(727)六、三昧発得記

またしょうにんおうじょうときしょう三昧ざんまい発得ほっとくし、つねにじょうしょうる、みづからこれをひっするをもつて勢観せいかんぼうこれをつたふ。しょうにんおうじょうのちみょうへんそうこれをたずね、一見いっけんくわずいなみだながす、すなはち本処ほんしょおくらる。とういささかこのよしおよぶといへども、いまだほんざればそのむねさず。のちかのてこれをうつす。御生年おんとしろくじゅうろくたる 長承ちょうしょうねんみずのとうしたんじょう

又上人在生之時、発得口称三昧、常見浄土依正、以自筆之勢観房伝之。上人往生之後、明遍僧都尋之、加一見流随喜涙、即被送本処。当時聊雖聞及此由、未見本者不記其旨。後得彼記写之。御生0728年当六十六 長承二年癸丑誕生

けんきゅうねんしょうがつ一日ついたち山挑やまももほっきょうきょうけいもとよりかえりてのちひつじとき恒例こうれい毎月まいつき七日しちにち念仏ねんぶつこれをぎょうす。一日ついたちみょうそうすこしきこれをげんず、ねんにはなはだあきらかなり。

建久九年正月一日、従山挑法橋教慶之許帰後、未時恒例毎月七日念仏始↢行之↡。一日、明相少シキ現↠之、自然甚明也。

二日ふつか水想すいそうかんねんにこれをじょうじゅす。そうじて念仏ねんぶつしちにちうちに、想観そうかんなか瑠璃るりそうしょうぶんこれをる。

二日、水想観自然成↢就之↡。総ジテ念仏七箇日之内、地想観之中瑠璃相少分見之。

がつ四日よっかあした瑠璃るりいまあきらかにこれをげん

二月四日朝、瑠璃地今明現↠之

六日むいか後夜ごやに、瑠璃るり殿でんそうこれをげん

六日むいか後夜ごやに、瑠璃るり殿でんそうこれをげん

六日後夜、瑠璃宮殿相現↠之

七日なのかあしたかさねてまたこれをげんず。すなはち殿でんたぐいてそのそうこれをげんず。

七日朝、重又現↠之。即似↢宮殿↡其相現↠之。

そうじて水想すいそうそう宝樹ほうじゅほう殿でんかんはじしょうがつ一日ついたちよりがつ七日なのかいたる、さんじゅうしちにちあいだなり毎日まいにち七万しちまんべん念仏ねんぶつ退たいにこれをつとむ。これによりてこれそうげんずるなり

ジテ水想・地相・宝樹・宝池・宮殿之五観、始自正月一日至于二月七日、三十七箇日之間也。毎日七万反念仏、不退勤↠之。依之此等相現也

はじがつじゅうにちより、みょうしょにして開目かいもく眼根げんこんよりぶつ出生しゅっしょうす、あかふくろ瑠璃るりつぼをこれる。そのまえには閉目へいもくにこれをる、くればこれをしっす。

始自二月廿五日、明処ニシテ開目。自眼根仏出生、赤袋瑠璃ツボ見之。其前ニハ閉目見之、開↠目失↠之。

がつじゅう八日はちにち念仏ねんぶつするによりてこれをぶ。一万いちまんあるいはまんべんひだりにそののちこうみょうはなつことあり、またひかりはしあかし。また瑠璃るりあり、その瑠璃るりつぼのごとし。瑠璃るりつぼあかはなあり、ほうびょうのごとし。またりてのちでてほうるにあり、またあお宝樹ほうじゅあり。そのたかさだまらず、こうこのみしたがふ、あるいは四五しごじょう、あるいはさんじょう

二月廿八日、依為念仏延↠之。一万或二万反、左眼其後有↢光明放コト↡、又光。又眼有↢瑠璃↡、其眼如↢瑠璃壺↡。瑠璃壺有赤花、如↢宝瓶↡。又日入後出見↢四方↡有、亦有↢青宝樹↡。其高无定、高下随↠喜、或四五丈、或二三丈

八月はちがつ一日ついたちもとのごとく七万しちまんべんこれをはじむ。がつじゅうにちあしたおよびて、そうぶんあきらかにげんず、しゅう七八しちはちだんばかりなり。そののちじゅう三日さんにち後夜ごやならびにあした、またぶんみょうにこれをげん

八月一日、如↠本七万返始之。及九月廿二日朝、地想分明、周囲七八段計也。其後廿三日後夜并朝、又分明現↠之

しょうねんがつころそうとうかん行住ぎょうじゅう坐臥ざがこころしたがこころまかせ、任運にんうんにこれをげんず。

正治二年二月之比、地想等五観、行住坐0729随↠意任↠意、任運現↠之。

建仁けんにんねんがつ八日ようか後夜ごやに、とりこえく、ことおとく、ふえおとらをく。そののちしたがざいおとく。

建仁九年二月八日後夜、聞↢鳥舌↡、琴聞、笛音等↡聞。其後随↠日自在聴↠音

しょうがつ五日いつかたびせいさつおんうしろに、じょうろくばかりのめんげん西にし仏堂ぶつどうせいさつかたちたり、じょうろくめんげんぜり。これすなはちこのさつすでに念仏ねんぶつ法門ほうもんをもつてしょしょう法門ほうもんとするがゆゑに、いま念仏ねんぶつしゃのためにそのそうげんしたまふことこれをうたがふべからず。

正月五日、三度勢至菩薩御後、丈六計御面現 。西持仏堂勢至菩薩タリ、丈六面現。是則此菩薩既以↢念仏法門↡為所証法門故、今為↢念仏者↡示現其相不↠可↠疑↠之。

おなじきじゅう六日ろくにち、はじめてしょよりくだりてほう一段いちだんばかり、あお瑠璃るりなり いまにおいては、きょうならびにしゃくによりておうじょううたがいなし。かん文々もんもんこころるに、うたがいなきゆゑに 。これをおもふべし。

同廿六日、始座処ヨリ四方一段許、青瑠璃地也 。於今者、依経并釈往生無疑。地観文々心得、無疑故 。可↠思↠之。

建仁けんにんねんがつじゅう一日いちにち高畠たかはた少将しょうしょう殿どの仏堂ぶつどうにおいてこれにえっす。そのあいだれいのごとく念仏ねんぶつしゅす。弥陀みだぶつのちしょうよりとおりて仏面ぶつめんげんず。おおきさたけじょうろくぶつおもてのごとし、すなはちたちまちにかくれたまひぬ。じゅう八日はちにちうまときなり。

建仁二年二月廿一日、高畠少将殿於↢持仏堂↡謁↠之。其間如例修↢念仏↡。見阿弥陀仏之後、障子ヨリ徹通仏面而現。大如↢長丈六↡、即忽隠給。廿八日午時也。

げんきゅう三年さんねんしょうがつ四日よっか念仏ねんぶつあいだ三尊さんぞん大身だいしんげんじたまふ。また五日いつかさきのごとし

元久三年正月四日、念仏之間三尊現↢大身↡。又五日如前

この三昧さんまい発得ほっとく年来ねんらいあいだ勢観せいかんぼうぞうしてろうせず。もつにおいてまのあたりならずにこれをつたおわりぬ。

此三昧発得之記、年来之間勢観房秘蔵不披露。於没後不面伝得之書畢。