうをそしる、 一向いっこう専念せんねんゆかのうゑにはしょぎょうをそしる、 ともに我々ががへんしゅうこころをもて義理ぎりをたて、 たがひにおのおの是非ぜひのおもひにじゅうしてしゃくをなす。 あにこれしょうにかなはんや、 みなともにぶつにそむけり。

つぎにまた難者なんじゃのいはく、 今来このごろ念仏ねんぶつしゃ、 わたくしのをたてゝ悪業あくごうをおそるゝは、 弥陀みだ本願ほんがんしんぜざるなり数遍しゅへんをかさぬるは、 一念いちねんおうじょうをうたがふなりぎょうごうをいへば、 一念いちねんじゅうねんにたりぬべし。 かるがゆへに数遍しゅへんをつむべからず。 悪業あくごうをいへば、 じゅうぎゃくなをむまるゝゆへに、 諸悪しょあくをはゞかるべからずといへり。

このまたくしかるべからず、 しゃくそん説法せっぽうにもへず、 善導ぜんどうしゃくにもあらず。 もしかく0629のごとくぞんぜんものは、 そうじては諸仏しょぶつこころにたがふべし、 べっしては弥陀みだ本願ほんがんにかなふべからず。

そのぎゃくじゅうあくしゅじょうの、 一念いちねんじゅうねんによりて、 かのくににおうじょうすといふは、 これ ¬かんぎょう¼ のあきらかなるもんなり。 たゞしぎゃくをつくりてじゅうねんをとなへよ、 じゅうあくをおかして一念いちねんもうせとすゝむるにはあらず。 それ十重じゅうじゅうをたもちてじゅうねんをとなへよ、 じゅうはちきょうをまぼりてじゅう八願はちがんをたのむは、 こころにふかくこひねがふところなり

およそいづれのぎょうをもはらにすとも、 こころかいぎょうをたもちてのうをまぼるがごとくにし、 威儀いぎはつをかたぶけずは、 ぎょうとしてじょうじゅせずといふことなし、 がんとして円満えんまんせずといふことなし。 しかるをわれら、 あるいはじゅうをおかし、 あるいはじゅうあくぎょうず。 かれもおかしこれもぎょうず、 一人いちにんとしてまことかいぎょうしたるものはなし。

諸悪しょあくまく諸善しょぜんぎょう」 は、 さん諸仏しょぶつ通戒つうかいなりぜんしゅするものは善趣ぜんしゅほうをえ、 あくぎょうずるもの悪道あくどうかんずといふ。 このいんどうをきけども、 きかざるがごとし。 はじめていふにあたはず。

しかれども、 ぶんにしたがひて悪業あくごうをとゞめよ。 えんにふれて念仏ねんぶつぎょうじ、 おうじょうすべし。 悪人あくにんをすてられずは、 善人ぜんにんなんぞきらはん。 つみをおそるゝは本願ほんがんをうたがふと、 このしゅうにまたくぞんぜざるところなり

0630ぎに一念いちねんじゅうねんによりてかのくにゝおうじょうすといふは、 しゃくそん金言きんげんなり、 ¬かんぎょう¼ のあきらかなるもんなり

善導ぜんどうしょうのいはく、 「下至げしじっしょうとうじょうとくおうじょうない一念いちねん无有むうしんみょう深心じんしん (礼讃) といへり。 またいはく、 「行住ぎょうじゅう坐臥ざがもんせつごん念々ねんねんしゃしゃみょう正定しょうじょうごうじゅん仏願ぶつがん (散善義) といへり。

しかれば、 しん一念いちねんにむまるとゝりて、 ぎょうをばいちぎょうはげむべしとすゝむるなり弥陀みだ本願ほんがんしんじて、 念仏ねんぶつこうをつもり、 運心うんしんとしひさしくは、 なんぞ願力がんりきしんぜずといふべきや。 すべてはくぼん弥陀みだじょうにむまれんことりきにあらずはみなみちたえたるべきことなり

およそ十方じっぽうかい諸仏しょぶつ善逝ぜんぜい穢土えどしゅじょう引導いんどうせんがために、 穢土えどにしてしょうがくをとなへ、 じょうにしてしょうがくをなりて、 しかも穢土えどしゅじょう引導いんどうせんといふがんをたてたまへり。

その穢土えどにしてしょうがくをとなふれば、 随類ずいるい応同おうどうそうをしめすがゆへに、 いのちながゝらずして、 とくはんにいりぬれば、 報仏ほうぶつほうにしてじょうだいさつしょなり断惑だんわくぼんは、 たゞちにむまるゝことあたはず。 しかるをいまじょうしょうごんし、 仏道ぶつどうしゅぎょうするは、 ぼんはもと造悪ぞうあくぜんのともがらなり輪転りんでんきはまりなからんを引導いんどうし、 かいせんのやからのしゅつなからんをあはれまんがためなり

もしその三賢さんげんしょうし、 じゅうをきわめたるぎょうしょうにんじんさつろくまんぎょうそくし、 しょ0631波羅はらみつしゅぎょうしてむまるゝといはば、 これだいほんにあらず。 この修因しゅいんかんのことわりを、 だいだいこころのうちにゆいして、 年序ねんじょをそらにつもりて、 星霜せいそうこうにおよべり。

しかるをぜんぎょう方便ほうべんをめぐらして、 ゆいたまへり。 しかもわれ別願べつがんをもてじょうして、 はくていしゅじょう引導いんどうすべし。 そのしゅじょう業力ごうりきによりて、 むまるゝといはゞかたかるべし。 われすべからくしゅじょうのために永劫ようごうしゅぎょうをゝくり、 そうぎょうをめぐらしてまんぎょう万善まんぜんとく円満えんまんし、 かくかくかくぎょう窮満ぐうまんして、 そのじょうじゅせんところの万徳まんどく无漏むろ一切いっさいどくをもてわがみょうごうとして、 しゅじょうにとなへしめん。

しゅじょうもしこれにおいてしんをいたしてしょうねんせば、 わががんにこたへてむまるゝことをうべし。 みょうごうをとなへばむまるべき別願べつがんをおこして、 そのがんじょうじゅせば、 ぶつになるべきがゆへなり。 このがんもし満足まんぞくせずは、 永劫ようごうをふともわれしょうがくをとらじ。 たゞしらいあくしゅじょうきょうまんだいにして、 これにおいてしんをおこすことかたかるべし。 一仏いちぶつぶつのときたまはんに、 おそらくはうたがふこころをなさんことを。

ねがはくは、 われ十方じっぽう諸仏しょぶつにことごとくこのがんしょうようせられたてまつらんとちかひて、 だいじゅうしちがんに、 「せつ得仏とくぶつ十方じっぽうりょう諸仏しょぶつしつしゃしょうみょうしゃしゅしょうがく (大経巻上) とたてたまひて、 つぎにだいじゅうはちがんの 「ないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) とたてたまへり。

0632のむね、 りょう諸仏しょぶつしょうようせられたてまつらんとたてたまへり。 がんじょうじゅするゆへに、 六方ろっぽうにおのおのごうしゃのほとけましまして、 こうじょう舌相ぜっそういだして、 あまねく三千さんぜん大千だいせんかいにおほひて、 みなおなじくこのことをまことなりと証誠しょうじょうたまへり。

善導ぜんどうこれをしゃくしてのたまはく、 「もしこのしょうによりてむまるゝことをえずは、 六方ろっぽう諸仏しょぶつののべたまへるした、 くちよりいでおはりてのち、 つゐにくちかえりいらずして、 ねんにやぶれみだれん」 (観念法門) とのたまへり。

これをしんぜざらんものは、 すなはち十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつしたをやぶるなり。 よくよくしんずべし。 一仏いちぶつぶつしたをやぶらんだにもあり、 いかにいはんや、 十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつをや。

だいじんごうちょうすとも、 いまださんをはなるべからず」 (法事讃巻下) とのたまへり。

弥陀みだじゅう八願はちがんといは、 さん悪趣まくしゅきょう悪趣あくしゅない念仏ねんぶつおうじょうとうがん、 これなり。 すべてじゅう八願はちがんのなかに、 いづれのがんひとつとしてじょうじゅたまはぬがんあるべき、 がんごとに 「しゅしょうがく」 とちかひて、 いますでにしょうがくをなりたまへるゆえなり

しかるさん悪趣まくしゅがんしんぜずして、 かのくにさん悪道まくどうありというものはなし。 きょう悪趣あくしゅがんしんぜずして、 かのくにゝしゅじょういのちおはりてのち、 また悪道あくどうかえるといふものはなし。

悉皆しっかい金色こんじきがんしんぜずして、 かのくにのしゅじょう金色こんじきなるもあり、 びゃくしきなるもありといふものはなし。 无有むう好醜こうしゅがんしんぜず0633して、 かのくにのしゅじょうは、 かたちよきもあり、 わろきもありといふものはなし。

ない天眼てんげんてんこうみょう寿じゅみょうおよびとくさん法忍ぼうにんがんにいたるまで、 これにおいてうたがひをなすものはいまだはんべらず。 たゞだいじゅうはちがんにおいて、 念仏ねんぶつおうじょうがんひとつをしんぜざるなり

このがんをうたがはゞ、 がんをもしんずべからず。 がんしんぜ­ば、½ この一願いちがんをうたがふべけんや。 法蔵ほうぞう比丘びくいまだほとけになりたまはずといはゞ、 これ謗法ほうぼうになりなんかし。 もしまたなりたまへりといはゞ、 いかゞこのがんをうたがふべきや。

じゅう八願はちがん弥陀みだ善逝ぜんぜいは、 しょうがく十劫じっこうにとなへたまへり。 六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ如来にょらいは、 舌相ぜっそう三千さんぜんかいにのべたまへり。 たれかこれをしんぜざるべきや。

善導ぜんどうこのしんしゃくしてのたまはく、 「ぶつ報仏ほうぶつにゃくいちにゃくない十方じっぽうへんして、 ひかりをかゞやかし、 したをはきてあまねく十方じっぽうにおほひて、 このこともうなりとのたまはんにも、 ひっきょうじて、 一念いちねん退たいこころをおこさじ」 (散善義意) とのたまへり。

しかるをいまぎょうじゃたち、 がくけんのために、 たやすくこれをやぶらる、 いかにいはんや、 報仏ほうぶつぶつのゝたまはんをや。

そもそもこのぎょうをすてば、 いづれのおこなひにかおもむきそうろうべき。 智慧ちえなければ、 聖教しょうぎょうをひらくにまなこくらし。 財宝ざいほうなければ、 布施ふせぎょうずるにちからなし。

むかし波羅はらこくたいありき、 だいたいもうしき。 貧人ひんにん0634をあはれみて、 くらをひらきてもろもろのたからをいだしてあたへたまふに、 たからはつくれども、 まづしきものはつくべからず。

こゝにたい、 うみのなかににょ宝珠ほうしゅありときく。 うみにゆきてもとめて、 まづしきたみにたからをあたへんとちかひて、 りゅうにゆきたまふに、 りゅうおうおどろきあやしみて、 おぼろげのひとにはあらずといひて、 みづからむかひて、 たからのゆかにすえたてまつり、 はるかにきたりたまへるこころざし、 何事なにごとをもとめたまふぞとゝへば、

たいたまはく、 えんだいひと、 まづしくてくるしむことおほし、 おうのもとゞりのなかの宝珠ほうしゅをこはんがためにきたるなりとのたまへば、 おうのいはく、 しからば、 七日しちにちこゝにとゞまりて、 わがようをうけたまへ、 そのゝちたからをたてまつらんといふ。

たい七日しちにちをへてたまをえたまひぬ。 りゅうじんそこよりおくりたてまつる、 すなはち本国ほんごくのきしにいたりぬ。

こゝにもろもろのりゅうじんなげきていはく、 このたまはかいちゅうのたからなり、 なをとりかえしてぞよかるべきとさだむ。 海神かいじんひとになりてたいおんまへにきたりていはく、 きみよにまれなるたまをえたまへり。 とくわれにたまへといふ。 たいこれをたまふに、 うばひとりてうみへいりぬ。

たいなげきてちかひていはく、 なんぢもしたまをかえさずんば、 うみをくみほさんといふ。 海神かいじんいでゝわらひていはく、 なんぢはもともおろかなる0635ひとかな。 そらのをばおとしもしてん、 はやきせをばとゞめもしてん、 うみのみづをばつくすべからずといふ。

たいたまはく、 恩愛おんないのたへがたきをもなをとゞめんとおもふ、 しょうのつくしがたきをもなをつくさんとおもふ。 いはんや、 うみのみづおほしといふともかぎりあり。 もしこのよにくみつくさずは、 世々せせをへてもかならずくみつくさんとちかひて、 かいのからをとりてうみのみづをくむ。

ちかひのこころまことなるがゆへに、 もろもろの天人てんにんことごとくきたりて、 あまのはごろものそでにつゝみて、 てっせんのほかにくみをく。 たい一度ひとたび二度ふたたびかいのからをもてくみたまふに、 海水かいすいじゅうぶん八分はちぶんはうせぬ。

りゅうおう、 さわぎあはてゝ、 わがすみかむなしくなりなんとすとわびて、 たまをかえしたてまつる。

たい、 これをとりてみやこにかえりて、 もろもろのたからをふらして、 えんだいのうちにたからをふらさゞるところなし。

くるしきをしのぎて退たいせざりしかば、 これをしょうじん波羅はらみつといふ。

むかしのたいは、 ばんのなみをしのぎて、 りゅうおうにょ宝珠ほうしゅをえたまへり。 いまのわれらは、 二河にがすいをわけて、 弥陀みだ本願ほんがん宝珠ほうしゅをえたり。

かれはりゅうじんのくゐしがためにうばゝれ、 これはがくけんのためにうばゝる。

かれはかいのからをもて大海たいかいをくみしかば、 六欲ろくよくぜん諸天しょてんきたりておなじくくみき、 これはしんをもて0636ほうなんをくまば、 六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつきたりてくみしたまふべし。

かれは大海たいかいのみづやうやくつきしかば、 りゅうのいらかあらはれてにょ宝珠ほうしゅかえしとりき、 これはなんのなみことごとくつきなば、 ほうのいらかあらはれて本願ほんがん宝珠ほうしゅかえしとるべし。

かれはかえしとりてえんだいにしてびんのたみをあはれみき、 これはかえしとりて極楽ごくらくにむまれてはくのともがらをみちびくべし。

ねがはくは、 もろもろのぎょうじゃ弥陀みだ本願ほんがん宝珠ほうしゅをいまだうばひとられざらんものは、 ふかく信心しんじんのそこにおさめよ。 もしすなはちとられたらんものは、 すみやかに深信じんしんをもてほうのなみをくめ。 たからをすてゝをむなしくしてかえことなかれ。

いかなる弥陀みだか、 じゅうねんがんをおこして十方じっぽうしゅじょう摂取せっしゅたまふ。 いかなるわれらか、 ろくみょうごうをとなへて三輩さんぱいおうじょうをとげざらん。 永劫ようごうしゅぎょうはこれたれがためぞ、 こうらいしゅじょうにゆずりたまふ。 ちょうがんまたなんのりょうぞ、 こころざしを末法まっぽうのわれらにおくりたまふ。

われらもしおうじょうをとぐべからずは、 ほとけあにしょうがくをなりたまふべしや、 われらまたおうじょうをとげましや。 われらがおうじょうはほとけのしょうがくにより、 ほとけのしょうがくはわれらがおうじょうによる。 「にゃくしょうじゃ」 のちかひこれをもてしり、 「しゅしょうがく」 のことばかぎりあるをや 云云