0763◎興福寺奏状

 

  ◎九箇くか条じょうの失しつの事こと
第一だいいち 新しん宗しゅうを立たつる失しつ。  第だい二に 新像しんぞうを図とする失しつ。
第三だいさん 釈しゃく尊そんを軽かろむる失しつ。  第だい四し 万善まんぜんを妨さまたぐる失しつ。
第だい五ご 霊りょう神じんに背そむける失しつ。  第六だいろく 浄じょう土どに暗くらき失しつ。
第七だいしち 念仏ねんぶつを誤あやまれる失しつ。  第八だいはち 釈しゃく衆しゅを損そこなふる失しつ。
第だい九く 国こく土どを乱みだるる失しつ。

  ◎九箇条之失事

第一立新宗失。    第二図新像失。

第三軽釈尊失。    第四妨万善失。

第五背霊神失。    第六暗浄土失。

第七誤念仏失。    第八損釈衆失。

第九乱国土失。

 

興福こうぶく寺じの僧綱そうごう大だい法ほっ師し等とう、 誠惶せいこう誠せい恐きょう謹つつしみて言もうす。

興福寺ノ僧綱大法師等、誠惶誠恐謹テ言。

ことに天てん裁ちゅうを蒙こうむりて、 ながく沙門しゃもん源空げんくう勧すすむるところの専修せんじゅ念仏ねんぶつの宗しゅう義ぎを糾きゅう改かいせられんと請しょうずる状じょう。

請↠被ト↧殊ニ蒙テ↢天裁ヲ↡、永ク糾キウ↦改カヰ沙門源空
所ノ↠勧ル専修念仏ノ宗義ヲ↥状。

右みぎ謹つつしみて案あ内ないを考かんがふるに一ひとりの沙門しゃもんあり、 世よに法然ほうねんと号ごうす。 念仏ねんぶつの宗しゅうを立たてて、 専修せんじゅの行ぎょうを勧すすむ。 その詞ことば古師こしに似にたりといへども、 その心こころ多おおく本説ほんせつに乖そむけり。 ほぼその過とがを勘かんがふるに、 略りゃくして九箇くか条じょうあり。

右謹テ考カン ルニ↢案内ヲ↡有↢一リノ沙門↡、世ニ号ス↢法然↡。立テ↢念仏之宗ヲ↡、勧ム↢専修之行ヲ↡。其詞雖0764↠似タリト↢古師ニ↡、其心多乖ケリ↢本説ニ↡。粗勘ニ↢其過ヲ↡、略シテ有↢九箇条↡。

一

▼第一だいいちに新しん宗しゅうを立たつる失しつ。

第一ニ立↢新宗ヲ↡失。

それ仏法ぶっぽう東漸とうぜんの後のち、 わが朝ちょうに八はっ宗しゅうあり。 あるいは異い域いきの神人じんにん来きたりて伝受でんじゅし、 あるいはは本ほん朝ちょうの高僧こうそう往ゆきて益やくを請うく、 時ときに上じょう代だいの明王めいおう勅ちょくして施せ行ぎょうし、 霊れい地ち名所めいしょ縁えんに随したがひて流布るふす。 それ新しん宗しゅうを興おこし一いち途ずを開ひらくことは、 中ちゅう古こよりこのかた絶たえて聞きかず。 けだし機き感かんすでに足たり、 法ほう将しょう応おうぜざるゆゑか。

夫仏法東漸ノ後、我朝ニ有↢八宗↡。或異域ノ神人来而伝受シ、或ハ本朝ノ高僧往而請ク↠益ヲ、于↠時上代ノ明王勅而施行シ、霊地名所随↠縁ニ流布ス。其興シ↢新宗ヲ↡開コト↢一途ヲ↡之者、中古ヨリ以降 タ絶而不↠聞。蓋シ機感已ニ足、法将不↠応之故歟。

およそ宗しゅうを立たつる法はう、 まづ義ぎ道どうの浅深せんじんを分わかち、 よく教きょう門もんの権実ごんじつを辨わきまへ、 浅あさきを引ひきて深ふかきに通つうじ、 権ごんを会えして実じつに帰きす。 大だい小しょう前ぜん後ご、 文もん理り繁しげしといへども、 その一法いっぽうに出いでず、 その一門いちもんに超こえず。 かの至し極ごくを捈ひきて、 もつて自じ宗しゅうとなす。 たとへば衆しゅ流りゅうの巨こ海かいに宗しゅうするがごとく、 なほ万郡まんぐんの一人いちにんに朝ちょうするに似にたり。 もしそれ浄じょう土どの念仏ねんぶつをもつて別べっ宗しゅうと名なづくれば、 一代いちだいの聖教しょうぎょうただ弥陀みだ一仏いちぶつの称名しょうみょうのみを説とき、 三蔵さんぞうの旨しい帰きひとへに西方さいほう一界いっかいの往おう生じょうのみにあらんか。

凡立↠宗ヲ之法ハウ、先ヅ分チ↢義道之浅深↡、能ク辨ヘ↢教門之権実ヲ↡、引テ↠浅ヲ兮通ジ↠深ニ、会シテ↠権ヲ兮帰↠実ニ。大小前後、文理雖↠繁ト、不↠出↢其一法ニ↡、不↠超↢其一門ニ↡。捈テ↢彼至極ヲ↡、以テ為ス↢自宗ト↡。譬バ如ク↣衆流之宗↢巨海ニ↡、猶似↣万郡之朝スルニ↢一人ニ↡矣。若夫以↢浄土ノ念仏ヲ↡名↢別宗ト↡者、一代ノ聖教唯説キ↢弥陀一仏之称名ノミヲ↡、三蔵ノ旨帰偏ニ在ラン↢西方一界之往生ノミニ歟。

いま末代まつだいに及およびてはじめて一いっ宗しゅうを建たてしむるは、 源空げんくうそれ伝でん灯とうの大だい祖そか。 あに百済くだらの智ち鳳ほう・大唐だいとうの鑑真がんじんのごとく、 千代せんだいの軌き範はんと称しょうす。 なんぞ高こう野やの弘法こうぼう・叡山えいざんの伝でん教ぎょうに同どうじて、 万葉まんようの昌じょう栄えいあるものか。 もし古いにしえより相そう承じょうしていまに始はじめずとならば、 たれの聖哲せいてつに逢あひてまのあたり口く択じゃくを受うけ、 いくばくの内ない証しょうをもつて示じ導どうを教きょう誡かいするや。

今及テ↢末代ニ↡始テ令ル↠建↢一宗ヲ↡者、源空其 レ伝灯之大祖歟。豈如ク↢百済智鳳・大唐ノ鑑真↡、称ス↢千代之軌範ト↡。寧同↢高野ノ弘法・叡山ノ伝教ニ↡、有↢万葉之昌栄↡者乎。若自↠古ヘ相承シテ不トナラ↠始↠于↠今者、逢テ↢誰ノ聖哲ニ↡面マノアタリ受ケ↢口択ヲ↡、以↢幾ノ内証ヲ↡教↢誡示導ヲ↡哉。

たとひ功こうあり徳とくありといへども、 すべからく公家くげに奏そうしてもつて勅ちょっ許きょを待まつべし。 わたくしに一いっ宗しゅうと号ごうする、 はなはだもつて不ふ当とうなり。

縦雖↢有リ↠功有ト↟徳、須奏シテ↢公家ニ↡以テ待ベシ↢勅許ヲ↡。私ニ号スル↢一宗ト↡、甚以不当ナリ。

二

第だい二にに新像しんぞうを図とする失しつ。

第二ニ図スル↢新像ヲ↡失。

このごろ諸所しょしょに一ひとつの画図がとを翫もてあそぶ、 世よに摂取せっしゅ不ふ捨しゃの曼まん荼羅だらと号ごうす。 弥陀みだ如来にょらいの前まえに衆しゅ多たの人ひとあり、 仏ぶつ、 光こう明みょうを放はなつ。 その種々しゅじゅの光ひかり、 あるいは枉まげて横よこに照てらし、 あるいは来きたりてもとに返かえる。 これ顕けん宗しゅうの学がく生しょう・真言しんごんの行ぎょう者じゃを本ほんとなす。 そのほか諸しょ経きょうを持じし神呪じんじゅを誦じゅし、 自余じよの善根ぜんごんを造ぞうする人ひとなり。 その光ひかりの照てらすところは、 ただ専修せんじゅ念仏ねんぶつの一類いちるいのみなり。

近来諸所ニ翫ブ↢一ノ画グワ ヱ 図ト ヅ ヲ↡、世ニ号ス↢摂取不捨ノ曼荼羅ト↡。弥陀如0765来之前ニ有リ↢衆多人↡、仏放ツ↢光明ヲ↡。其種々ノ光、或ハ枉マゲテ而横ヨコニ照シ、或ハ来而返ル↠本ニ。是顕宗ノ学生・真言ノ行者ヲ為ス↠本ト。其外持シ↢諸経ヲ↡誦シ↢神呪ヲ↡、造スル↢自余ノ善根ヲ↡之人也。其光ノ所ハ↠照、唯専修念仏ノ一類ノミ也。

地じ獄ごくの絵え像ぞうを見みるもの、 罪ざい障しょうを作つくることを恐おそる。 この曼まん荼羅だらを見みるもの、 諸善しょぜんを修しゅすることを悔くゆ。 教きょう化けの趣おもむき、 多おおくもつてこの類たぐいなり。 上しょう人にんいはく、 「念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 (観経) は経きょう文もんなり、 われまつたく過とがなしと 云々。

見ル↢地獄ノ絵像ヲ↡之者、恐ル↠作コトヲ↢罪障ヲ↡。見ル↢此曼荼羅↡之者、悔ユ↠修コトヲ↢諸善ヲ↡。教化之趣、多以此類也。上人云、「念仏衆生摂取不捨」者ハ経文也、我全ク無ト↠過 云々。

この理りしからず。 ひとへに余よ善ぜんを修しゅして、 まつたくに弥陀みだを念ねんぜざれば、 まことに摂取せっしゅの光ひかりに漏もるべし。 すでに西方さいほうを欣ねがひまた弥陀みだを念ねんずる、 なんぞ余よ行ぎょうをもつてのゆゑに大だい悲ひの光こう明みょうを隔へだてんや。

此理不↠然。偏ニ修シテ↢余善ヲ↡、全ニ不↠念↢弥陀ヲ↡者、実ニ可↠漏↢摂取ノ光ニ↡。既欣ヒ↢西方ヲ↡亦念ズル↢弥陀ヲ↡、寧以ノ↢余行ヲ↡故隔ヘダテン↢大悲ノ光明ヲ↡哉。

三

第三だいさんに釈しゃく尊そんを軽かろむる失しつ。

第三ニ軽ムル↢釈尊ヲ↡失。

それ三さん世ぜの諸仏しょぶつ慈悲じひ均ひとしといへども、 一代いちだいの教きょう主しゅ恩徳おんどく独ひとり重おもし。 心こころあらんもの、 たれかこれを知しらざらん。 ここに専修せんじゅ 「身みに余よ仏ぶつを礼らいさず、 口くちに余よ号ごうを称しょうせず」 (楽邦文類巻四意) といふ。 その余よ仏ぶつ・余よ号ごうとは、 すなはち釈しゃ伽か等とうの諸仏しょぶつなり。

夫三世ノ諸仏慈悲雖↠均ヒトシト、一代ノ教主恩徳 ク独リ重シ。有ラン↠心之者、誰カ不↠知↠之ヲ。爰専修云↧「身ニ不↠礼↢余仏ヲ↡、口ニ不ト↞称↢余号ヲ↡。」其余仏・余号ト者、即釈伽等ノ諸仏也。

専修せんじゅの専修せんじゅといふは、 汝なんじはたれが弟子でしぞ。 たれ教おしふる、 かの弥陀みだの名みょう号ごうぞ。 たれ示しめす、 その安あん養にょう浄じょう土ど。 憐あわれむべし、 末まっ生しょう本ほん師しの名なを忘わすれたり。 かの覚親かくしん論ろん師じ・法愛ほうあい沙門しゃもんこの咎とがに及およばざるうへ、 なほ大だい聖しょうの呵さいなみを蒙こうむるものか。

専修ノ専修トイハ、汝ハ誰ガ弟子ゾ。誰教ル、彼ノ弥陀ノ名号ゾ。誰示、其安養浄土。可↠憐、末生忘タリ↢本師ノ名ヲ↡。彼覚親論師・法愛沙門不ルウヘ↠及↢此咎↡、尚蒙ル↢大聖ノ呵サイナミヲ者歟。

善導ぜんどう ¬礼讃らいさん¼ の文もん (意) にいはく、 「南無なも釈しゃ伽か牟尼むに仏等ぶつとう一切いっさい三宝さんぼう。 我が今こん稽首けいしゅ礼らい。 南無なも十方じっぽう三さん世ぜ尽じん虚こ空くう遍へん法界ほっかい微み塵じん刹せつ土ど中ちゅう一切いっさい三宝さんぼう。 我が今こん稽首けいしゅ礼らい」 と。 云々 和か尚しょうの意い趣しゅ、 これをもつてを知しりぬべし。

善導¬礼讃ノ¼文ニ云、「南無釈伽牟尼仏等一切三宝。我今稽首礼。南無十方三世尽虚空遍法界微塵刹土中一切三宝。我今稽首礼。」云々 和尚ノ意趣、以↠之ヲ可↠知ヌ。

衆僧しゅそうなほ帰き命みょうす、 いはんや諸仏しょぶつにおいてをや。 諸仏しょぶつなほ簡えらばず、 いはんや本ほん師しにおいてをや。

衆僧猶帰命ス、況於テヲ↢諸仏ニ↡哉。諸仏尚不↠簡、況0766於↢本師ニ↡哉。

四

▼第だい四しに万善まんぜんを妨さまたぐる失しつ。

第四ニ妨↢万善ヲ↡失。

およそ恒沙ごうじゃの法門ほうもん機きを待まちて開ひらけて、 甘かん露ろの良りょう薬やく縁えんに随したがひて授さずく。 みなこれ釈しゃ伽か大だい師し、 無む量りょう劫こうのなかに難なん行ぎょう苦く行ぎょうして得うるところの正しょう法ぼうなり。

凡恒沙ノ法門待テ↠機ヲ而開テ、甘露ノ良薬随↠縁ニ而授ク。皆是釈伽大師、無量劫ノ中ニ難行苦行シテ所ノ↠得正法也。

いま一仏いちぶつの名みょう号ごうを執しゅうして、 すべて出しゅつ離りの要よう路ろを塞ふさぐ。 ただ自じ行ぎょうのみにあらずあまねく国こく土どを誡いましめ、 ただ棄置きちするのみにあらずあまつさへ軽きょう賎せんに及およぶ。 しかるあひだ浮ふ言ごん雲くものごとく興おこり、 邪じゃ執しゅう泉いずみのごとく涌わく。 あるいは ¬法花ほけ経きょう¼ を読よむもの地じ獄ごくに堕おつといひ、 あるいはいふ ¬法ほっ花け¼ を受じゅ持じして浄じょう土どの業因ごういんといふものは、 これ謗ほう大だい乗じょうの人ひとなりと 云々。

今執テ↢一仏之名号ヲ↡、都ベテ塞フサグ↢出離之要路ヲ↡。不↢唯自行ノミニ↡普ク誡イマシメ↢国土ヲ↡、不↢唯棄置スルノミニ↡剰及ブ↢軽賎ニ↡。而間 ダ浮言ウツヲゴト雲ノ如ク興リ、邪執泉ノ如涌ク。或ハ云イ↧読↢¬法花経ヲ¼↡之者堕ト↦地獄ニ↥、或ハ云受↢持シテ¬法花ヲ¼↡浄土ノ業因ト云者モノハ、是謗大乗人也 云々。

もと八軸はちじく・十じゅう軸じくを誦じゅし千せん部ぶ・万まん部ぶに及およぶ人ひと、 この説せつを聞ききてながくもつて廃退はいたいす。 あまつさへ前さきの非ひを悔くゆ。 捨すつるところのもとの行おこなひ、 宿習しゅくじゅうまことに深ふかく、 企くわだつるところの念仏ねんぶつ、 薫修くんじゅいまだ積つまず、 中ちゅう途との仰ぎょう天てん歎息たんそくのもの多おおし。

本誦シ↢八軸・十軸ヲ↡及↢千部・万部ニ↡之人、聞テ↢此説ヲ↡永以テ廃退ス。剰悔↢前非ヲ↡。所ノ↠捨ル本行ヒ、宿習実ニ深ク、所ノ↠企念仏、薫修未↠積、中途ノ仰天歎息ノ者多矣。

このほか花け厳ごん・般若はんにゃの帰依きえ、 真言しんごん・止し観かんの結縁けちえん、 十じゅうの八はち、 九くはみなもつて棄置きちす。 堂塔どうとう建こん立りゅう・尊像そんぞう造ぞう図とのごときをば、 これを軽かろめこれを笑わらふこと、 土つちのごとく沙すなのごとし。 福ふく恵えともに闕かけ、 現当げんとう憑たのみ少すくなし。

此外花厳・般若之帰依、真言・止観之結縁、十之八、九ハ皆以棄置ス。如ヲバ↢堂塔建立・尊像造図ノ↡、軽メ↠之笑ワラウコト↠之、如ク↠土ノ如シ↠沙ノ。福恵共ニ闕ケ、現当憑タノミ少シ。

上しょう人にんは智ち者しゃなり、 みづからはさだめて謗法ほうぼうの心こころなきか。 ただし門弟もんていのなかに、 その実じつ知しりがたし。 愚ぐ人にんに至いたりては、 その悪あく少すくなからず、 根本こんぽん枝し末まつ、 おそらくはみな同類どうるいなり。

上人者ハ智者也、自ハ定テ無↢謗法ノ心↡歟。但門弟之中ニ、其実難↠知。至↢愚人ニ↡者、其悪不↠少、根本枝末、恐ハ皆同類也。

昔むかし信しん行ぎょう禅ぜん師じの三階さんがいの行ぎょう業ごうを立たてて、 孝こう慈じ比丘びくの一いち乗じょうの読誦どくじゅを止とどめし、 まつたくに大だい乗じょうを軽かろめず。 末まっ世せの機きを量はかりて、 その行ぎょうを制せい止しす。 しかれども信しん行ぎょう大蛇だいじゃ身しんとなりて、 百ひゃく千せんの徒と衆しゅその口く中ちゅうに住じゅうし、 孝こう慈じ鬼き神じんの害がいに当あたりて、 士し人じん同類どうるいたちまちに高こう座ざの下もとに臥ふす。

昔信行禅師之立テ↢三階ノ行業↡、孝慈比丘之止シ↢一乗ノ読誦ヲ↡、全ニ不↠軽↢大乗↡。量テ↢末世ノ機ヲ↡、制↢止ス其行ヲ↡。然レドモ信行成テ↢大蛇身ト↡、百千ノ徒ト衆住シ↢其口中ニ↡、孝慈当テ↢鬼神之害ニ↡、士人同類忽ニ臥ス↢高座下モトニ↡。

大だい乗じょうを謗ほうずる業ごう、 罪つみのなかにも最大さいだいなり。 五ご逆ぎゃく罪ざいといへども、 また及およぶことあたはず。 これをもつて弥陀みだの悲ひ願がん引いん摂じょう広ひろしといへども、 誹ひ謗ほう正しょう法ぼう捨すてて救すくふことなし。 ああ西方さいほうの行ぎょう者じゃ、 馮たのむところたれにあるぞや。

謗ズル↢大乗ヲ↡業、罪ノ中ニモ最大ナリ。雖↢五0767逆罪ト↡、復不↠能↠及コト。是以弥陀ノ悲願引摂雖↠広ト、誹謗正法捨而無↠救コト。於戯アヽ西方ノ行者、所↠馮在ゾ↠誰ニ乎。

五

▼第だい五ごに霊神れいじんに背そむける失しつ。

第五ニ背↢霊神ニ↡失。

念仏ねんぶつの輩やから、 ながく神明しんめいを別わかる、 権ごん化け・実類じつるいを論ろんぜず、 宗廟しゅうびょう・大社たいしゃを憚はばからず。 もし神明しんめいを牒あがめば、 かならず魔ま界かいに堕だすと 云々。

念仏之輩、永別ル↢神明ヲ↡、不↠論↢権化・実類ヲ↡、不↠憚↢宗廟・大社ヲ↡。若牒メバ↢神明ヲ↡、必堕ト↢魔界ニ↡ 云々。

実類じつるいの鬼き神じんにおいては、 置おきて論ろんぜず。 権ごん化けの垂すい迹じゃくに至いたりては、 これ大だい聖しょうなり、 上じょう代だいの高僧こうそうみなもつて帰き敬きょうす。 かの伝でん教ぎょう宇佐うさの宮みやに参まいり、 春日かすが社しゃに参まいりて、 おのおの奇き特どくの瑞相ずいそうあり。 智ち証しょう熊くま野の山やまに詣もうでて、 新羅しらぎの神かみを請しょうじて、 深ふかく門葉もんようの繁はん昌じょうを祈いのる。 行教ぎょうきょう和か尚しょうの袈裟けさの上うえに三尊さんぞん影かげを宿やどし、 弘法こうぼう大だい師しの画図がとのなかに八幡はちまん質すがたを顕あらわす。 これみな法然ほうねんに及およばざる人ひとか、 魔ま界かいに堕だすべき僧そうか。

於↢実類ノ鬼神ニ↡者、置而不↠論。至↢権化ノ垂迹ニ↡者、是大聖也、上代ノ高僧皆以帰敬ス。彼伝教参↢宇佐ノ宮ニ↡、参テ↢春日社ニ↡、各有↢奇特之瑞相↡。智証詣テ↢熊野山ニ↡、請ジテ↢新羅ノ神ヲ↡、深祈↢門葉之繁昌ヲ↡。行教和尚ノ袈裟之上ニ三尊宿シ↠影ヲ、弘法大師ノ画グワ図ト中ニ八幡顕ス↠質 タヲ。是皆不↠及↢法然ニ↡之人歟、可↠堕↢魔界ニ↡之僧歟。

なかんづく行教ぎょうきょう和か尚しょう、 大安だいあん寺じに帰かえりて二に階かいの楼ろうを造つくりて、 上じょう階かいに八幡はちまんの御体ぎょたいを安あんじ、 下げ階かいに一切いっさい経きょう論ろんを持じす。 神明しんめいもし拝はいするに足たらざれば、 いかんぞ聖体せいたいを法門ほうもんの上うえに安あんずるや。

就↠中行教和尚、帰テ↢大安寺ニ↡造テ↢二階ノ楼ヲ↡、上階ニ安ジ↢八幡ノ御体ヲ↡、下階ニ持ス↢一切経論ヲ↡。神明若不↠足↠拝ニ者、如何安↢聖体於法門之上ニ↡哉。

末世まっぽうの沙門しゃもんなほ君臣くんしんを敬けいす、 いはんや霊神れいじんにおいてをや。 かくのごときの麁そ言ごん、 もつとも停ちょう廃はいせらるべし。

末世ノ沙門猶敬ス↢君臣ヲ↡、況於テ↢霊神ニ↡哉。如ノ↠此麁言、尤可↠被↢停廃↡。

六

▼第六だいろくに浄じょう土どに暗くらき失しつ。

第六ニ暗キ↢浄土ニ↡失。

¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ (意) を勘かんがふるにいはく、 「一切いっさいの凡ぼん夫ぶかの国くにに生しょうぜんと欲おもはんものは、 まさに三業さんごうを修しゅすべし。 一いちには父母ぶもに孝きょう養ようし、 師し長ちょうに奉事ぶじし、 慈じ心しんにして殺ころさず、 十じゅう善業ぜんごうを修しゅす。 二にには三さん帰きを受じゅ持じし、 衆戒しゅかいを具ぐ足そくして、 威儀いぎを犯おかさず。 三さんには菩ぼ提だい心しんを発おこして、 深ふかく因いん果がを信しんじ、 大だい乗じょうを読誦どくじゅすべし」 と。 云々 また九く品ぼん生しょうのなかに上じょう品ぼん上生じょうしょうを説ときて、 「もろもろの戒かい行ぎょうを具ぐし、 読誦どくじゅ大だい乗じょう」 といひ、 中ちゅう品ぼん下げ生しょうは、 「孝きょう養よう父母ぶも、 行ぎょう世せ仁にん慈じ」。 云々

勘ニ↢¬観無量寿経ヲ¼↡云、「一切ノ凡夫欲↠生ト↢彼国ニ↡者、当↠修↢三業ヲ↡。一者孝↢養シ父母ニ↡、奉↢事シ師長ニ↡、慈心不↠殺、修↢十善業ヲ↡。二者受↢持シ三帰ヲ↡、具↢足シテ衆戒ヲ↡、不↠犯↢威儀ヲ↡。三者発シテ↢菩提心ヲ↡、深信ジ↢因果ヲ↡、読↢誦スベシ大乗ヲ↡。」云々 又0768九品生ノ中ニ説↢上品上生ヲ↡、云↧「具シ↢諸ノ戒行ヲ↡、読誦大乗ト↥」、中品下生ハ、「孝養父母、行世仁慈。」云々

曇鸞どんらん法ほっ師しは念仏ねんぶつの大だい祖そなり。 往おう生じょうの上じょう輩はいにおいて五ご種しゅの縁えんを出いだせり。 その四し (略論) に 「修諸しゅしょ功く徳どく」 といひ、 中ちゅう輩はいの七縁しちえんのなかに、 「起き塔とう寺じ、 飯食ぼんじき沙門しゃもん」。 云々 また道どう綽しゃく禅ぜん師じ常じょう修しゅ念仏ねんぶつ三昧ざんまいの文もん (安楽集巻下) を会えしていはく、 「念仏ねんぶつ三昧ざんまいを行おこなふこと多おおきがゆゑに。 常じょう修しゅといふ。 まつたくに余よの三昧さんまいを行ぎょうぜずといふにあらざるなり」 と。 云々 善導ぜんどう和か尚しょうは、 「見みるところの塔とう寺じ、 修しゅ葺しゅうせずといふことなし。」 (端応伝)

曇鸞法師者念仏ノ大祖也。於↢往生ノ上輩ニ↡出セリ↢五種ノ縁ヲ↡。其四云↢「修諸功徳」↡、中輩ノ七縁之中ニ、「起塔寺、飯食沙門。」云々 又道綽禅師会シテ↢常修念仏三昧ノ文ヲ↡云、「行コト↢念仏三昧ヲ↡多ガ故。言フ↢常修ト↡。非ル↠謂↢全ニ不ト↟行↢余ノ三昧ヲ↡也。」云々 善導和尚者、「所ノ↠見塔寺、無↠不ト云コト↢修葺シウ↡。」

しかれば上かみ三さん部ぶの本ほん経ぎょうより下しも一いっ宗しゅうの解げ釈しゃくに至いたるまで、 諸しょ行ぎょう往おう生じょう盛さかんに許ゆるすところなり。 しかのみならず曇融どんゆう橋はしを亘わたし、 善晟ぜんせい路みちを造つくり、 常じょう旻びん堂どうを修しゅし、 善曽ぜんそう坊ぼうを払はらひ、 空忍くうにん花はなを採つみ、 安忍あんにん香こうを焼たき、 道如どうにょ食じきを施ほどこし、 僧慶そうけい衣ころもを縫ぬふ。 おのおの事じ相そうの一善いちぜんをもつて、 みな順じゅん次じの往おう生じょうを得う。 僧そう喩ゆの阿あ含ごんを持じし、 行ぎょう衍えんの ¬摂しょう論ろん¼ を講こうぜん、 小乗しょうじょうの一いっ経きょうといへども、 凡ぼん智ちの講こう解げといへども、 おのおの感応かんおうあり、 まことに浄じょう土どに詣けいす。

然者上自↢三部之本経↡下至マデ↢一宗之解釈ニ↡、諸行往生盛ニ所↠許也。加↠之曇融ドンユウ亘シ↠橋ヲ、善晟造リ↠路ヲ、常旻修シ↠堂ヲ、善曽払ヒ↠坊ヲ、空忍採ミ↠花ヲ、安忍焼キ↠香ヲ、道如施シ↠食ヲ、僧慶縫↠衣ヲ。各以↢事相ノ一善ヲ↡、皆得↢順次ノ往生ヲ↡。僧喩之持シ↢阿含ヲ↡、行衍之講ゼン↢¬摂論¼↡、雖↢小乗一経↡、雖↢凡智ノ講解↡、各有↢感応↡、実ニ詣ス↢浄土ニ↡。

沙門しゃもん道どう俊しゅんは、 念仏ねんぶつ隙ひまなくして ¬大だい般若はんにゃ¼ を書しょせず。 覚親かくしん論ろん師じは、 専修せんじゅほかを忘わすれて釈しゃ迦かの像ぞうを造つくらず。 みな往おう生じょうの願がんを妨さまたげ、 大だい聖しょうの誡いましめを蒙こうむる。 ながくその執しゅうを改あらためて、 つひに西方さいほうに生しょうず。 まさに知しるべし余よ行ぎょうによらず念仏ねんぶつによらず、 出しゅつ離りの道みち、 ただ心こころにあり。

沙門道俊者、念仏無シテ↠隙不↠書↢¬大般若ヲ¼↡。覚親論師者、専修忘テ↠他ヲ不↠造↢釈迦ノ像ヲ↡。皆妨ゲ↢往生ノ願ヲ↡、蒙ル↢大聖ノ誡ヲ↡。永改テ↢其執ヲ↡、遂ニ生ズ↢西方ニ↡。当ニ↠知不↠依↢余行ニ↡不↠依↢念仏ニ↡、出離之道、只在↢于心↡矣。

もしそれ ¬法ほっ花け¼ (巻六薬王品) に 「即往そくおう安楽あんらく」 の文もんありといへども、 般若はんにゃに 「随願ずいがん往おう生じょう」 の説せつありといへども、 かれなほ総相そうそうなり、 少しょう分ぶんなり。 別相べっそうの念仏ねんぶつにしかず、 決けつ定じょうの業因ごういんに及およばずとならば、 総そうはすなはち別べつを摂おさめ、 上じょうはかならず下げを兼かぬ。 仏法ぶっぽうの理り、 その徳とく必然ひつねんなり、 なんぞ凡ぼん夫ぶ親しん疎その習ならいをもつて、 誤あやまちて仏界ぶっかい平びょう等どうの道どうを失しっせんや。

若夫¬法花ニ¼雖↠有ト↢「即往安楽ノ」文↡、般若ニ雖↠有ト↢「随願往生」之説↡、彼猶総相也、少分也。不↠如↢別相ノ念仏ニ↡、不トナラ↠及↢決定ノ業因ニ↡者、総ハ則摂メ↠別ヲ、上ハ必兼↠下ヲ。仏法之理、其0769徳必然ナリ、何以テ↢凡夫親疎之習ヲ↡、誤テ失ヤ↢仏界平等之道ヲ↡。

もし往おう生じょう浄じょう土どは、 行ぎょう者じゃの自じ力りきにあらずば、 ただ弥陀みだの願力がんりきを憑たのむ。 余よ経きょう・余よ業ごうにおいては、 引いん摂じょうの別縁べつえんなく来迎らいこうの別願べつがんなくは、 念仏ねんぶつの人ひとに対たいするに及およぶことあたはざるもの、 弥陀みだの所しょ化けとなして来迎らいこうに預あずかるべし。 あに異人ことひとや、 この人ひとなり。 釈しゃ迦かの遺法ゆいほうに逢あひて大だい乗じょうの行ぎょう業ごうを修しゅす、 すなはちその体たいなり。 もしかの尊そんに帰きせずは、 まことに無む縁えんといふべし。

若往生浄土者、非↢行者之自力ニ↡者、只憑ム↢弥陀之願力ヲ↡。於ハ↢余経・余業ニ↡者、無ク↢引摂ノ別縁↡無クハ↢来迎ノ別願↡、於対ルニ↢念仏ノ人ニ↡不↠能↠及コト者モノ、為シテ↢弥陀ノ所化ト↡可↠預↢来迎ニ↡。豈異人哉、是コノ人也。逢テ↢釈迦之遺法ニ↡修ス↢大乗ノ行業ヲ↡、即其体也。若不↠帰↢彼尊ニ↡者、実ニ可↠謂↢無縁ト↡。

もし念仏ねんぶつを兼かねずは、 しばらく闕業けつごうたるべし。 すでに二に辺へんを兼かねたり、 なんぞ引いん摂じょうに漏もれん。 もし専念せんねんなきゆゑに往おう生じょうせずとならば、 智ち覚かく禅ぜん師じは毎日まいにちに一いっ百ぴゃく箇かの行ぎょうを兼修けんしゅせり、 なんぞ上じょう品ぼん上生じょうしょうを得えたるや。 およそ造悪ぞうあくの人ひとは、 救すくひがたくしてほしいままに救すくふ。 口く称しょうの小しょう善ぜんは、 生しょうじがたくして倶ともに生しょうず。 「乃ない至し十じゅう念ねん」 (大経巻上大経巻下) の文もん、 その意こころ知しるべし。

若不↠兼↢念仏ヲ↡者、且可↠為↢闕業↡。既兼タリ↢二辺ヲ↡、何漏レン↢引摂ニ↡。若無↢専念↡故ニ不トナラ↢往生↡者、智覚禅師ハ毎日ニ兼↢修セリ一百箇之行ヲ↡、何得タル↢上品上生ヲ↡哉。凡造悪人者、難↠救而恣救。口称小善者、難↠生而倶ニ生ズ。「乃至十念」之文、其意可↠知。

しかるに近代きんだいの人ひと、 あまつさへ本もとを忘わすれて末すえにつき、 劣れつを馮たのみて勝しょうを欺あざむく。 なんぞ仏ぶつ意いに叶かなはんや。 かの帝王ていおう政まつりごとを布しく庭にわ、 天てんに代かわつて官かんを授さづくる日ひ、 賢けん愚ぐ品しなに随したがひ、 貴き賎せん家いえを尋たずぬ。 至愚しぐのもの、 たとひ夙しゅく夜やの功こうありといへども、 非ひ分ぶんの職しょくに任にんぜず。 下げ賎せんの輩やから、 たとひ奉ぶ公こうの労ろうを積つむといへども、 卿けい相しょうの位くらいに進すすみがたし。 大覚だいかく法王ほうおうの国くに、 凡ぼん聖しょう来らい朝ちょうの門もん、 かの九く品ぼんの階かい級きゅうを授さずくるに、 おのおの先せん世ぜの徳とく行ぎょうを守まもる。 自じ業ごう自じ得とく、 その理り必然ひつねんなり。

而近代之人、剰忘↠本ヲ而付キ末ニ、馮↠劣ヲ而欺ク↠勝ヲ。寧叶↢仏意ニ↡哉。彼帝王布シク↠政ゴトヲ之庭、代カワツテ↠天ニ授サヅクル↠官ヲ之日、賢愚随ヒ↠品ニ、貴賎尋↠家ヲ。至愚之者、縦雖↠有ト↢夙夜之功↡、不↠任↢非分之職ニ↡。下賎之輩、縦雖↠積ト↢奉公之労ラウヲ↡、難↠進↢卿ケイ相シヤウ之位ニ↡。大覚法王之国、凡聖来朝之門、授ルニ↢彼九品之階級ヲ↡、各守ル↢先世之徳行ヲ↡。自業自得、其理必然ナリ。

しかるにひとへに仏力ぶつりきを馮たのみて涯分がいぶんを測はからざる、 これすなはち愚痴ぐちの過とがなり。 なかんづく仮け名みょう念仏ねんぶつの浄じょう業ごう熟じゅくしがたく、 順じゅん次じ往おう生じょうの本ほん意い遺い失しつあり。 戒かい恵え倶ともに闕かく、 所しょ恃じ何事なにごとや。 もし生々しょうしょうを経へてやうやく成じょう就じゅすべきとならば、 一いち乗じょうの薫修くんじゅ・三密さんみつの加持かじ、 なんぞまたその力ちからなきや。 同おなじく沈しずむといへども愚ぐ団だんは深ふかく沈しずみ、 共ともに浮うかむといへども智ち鉢はつは早はやう浮うかむ。 いはんや智ちの行ぎょうを兼かぬるは、 虎とらの翅はねあるなり。 一いちをもつて多たを遮しゃす、 仏ぶつよろしく照しょう見けんすべし。

而ニ偏ニ馮テ↢仏力ヲ↡不ル↠測↢涯分ヲ↡、是則愚痴之過也。就↠中仮名念仏ノ浄業難ク↠熟シ、順次往生ノ本意有↢遺失↡。戒恵倶ニ闕ク、所恃何事哉。若経テ↢生々ヲ↡漸ヤウヤク可ト↢成就↡者0770、一乗ノ薫修・三密ノ加持、何亦無↢其力↡哉。同ク雖↠沈ト愚団者深沈、共ニ雖↠浮ト智鉢ハ早浮ム。況智之兼ハ↠行ヲ、虎之有↠翅也。以↠一ヲ遮ス↠多ヲ、仏宜ク↢照見↡。

ただしかくのごときの評定ひょうじょう、 もとより専修せんじゅの党類とうるいを好このまず。 謬あやまりて井蛙せいかいの智ちをもつて、 みだりがはしく海虌かいべつの徳とくを斥きらふあひだ、 黙もだして止やみがたし、 つひに天奏てんそうに及およぶ。

但如ノ↠此評定、自↠本不↠好↢専修ノ党類↡。謬テ以↢井蛙セイカイ之智ヲ↡、猥ク斥キラウ↢海虌ベツミヅチ之徳ヲ↡之間、黙モダシテ而難↠止ヤミ、遂ニ及↢ 天奏ニ↡。

もし愚痴ぐちの道俗どうぞくこの意こころを得えず、 あるいは往おう生じょうの道みちを軽かろめ、 あるいは念仏ねんぶつの行ぎょうを退しりぞけ、 あるいはまた余よ行ぎょうを兼かねずして、 浄じょう土どに生しょうずることなしとは、 まつたくに本懐ほんかいにあらず、 還かえりて禁制きんぜいすべし。 たとひまたこの事ことによりて念仏ねんぶつの瑕か瑾きんとなすといへども、 その軽重きょうじゅうを比くらぶるになほ宣せん下げにしかざるか。

若愚痴ノ道俗不↠得↢此意ヲ↡、或軽メ↢往生之道ヲ↡、或退ケ↢念仏之行ヲ↡、或又不シテ↠兼↢余行ヲ↡、無ト↠生ズルコト↢浄土ニ↡者、全ニ非↢本懐ニ↡、還テ可↢禁制↡。縦又依テ↢此事ニ↡雖↠為↢念仏ノ瑕瑾↡、比ニ↢其軽重ヲ↡猶不↠如↢宣下ニ↡歟。

七

第七だいしちに念仏ねんぶつを誤あやまれる失しつ。

第七ニ誤↢念仏ヲ↡失。

まづ所念しょねんの仏ぶつにおいて、 名なあり体たいあり。 その体たいのなかに事じあり理りあり。 次つぎに能念のうねんの相そうにつきて、 あるいは口く称しょう、 あるいは心念しんねん。 かの心念しんねんのなか、 あるいは繋け念ねん、 あるいは観念かんねん。 かの観念かんねんのなか、 散さん位いより定じょう位いに至いたり、 有漏うろより無漏むろに及およびて、 浅深せんじん重々じゅうじゅう、 前劣ぜんれつ後ご勝しょうなり。

先於↢所念ノ仏ニ↡、有↠名有↠体。其体ノ中ニ有↠事有↠理。次付テ↢能念之相ニ↡、或口称、或心念。彼心念ノ中、或繋念、或観念。彼観念ノ中、自↢散位↡至リ↢定位ニ↡、自↢有漏↡及テ↢無漏ニ↡、浅深重々、前劣後勝ナリ。

しかれば口くちに名みょう号ごうを唱となふるは、 観かんにあらず定じょうにあらず、 これ念仏ねんぶつのなかの麁そなり、 浅せんなり。 もし世よに随したがひ人ひとによりて、 これまた足たるといへども、 まさしく校量きょうりょうに及およばば、 いかでか差別しゃべつを辨わきまへざる。 ここに専修せんじゅかくのごときの難なんを蒙こうむらん時とき、 万ばん事じを顧かえりみず、 ただ一言ひとことに答こたへん、 これ弥陀みだの本願ほんがんに四し十じゅう八はちあり、 念仏ねんぶつ往おう生じょう第だい十じゅう八はちの願がんなり。 なんぞそこばくの大願だいがんを隠かくして、 ただ一種いっしゅをもつて本願ほんがんと号ごうせんや。

然者口ニ唱ハ↢名号ヲ↡、不↠観ニ不↠定ニ、是念仏之中ノ麁也、浅也。若随↠世ニ依テ↠人ニ、此又雖↠足ト、正ク及↢校量ニ↡者、争イカデカ不↠辨↢差別ヲ↡。爰専修蒙ラン↢如ノ↠此難ヲ↡之時、不↠顧↢万事ヲ↡、只答エン↢一言ニ↡、是弥陀ノ本願ニ有↢四十八↡、念仏往生第十八ノ願也。何隠テ↢爾許ソコバクノ大願ヲ↡、唯以↢一種↡号セン↢本願ト↡哉。

かの一願いちがんにつきて、 「すなはち十じゅう念ねんに至いたる」 (大経巻上) は、 その最さい下げを挙あぐるなり。 観念かんねんをもつて本ほんとし下しも口く称しょうに及および、 多た念ねんをもつて先せんとなして十じゅう念ねんを捨すてず。 これ大だい悲ひのいたりて深ふかく、 仏力ぶつりきのもつとも大だいなるなり。 それ導みちびきやすく生しょうじやすきは観念かんねんなり、 多た念ねんなり。

付テ↢彼一願ニ↡、「乃至↢十念ニ↡」者、挙ル↢其最下ヲ↡也。以テ↢観念ヲ↡為↠本ト下及ビ↢口称ニ↡、以↢多念ヲ↡為テ↠先ト不↠捨↢十念ヲ↡。是 レ大悲ノ至テ深ク、仏力ノ尤大ナル也。其易0771↠導易↠生者観念也、多念也。

これによりて ¬観かん経ぎょう¼ (意) にいはく、 「もし人ひと苦く迫はくに念仏ねんぶつを得えずは、 まさに無む量りょう寿じゅ仏ぶつと称となふべし」 と。 云々 すでに称名しょうみょうのほかに念仏ねんぶつの言ことばあり。 知しりぬその念仏ねんぶつはこれ心念しんねんなり、 観念かんねんなり。 かの勝しょう劣れつ両りょう種しゅのなかに、 如来にょらいの本願ほんがんなんぞ勝しょうを置おきて劣れつを取とらんや。

依↠之¬観経ニ¼云、「若人苦迫ニ不ハ↠得↢念仏ヲ↡、応↠称↢無量寿仏ト↡。」云々 既称名之外ニ有↢念仏ノ言↡。知ヌ其ソノ念仏ハ是心念也、観念也。彼勝劣両種之中ニ、如来本願寧置テ↠勝ヲ而取ラン↠劣ヲ哉。

いかにいはんや善導ぜんどう和か尚しょう発心ほっしんのはじめ、 浄じょう土どの図ずを見みて嘆たんじて (端応伝) いはく、 「ただこの観門かんもん、 さだめて生しょう死じを超こえん」 と。 つひにこの道みちに入いりて三昧さんまいを発得ほっとくせん。 さだめて知しりぬかの師しの自じ行ぎょう十じゅう六ろく想観そうかんなり。 念仏ねんぶつの名な観かんと口くとを兼かぬ。 もししからざれば、 ¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ を作つくり、 また ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ を作つくる。 本ほん経ぎょうといひ別草べっそうといひ、 題目だいもくになんぞ観かんの字じを表ひょうせんや。

何況善導和尚発心之初、見テ↢浄土ノ図ヲ↡嘆テ云、「唯此観門、定テ超ム↢生死ヲ↡。」遂ニ入テ↢此道ニ↡発↢得セン三昧ヲ↡。定テ知ヌ彼師ノ自行十六想観也。念仏之名兼↢観与口↡。若不↠然者、作リ↢¬観経ノ疏ヲ¼↡、亦作ル↢¬観念法門¼↡。云↢本経ト↡云↢別草ト↡、題目ニ何表セン↢観ノ字ヲ↡哉。

しかるに ¬観かん経ぎょう¼ 付ふ属ぞくの文もん、 善導ぜんどう一いち期ごの行ぎょう、 ただ仏ぶつ名みょうにあることは下機げきを誘こしらふる方便ほうべんなり。 かの師しの解げ釈しゃくの詞ことばに表ひょう裏りあり、 慈悲じひ・智恵ちえ、 善ぜん巧ぎょう一いちにあらず。 杭くいを守まもる党ともがら、 過とがを祖師そしに開かいするか。 誤あやまりてまた口く称しょうにつくといへども、 三心さんしんよく具ぐし、 四し修しゅ闕かくることなき、 真実しんじつの念仏ねんぶつの名なを専修せんじゅとすべし。 ただ余よ行ぎょうを捨すつるをもつて専せんとなし、 口くち手てを動うごかすをもつて修しゅとするは、 いふべし、 不ふ専せんの専せんなり、 非ひ修しゅの修しゅなり。 虚仮こけ雑毒ぞうどくの行ぎょうを憑たのみ決けつ定じょう往おう生じょうの思おもいを作なさば、 なんぞ善導ぜんどうの宗しゅう、 弥陀みだの正しょう機きならんや。

而¬観経¼付属之文、善導一期之行、唯在コト↢仏名ニ↡者誘コシラフル↢下機ヲ↡之方便也。彼師ノ解釈ノ詞ニ有↢表裏↡、慈悲・智恵、善巧非↠一ニ。守ル↠杭ヲ党トモガラ、開スル↢過於祖師ニ↡歟。誤亦雖↠付ト↢口称ニ↡、三心能具シ、四修無キ↠闕コト、真実ノ念仏ノ名ヲ為ベシ↢専修ト↡。只以テ↠捨ヲ↢余行ヲ↡為シ↠専ト、以テ↠動スヲ↢口手ヲ↡為スルハ↠修ト、可↠謂、不専之専也、非修之修也。憑↢虚仮雑毒之行↡作ナサバ↢決定往生之思ヲ↡、寧善導之宗、弥陀之正機ナラン哉。

およそ浄じょう土どといひ念仏ねんぶつといひ、 業因ごういんといひ往おう生じょうといふ、 江こう湖この浅深せんじん分わかちがたく、 行ぎょう道どうの遠近おんごん迷まよひやすし。 もし諸しょ宗しゅうの性しょう相ぞうを学がくせざれば、 いかでかたやすく一門いちもんの真実しんじつを知しらんや。 ここにわが法相ほっそう大だい乗じょう宗しゅうは、 源みなもと釈しゃく尊そん・慈じ尊そんの肝心かんじんより出いでて、 つまびらかに本ほん経ぎょう・本論ほんろんの誠文かいもんを載のす。 印いん度どにはすなはち千せん部ぶの論ろん師じ・十じゅう大だい菩ぼ薩さつ有う空くうの執しゅうを立りゅう破はし、 震旦しんたんにはまた三蔵さんぞう和か尚しょう・百ひゃっ本ぽんの疏主しょしゅ相そう承じょう謬あやまることなし。

凡云↢浄土↡云↢念仏ト↡、云↢業因ト↡云↢往生ト↡、江湖之浅深難ク↠分、行道之遠近易シ↠迷。若不↠学↢諸宗之性相ヲ↡者、争輒タヤスク知ラン↢一門之真実ヲ↡哉。爰我法相大乗宗者、源出テ↢釈尊・慈尊之肝心ヨリ↡、詳ニ載ス↢本経・本論之誠文ヲ↡。印度ニハ則千部論師0772・十大菩薩立↢破シ有空ノ執ヲ↡、震旦ニハ亦三蔵和尚・百本ノ疏主相承無↠謬コト。

道どう綽しゃく・善導ぜんどうの説せつたりといへども、 いまだ依え馮ひょうに足たらず。 しかれどもかれまた三昧さんまい発得ほっとくの人ひとなり、 あに一いっ生しょう補ふ処しょの説せつに背そむかんや。 互たがいに会え通つうを求もとめて乖かい諍じょうを好このむことなかれ。

雖ドモ↢道綽・善導ノ説タリト↡、未↠足↢依馮ニ↡。然レ而ドモ彼亦為↢三昧発得之人↡、豈背カンヤ↢一生補処之説ニ↡。互ニ求テ↢会通ヲ↡勿↠好コト↢乖諍ヲ↡。

八

▼第八だいはちに釈しゃく衆しゅを損そこなふる失しつ。

第八ニ損ル↢釈衆ヲ↡失。

専修せんじゅにいふ、 「囲基いぎ・双六すぐろく専修せんじゅに乖そむかず、 女犯にょぼん・肉食にくじきは往おう生じょうを妨さまたげず。 末まっ世せの持じ戒かいは市し中ちゅうの虎とらなり、 恐おそるべし悪にくむべし。 若人しゅにん罪つみを怖おそれ悪あくを憚はばかるは、 これ仏ぶつを馮たのまざる人ひとなり」 と。 かくのごときの麁そ言ごん国こく土どに流布るふして、 人ひとの意こころを取とらんがため還かえりて法ほうの怨あだとなる。

専修ニ云、「囲基イギ・双スグ六不↠乖↢専修ニ↡、女犯・肉食ハ不↠妨↢往生ヲ↡。末世ノ持戒ハ市中ノ虎也、可↠恐可↠悪。若人怖レ↠罪ヲ憚ルハ↠悪ヲ、是不↠馮↠仏ヲ之人也。」如ノ↠此麁言流↢布シテ国土↡、為↠取ンガ↢人ノ意ヲ↡還成ル↢法ノ怨ト↡。

それ極楽ごくらくの教きょう門もんさかんに戒かい行ぎょうを勧すすむ、 浄じょう土どの業因ごういんこれをもつて最さいとす。 ゆゑはいかんとならば、 戒律かいりつにあらざれば六根ろっこん守まもりがたく、 根門こんもんをほしいままにすれば三毒さんどく起おこりやすし。 妄縁もうえん身みに纏まつわれば念仏ねんぶつの窓まど静しずかならず、 貪瞋とんじん心こころを濁にごせば宝ほう池ちの水みず澄すみがたし。 この業ごうの感かんずるところ、 あにそれ浄じょう土どならんや。 これによりて浄じょう土どの業因ごういん、 さかんに戒かい行ぎょうを用もちふ。 教きょう文もん上かみに載のするごとし。

夫極楽ノ教門盛ニ勧↢戒行ヲ↡、浄土ノ業因以テ↠之ヲ為↠最ト。所以者何ナラバ、非レ↢戒律ニ↡者六根難ク↠守、恣ニスレバ↢根門ヲ↡者三毒易シ↠起リ。妄縁纏ルレバ↠身ニ念仏之窓不↠静ナラ、貪瞋濁ニゴセバ↠心ヲ宝池之水難シ↠澄。此業ノ所↠感ズル、豈其浄土ナラン哉。依↠之浄土ノ業因、盛ニ用フ↢戒行ヲ↡。教文如シ↢上載↡。

ただし末まっ世せの沙門しゃもん、 無む戒かい・破は戒かい、 自他じた許ゆるすところなり。 専修せんじゅのなかにまた持じ戒かいの人ひとなきにあらず。 いま歎なげくところはまつたくその儀ぎにあらず。 実じつのごとくに受うけずといへども、 説せつのごとくに持じせずといへども、 これを怖おそれこれを悲かなしみて、 すべからく慚ざん愧ぎの処ところに生しょうずべし、 あまつさへ破は戒かいを宗しゅうとなして、 道俗どうぞくの心こころに叶かなふ。 仏法ぶっぽうの滅めっする縁えん、 これより大だいなるはなし。

但末世ノ沙門、無戒・破戒、自他所↠許也。専修之中ニ亦持戒ノ人非↠無ニ。今所↠歎者全ク非ズ↢其儀ニ↡。雖↠不ト↢如ニ↠実ノ受↡、雖↠不ト↢如ク↠説ノ持セ↡、怖レ↠之ヲ悲テ↠之ヲ、須ク↠生↢慚愧之処ニ↡、剰破戒ヲ為テ↠宗ト、叶フ↢道俗之心ニ↡。仏法ノ滅ル縁、無シ↠大ナルハ↠於ヨリ↠此。

洛辺らくへん近国きんごくは、 なほもつて尋常よのつねなり。 北陸ほくりく・東海とうかい等とうの諸国しょこくに至いたりては、 専修せんじゅの僧そう尼にさかんにこの旨むねをもつてすと 云々。 おのづから勅ちょく宣せんせずは、 いかでか禁遏きんあつを得えん。 奏門そうもんの趣おもむき、 もっぱらこれらにあるか。

洛辺近国ハ、猶以尋常ヨノツネナリ。至テ↢于北陸・東海等ノ諸国ニ↡者、専修ノ僧尼盛以ト↢此旨ヲ↡ 云々。自不↢勅宣↡、争得↢禁遏ヲ↡。奏門之趣、専在↢此等↡歟。

九

第だい九くに国こく土どを乱みだるる失しつ。

第0773九ニ乱ル↢国土ヲ↡失。

仏法ぶっぽう・法王ほうおうはなほ身心しんしんのごとく互たがいにその安あん否ぴを見み、 よろしくかの盛じょう衰すいを知しるべし。 当とう時じ浄じょう土どの法門ほうもんはじめて興おこり、 専修せんじゅの要よう行ぎょうもつともさかんなり。 王おう化け中ちゅう興こうの時ときといふべきか。 ただし三学さんがくすでに廃はいし、 八はっ宗しゅうまさに滅めっせんとす。 天てん下げの理おさまり乱みだる、 またいかん。

仏法・法王ハ猶如ク↢身心ノ↡互ニ見ミ↢其安否↡、宜クシ↠知↢彼盛衰ヲ↡。当時浄土ノ法門始テ興、専修ノ要行尤盛ナリ。可↠謂↢王化中興之時↡歟。但三学已ニ廃シ、八宗将ニ↠滅セント。天下ノ理ヲサ□リ乱ミダル、亦復如何。

願ねがふところはただ諸しょ宗しゅうと念仏ねんぶつとあたかも乳にゅう水すいのごとく、 仏法ぶっぽうと王道おうどうとながく乾坤けんこんに均ひとしからん。 しかるに諸しょ宗しゅうみな念仏ねんぶつを信しんず。 異い心しんなしといへども、 専修せんじゅして深ふかく諸しょ宗しゅうを嫌きらふ。 同どう座ざに及およばず、 水すい火か並ならびがたし、 進退しんたいここに谷きわまる。 もし専修せんじゅの志こころざしのごときは、 天てん下げ海内かいだいの仏ぶつ事じ法ほう事じ、 早はやく停ちょう止じせらるべきか。

所ハ↠願只諸宗与↢念仏↡宛如↢乳ニウ水↡、仏法与↢王道↡永ク均ヒトシカラン↢乾坤ニ↡。而諸宗皆信ズ↢念仏ヲ↡。雖↠無ト↢異心↡、専修シテ深嫌フ↢諸宗ヲ↡。不↠及↢同座ニ↡、水火難↠並ナラビ、進退惟コヽニ谷キワマル。若如↢専修ノ志↡者、天下海内仏事法事、早可↠被↢停止↡歟。

しかるに貴き賎せんいまだ帰きせず、 法ほう命みょういまだ終しゅう尽じんせざるは、 まつたく他ほかの力ちからにあらず。 かたじけなくもわが后きみの叡慮えいりょ動どうずることなく、 明鑑めいかんのゆゑなり。 もし後代こうだいに及および専修せんじゅ隙すきを得うる時とき、 君臣くんしんの心こころ余よを視みること芥あくたのごとくば、 たとひ停ちょう廃はいに及およばずといへども、 八はっ宗しゅう誠じょう有ゆう若じやく亡もうならんか。

而貴賎未↠帰、法命未↢終尽↡者、全非↢他ノ力ニ↡。忝我后キミノ叡慮無↠動コト、明鑑カン之故也。若及↢後代ニ↡専修得↠隙之時、君臣之心視コト↠余ヲ如芥者、縦雖↠不↠及↢停廃ニ↡、八宗誠有ユウ若ジヤク亡ナラン歟。

いはんやまた弗ほつ沙しゃ蜜みつ王おうの伽が藍らんを壊えせしなり、 愚ぐ臣しんの諌言かんげんを容もちい、 会かい昌しょう天てん子しの僧そう尼にを殄てんせしなり、 道どう士しの嫉しっ妬とより起おこれり。 法滅ほうめつの因縁いんねん、 将しょう来らい測はかりがたし。 この事ことを思おもふがために天てん聴ちょうに泣きゅう達たつす。 もし当とう時じの誡いましめなくは、 いかでか後昆こうこんの惑まどいを絶たたん。

矧イワンヤ復弗沙蜜王之壊セシ↢伽藍↡也、容モチイ↢愚臣之諌カンイサメ言ヲ□ト□↡、会昌天子之殄シ↢僧尼↡也、起レリ↢道士之嫉妬ヨリ↡。法滅ノ因縁、将来難↠測。為↠思↢此事ヲ↡泣↢達ス天聴ニ↡。若無ハ↢当時之誡↡、争絶↢後昆之惑マドイヲ↡。

ああ両りょう門もん随分ずいぶんの鬱陶うっとう、 古こ来らい多おおしといへども、 八はっ宗しゅう同心どうしんの訴そ訟しょう、 前代ぜんだい未み聞もんなり。 事ことの軽重きょうじゅう、 かたじけなく聖断せいだんを仰あおぐ。 天裁てんさい七道しちどう諸国しょこくに仰おおせを望もう請しょうすらく、 沙門しゃもん源空げんくう専修せんじゅ念仏ねんぶつの宗しゅう義ぎを糾きゅう↢改かいせらるれば、 世せ尊そん付ふ属ぞくの寄よせ、 いよいよ法水ほうすいを舜しゅん海かいの浪なみに和わし、 明王めいおう照しょう臨りんの徳とく、 ながく魔ま雲うんを尭ぎょう日にちの風かぜに払はらはん。

嗚呼両門随分之鬱陶ウツタウ、古来雖↠多ト、八宗同心之訴訟、前代未聞ナリ。事之軽重、恭ク仰アフグ↢聖断ヲ↡。望↣請スラク天裁仰オホセヲ↢七道諸国ニ↡、被↣糾キウ↢改カイ沙門源空専修念仏之宗義↡者、世尊付属之寄ヨセ、弥イヨイヨ和↢法水於舜海之浪ニ↡、明王照臨之徳、永払↢魔雲於尭日之風↡矣。

誠惶せいこう誠せい恐きょう謹言きんげんす。

誠惶誠恐謹言ス。

副進ふくしん

  奏そう状じょう一通いっつう

右みぎ件くだんの源空げんくう一門いちもんに偏へん執しゅうし、 すべて八はっ宗しゅうを滅めっす、 天てん魔まの所しょ為い、 仏神ぶつしん痛いたむべし。 よりて諸しょ宗しゅう同心どうしんに天奏てんそうに及およばんと欲ほつせしところ、 源空げんくうすでに怠たい状じょうを進しんず、 鬱陶うっとうに足たらざる由よし、 院宣いんぜんによりて御ぎょ制せいあり。 衆しゅ徒と驚きょう歎たん、 還かえりてその色いろを増ます。 なかんづく叡山えいざん使つかいを発はっし推問すいもんを加くわふる日ひ、 源空げんくう起き請しょうを染書せんしょせし後のち、 かの弟子でしら道俗どうぞくに告つげていはいく、 上しょう人にんの詞ことば、 みな表ひょう裏りあり中ちゅう心しんを知しらず、 外聞がいぶんに拘こだわることなかれと 云々。 その後のち邪見じゃけんの利り口こう、 すべて改変かいへんなし。 このたびの怠たい状じょう、 またもつて同前どうぜんか。  奏そう事じ不ふ実じつ、 罪ざい科かいよいよ重おもし。 たとひ上じょう皇こうの叡えい旨しあれども、 いかでか明臣めいしんの陳言ちんげんなくば、 望もう請しょうす、 慈じを息やめ早はやく奏聞そうもんを経へて、 七道しちどう諸国しょこくに仰おおし、 一向いっこう専修 せんじゅ条々じょうじょうの過か失しつを停ちょう止じせられ、 兼かねてまた罪ざい科かを行おこなはれんことを。 源空げんくう ならびに 弟子でしらにおいては、 ながく破は法ほうの邪じゃ執しゅうを止とどめ、 還かえりて念仏ねんぶつの真道しんどうを知しれ。 よりて言ごん上じょう件くだんのごとし。

副0774進

  奏状一通

右件源空偏↢執一門↡、都滅↢八宗↡、天魔所為、仏神可↠痛。仍諸宗同心欲↠及↢天奏↡之処、源空既進↢怠状↡、不↠足↢鬱陶↡之由、依↢ 院宣↡有↢御制↡。衆徒驚歎、還増↢其色↡。就中叡山発使加推問之日、源空染↢書起請↡後、彼弟子等告↢道俗↡云、上人之詞、皆有↢表裏↡不↠知↢中心↡、勿拘外聞 云々。其後邪見之利口、都無↢改変↡。今度怠状、又以同前歟。 奏事不実、罪科弥重。縦有↢上皇之叡旨↡、争無↢明臣之陳言↡者、望請、息慈早経↢奏聞↡、仰↢七道諸国↡、被↣停↢止一向専修条々過失↡、兼又行罪科。於↢源空 並 弟子等↡者、永止↢破法之邪執↡、還知↢念仏之真道↡ 矣。仍言上如件。

*元げん久きゅう二に年ねん十じゅう月がつ 日にち

元久二年十月 日

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は香川大学図書館蔵神原文庫天文八年良願書写本。