高 僧 和 讃

 

◎浄0403土高僧和讃 愚禿親鸞作

註釈版の底本は◎龍谷大学蔵文明五年蓮如上人開版本(文明本)ˆ浄聖全上段ˇであるが、 対照のため○高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)ˆ浄聖全中段ˇを収録した。 なお、 ●高田派専修寺蔵正応三年顕智上人書写本(顕智本)ˆ浄聖全下段ˇの左訓も適宜採録し、 灰色で示している。

龍樹菩薩 付釈文 十首

(1)

本ほん師し龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちは

リウジユハキノモトニムマレテマシマシケルヲリウワウトリテヤシナイタリケリ ノチニナムテンヂクノ王ノコニナリタマヒケリ キノモトニムマレリウワウヤシナイタマヒケルニヨリテリウジユトナヅケタテマツルナリ

¬智度ちど¼・¬十住じふじゆ毘婆びば娑しや¼等とう

つくりておほく西にしをほめ

すゝめて念仏せしめけり

(20404)

南なむ天竺てんぢくに比丘びくあらむ

コレヨリミナミウミノナカニリヨウガサンノヌシダイクヰワウアリ ダイジヨウノホフヲアイスルニヨリテシヤカニヨライワタラセタマヒテホフヲトイテキカセタマフツイデニワレニフメチノノチニイクイクラアリテリウジユヨニイデヽグヱダウヲブクスベシトカネテトキタマフ

龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちとなづくべし

有無うむの邪見じやけんを破はすべしと

サダマラズ

世せ尊そんはかねてときたまふ

(3)

本ほん師し龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちは

大乗じよう无む上の法をとき

歓くわん喜ぎ地ぢを証しようしてぞ

ミニヨロコブヲクワントイフ

コヽロニヨロコブヲキトイフ

クワンギヂハシヤウヂヤウジユノクラヰナリ

ウベキモノヲエテムズトオモヒテヨロコブヲクワンギトイフ

ひとえに念仏すゝめける

(40405)

龍樹りうじゆ大士じ世にいでゝ

オホキナルヒトヽイフナリ

難なん易いふたつのみちをとき

カタシ

ナンハシヤウダウモン

ヤスシ

イハジヤウドモン

流る転てん輪りん回ゑのわれらおば

ウツル反

メグル反

メグル反カヘル反

サソラフ反ナガレ反

弘ぐ誓ぜいのふねにのせたまふ

(5)

本ほん師し龍樹りうじゆ菩ぼ薩さちの

おしへをつたへきかむひと

本願こゝろにかけしめて

つねに弥陀を称しようすべし

(60406)

不ふ退たいのくらゐすみやかに

えむとおもはむひとはみな

恭く敬ぎやうの心に執しふ持ぢして

ツヽシミウヤマフ

トリタモツチラシウシナハズ反ヒトタビトリテナガクステヌニカク

«フサンフシチニナヅク»

«セウジヨウオバクヤウトイフ ダイジヨウオバクギヤウトイフ»

弥陀の名号称しようすべし

(7)

生しやう死じの苦く海かいほとりなし

ひさしくしづめるわれらおば

弥陀の弘誓のふねのみぞ

のせてかならずわたしける

(80407)

¬智度ちど論ろん¼にのたまはく

仏は无上法王なり

菩ぼ薩さちは法臣ほふしんとしたまひて

尊そん重ぢうすべきは世尊なり

(9)

一切さい菩ぼ薩さちのゝたまはく

われら因いん地ぢにありしとき

ボムブニテアリシトキトイフ

无む量りやう劫こふをへめぐりて

万善まんぜん諸しよ行ぎやうを修しゆせしかど

ツクロウ反オコナウ反

(100408)

恩愛おんあいはなはだたちがたく

生しやう死じはなはだつきがたし

念仏三昧まい行ぎやうじてぞ

罪ざい障しやうを滅めちし度ど脱だちせし

ワタリ反

マヌカル

已上龍樹菩薩

 

天親菩薩 付釈文 十首

(110409)

釈しや迦かの教法けうぼふおほけれど

天親てんじん菩ぼ薩さちはねむごろに

煩悩ぼむなう成じやう就じゆのわれらには

弥陀の弘ぐ誓ぜいをすゝめしむ

(12)

安養あんやう浄土の荘しやう厳ごむは

唯仏ゆいぶち与よ仏ぶちの知見なり

究く竟きやうせること虚空にして

クキヤウオバキワメキワムオワリオワル

広大にして辺際へんざいなし

(130410)

本願力にあひぬれば

むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて

煩悩の濁ぢよく水しゐへだてなし

(14)

如来浄じやう華くゑの聖しやう衆じゆは

ジヤウケトイフハアミダノホトケニナリタマヒシトキノハナナリ コノハナニシヤウズルシユジヤウハドウイヰチニネムブチシテベチノミチナシトイフナリ

正しやう覚がくのはなより化生して

衆生の願ぐわん楽げうことごとく

すみやかにとく満足まんぞくす

ミチタル

(150411)

天・人不ふ動どうの聖しやう衆じゆは

オゴク反ハタラク反

弘ぐ誓ぜいの智ち海かいより生ず

心業の功く徳どく清浄しやうじやうにて

虚空こくのごとく差別しやべちなし

(16)

天親論主ろんじゆは一心に

无光に帰くゐ命みやうして

本願力に乗じようずれは

報ほう土どにいたるとのべたまふ

(170412)

尽じん十方の无光仏

一心に帰くゐ命みやうするをこそ

天親じん論主ろんじゆのみことには

願ぐわん作さ仏心ぶちしむとのべたまへ

(18)

願ぐわん作さ仏ぶちの心しむはこれ

度ど衆生のこゝろなり

度ど衆生の心はこれ

利他りた真実しんじちの信心なり

(190413)

信心すなはち一心なり

一心すなはち金剛心こむがうしむ

金剛心は菩ぼ提だい心しむ

この心すなわち他た力りきなり

(20)

願ぐわん土どにいたればすみやかに

グワンドハミダノホンゼイヒグワンノドナリ

无上涅槃ねちはんを証しようしてぞ

すなわち大悲ひをおこすなり

これを回ゑ向かうとなづけたり

0414已上天親菩薩

 

曇鸞和尚 付釈文 三十四首

(21)

斉朝せいてうの曇鸞どむらん和くわ尚しやうは

菩ぼ提だい流支るしのおしえにて

仙せん経ぎやうながくやきすてゝ

浄土にふかく帰くゐせしめり

(220415)

四し論ろんの講説かうせちさしおきて

ナラヒトク

本願他力をときたまふ

具ぐ縛ばくの凡衆ぼむしゆをみちびきて

グバクトイフハボムナウグソクノボムブトイフナリ

涅槃ねちはんのかどにぞいらしめし

(23)

世せ俗ぞくの君くん子し幸臨かうりむし

コクワウ

アルクナリ

勅ちよくして浄土のゆへをとふ

十方仏国浄土なり

なにゝよりてか西にしにある

(240416)

鸞らん師しこたえてのたまはく

わがみは智慧ちゑあさくして

いまだ地位ぢゐにいらざれば

フタイノクラヰニイタラズトナリ

念力ねむりきひとしくおよばれず

オモフチカラヨノジヤウドニハカナハズトナリ

(25)

一切道俗だうぞくもろともに

帰くゐすべきところぞさらになき

安楽あんらく勧くわん帰くゐのこゝろざし

巒らむ師しひとりさだめたり

(260417)

魏ぐゐの主しゆ勅ちよくして并州へいしうの

コクワウ

クニノナナリ

タウドノナヽリ

大巌だいがむ寺じにこそおはしけれ

ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ

イワヤ

テラ

やうやくおはりにのぞみては

汾州ふんしうにうつりたまひにき

クニノナナリ ネムブチノハンジヤウシタリケルトコロナリ

(27)

魏ぐゐの天てん子しはたふとみて

スベテコクワウオバテンシトマフスナリ

神巒じんらんとこそまふしけれ

ホメマイラスルコヽロナリ スベテメデタウマシマストイウフコヽロナリ

おはせしところのそのなおば

鸞公巌らんこうがむとぞなづけたる

(280418)

浄じやう業ごふさかりにすゝめつゝ

ジヤウドノゴフサカリニナリテハ

玄ぐゑん忠ちう寺じにそおはしけれ

ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ ダウシヤクハランシノオムデシナリ コノテラニダウシヤクハツギテオハシマシケリ

魏ぐゐの興こう和わ四年に

ヨノナヽリ

ネンガウナリ

遥山えうさん寺じにこそうつりしか

(29)

六十有いう七ときいたり

浄土の往生とげたまふ

そのとき霊瑞れいずい不思議ふしぎにて

レイズイハヤウヤウノメデタキコトノゲンジホトケモミヘナムトシタマフホドノコトナリ

一切道俗だうぞく帰くゐ敬きやうしき

オホセニシタガフヨリタノミマイラセテウヤマヒタテマツルナリ

(300419)

君くん子しひとへにたふとみて

勅ぢよく宣せんくだしてたちまちに

汾州ふんしう汾西ふんせい秦しむ陵りやうの

クニノナヽリ

サトノナ

ツカノナ

コホリノナヽリ

勝しよう地ちに霊廟れいべうたてたまふ

スグレタルトコロニドムランノミハカヲタテタリ

(31)

天親菩薩のみことおも

鸞らん師しときのべたまはずは

他力広くわう大威ゐ徳とくの

心行いかでかさとらまし

シムオモギヤウオモイカデカシラマシトナリ

(320420)

本願円頓ゑんどん一乗じようは

ハチマンシヤウゲウノスベテスコシモカクルコトナキヲヱンドントマフスナリ

逆ぐゐやく悪あく摂せふすと信知して

煩悩ぼむなう・菩ぼ提だい体たい无二むにと

フタツナシトナリ

ボムナウボダイモヒトツミゾトナリ

すみやかにとくさとらしむ

(33)

いつゝの不思議ふしぎをとくなかに

仏法ぶちぽふ不思議ふしぎにしくぞなき

仏法不思議といふことは

弥陀の弘ぐ願ぐわんになづけたり

(340421)

弥陀の廻ゑ向かう成じやう就じゆして

往相わうさう・還ぐゑん相さうふたつなり

ワウサウハコレヨリワウジヤウセサセムトオボシメスヱカウナリ

グヱンサウハジヤウドニマイリハテハフゲンノフルマイヲセサセテシユジヤウリヤクセサセムトヱカウシタマヘルナリ

これらの回向によりてこそ

心行ともにえしむなれ

(35)

往相わうさうの回向ととくことは

弥陀の方便はうべんときいたり

悲願の信行えしむれば

生死すなはち涅槃なり

(360422)

還ぐゑん相さうの回ゑ向かうととくことは

利他りた教化けうくゑの果くわをえしめ

すなわち諸しよ有うに回ゑ入にふして

ジフパウノヨロズノシユジヤウナリ

普ふ賢げんの徳とくを修しゆするなり

フゲントイフハホトケノジヒノキワマリナリ

(37)

論主の一心ととけるおば

ロンジユトイフハテンジンボサチナリ

曇鸞大師のみことには

煩悩成就のわれらが

他力の信とのべたまふ

(380423)

尽じん十方の无光は

无明のやみをてらしつゝ

一念歓くわん喜ぎするひとを

かならず滅めち度どにいたらしむ

(39)

无光の利り益やくより

威ゐ徳とく広くわう大の信しんをえて

かならず煩悩ぼむなうのこほりとけ

すなわち菩ぼ提だいのみづとなる

(400424)

罪ざい障しやう功く徳どくの体たいとなる

こほりとみづのごとくにて

こほりおほきにみづおほし

さわりおほきに徳とくおほし

アクゴフボムナウナリ

クドクトナル

(41)

名号不思議ふしぎの海水は

逆ぐゐやく謗はうの屍し骸がいもとゞまらず

ハウボフ

ゴグヰヤク

シニカバネ

衆悪しゆあくの万川ばんせん帰くゐしぬれば

ヨロヅノカハナリ

功く徳どくのうしほに一ゐち味みなり

(420425)

尽じん十方无光仏の

大慈じ大悲ひの願ぐわん海かいに

煩悩ぼむなうの衆しゆ流る帰くゐしぬれば

モロモロ

サソフ反ナガル反

智慧ちゑのうしほと転てんずなり

(43)

安楽あんらく仏国ぶちこくに生ずるは

畢ひち竟きやう成仏の道だう路ろにて

オワリ反オワル反

キワメ反キワム反

无上の方便なりければ

諸仏しよぶち浄土をすゝめけり

(440426)

諸仏三業ごふ荘しやう厳ごむして

畢ひち竟きやう平びやう等どうなることは

ビヤウドウハスベテモノニオイテヘダテナキコヽロナリ

衆生虚こ誑わうの身しん口意くいを

ムナシ

クルウ

アクゴフボムナウノコヽロナリ

治ちせんがためとのべたまふ

オサム反タスクルコヽロナリ

シヤス反シヤストイフハケチウシナウコヽロナリ

(45)

安楽仏国にいたるには

无上宝珠ほうしゆの名号と

ニヨイホウシユノタマナリ コノホウシユハニゴレルミヅニイルレバミヅハスメドモミサビヰズ スイシヤウハニゴリミヅニイルレバミサビヰル カルガユヘニスイシヤウオバマンギヤウマンゼンニタトヘホウシユオバミヤウガウニタトフ

真実信心ひとつにて

无む別道べちだう故ことときたまふ

(460427)

如来清浄しやうじやう本願の

无生の生なりけれは

ロクダウノシヤウヲハナレタルシヤウナリ

ロクダウシシヤウニムマルヽコトシンジチシンジムノヒトハナキユヘニムシヤウトイフ

本則ほんそく三三の品ほむなれど

モトハコヽノシナノシユジヤウナリ

一二もかはることぞなき

(47)

无光如来の名号と

かの光明くわうみやう智ち相さうとは

無む明みやう長ぢやう夜やの闇あむを破はし

衆生の志し願ぐわんをみてたまふ

(480428)

不ふ如実によじち修しゆ行ぎやうといえること

ジチノゴトクシユギヤウセズト

鸞らん師し釈しやくしてのたまはく

一者しや信心あつからず

若にやく存ぞん若にやく亡まうするゆえに

ゴトシ

イキタルガゴトシ

ゾンゼルガゴトシ

シニタルガゴトシ

マウゼルガゴトシ

アルトキニハワウジヤウシテムズトオモヒアルトキニハワウジヤウハエセジトオモフヲニヤクゾンニヤクマウトイフナリ

(49)

二者信心一ならず

決定くゑちぢやうなきゆえなれば

サダメサダム

三者じや信心相続さうぞくせず

アイツガズ

余よ念ねむ間けん故ことのべたまふ

ヨノ

マジワルト

(500429)

三信しん展転てんでん相さう成じやうす

カエ反 アヒジヤウズ反

カワル反

行者こゝろをとゞむべし

信心あつからざるゆへに

決定の信なかりけり

(51)

決定の信なきゆへに

念ねむ相続さうぞくせざるなり

念相続せざるゆへ

決定の信をえざるなり

(520430)

決定の信をえざるゆへ

信心不ふ淳じゆんとのべたまふ

アツカラザルナリ

如実によじち修しゆ行ぎやう相応さうおうは

信心ひとつにさだめたり

(53)

万まん行ぎやう諸善しよぜんの小せう路ろより

本願一実の大道だうに

帰入しぬれば涅槃の

さとりはすなわちひらくなり

(540431)

本ほん師し曇鸞どむらん大師しおば

梁りやうの天てん子し蕭サウ王わうは

ヨノナヽリ

セウ反

コクワウノオムナヽリ

コクワウナリ

おはせしかたにつねにむき

鸞らん菩ぼ薩さちとぞ礼らいしける

已上曇鸞和尚

 

道綽禅師 付釈文 七首

(550432)

本ほん師し道だう綽しやく禅ぜん師じは

ダウシヤクハネチハンシユヲガクセサセタマヒケルヲサシオキテヒトエニジヤウドニクヰシタマヒタリ

聖しやう道だう万まん行ぎやうさしおきて

唯ゆい有う浄じやう土ど一門もんを

タヾジヤウドノモンノミイルベキミチトイフ

通入すべきみちととく

(56)

本ほん師し道だう綽しやく大師しは

涅槃ねちはんの広くわう業ごふさしおきて

本願他た力りきをたのみつゝ

五ご濁じよくの群ぐん生じやうすゝめしむ

(570433)

末法まちぽふ五ご濁ぢよくの衆生は

聖しやう道だうの修しゆ行ぎやうせしむとも

ひとりも証しようをえじとこそ

教主けうしゆ世せ尊そんはときたまへ

(58)

鸞らん師しのおしへをうけつたへ

綽しやく和か尚しやうはもろともに

在ざい此し起き心しむ立りふ行ぎやうは

コヽニアリテコヽロヲオコシギヤウヲタツルハ

此是しぜ自力とさだめたり

コレハコレジリキナリ

(590434)

濁じよく世せの起き悪あく造罪ざうざいは

アクヲオコシツミヲツクルコト

暴風ぼふ駛雨しうにことならず

アラキカゼトキアメノゴトシトナリ

諸仏しよぶちこれらをあわれみて

すゝめて浄土に帰くゐせしめり

(60)

一形悪あくをつくれども

専せん精しやうにこゝろをかけしめて

モハラ

ヨク

つねに念仏せしむれば

諸しよ障しやう自じ然ねんにのぞこりぬ

モロモロノサワリ

(610435)

縦じゆ令りやう一生造悪ざうあくの

タトヒ

衆生引接いんぜふのためにとて

ミチビキトル トルトイフハテニトルコヽロナリ

称しよう我が名みやう字じと願じつゝ

若にやく不ふ生しやう者じやとちかひけり

已上道綽大師

 

善導大師 付釈文 二十六首

(620436)

大心海より化くゑしてこそ

善導ぜんだう和くわ尚しやうとおはしけれ

末代まちだい濁ぢよく世せのためにとて

十方諸仏に証しようをこふ

カナウ反

クワンギヤウノギシヨツクラントテ十方シヨブチニシヨウヲコヒタマヒタリ

(63)

よよに善導ぜんだういでたまひ

法照ほふせう・少康せうかうとしめしつゝ

功く徳どく蔵ざうをひらきてぞ

クラ

ミヤウガウヲクドクザウトマフスナリ ヨロズノゼンゴンヲアツメタルニヨリテナリ

諸仏の本ほん意いとげたまふ

(640437)

弥陀の名願みやうぐわんによらざれは

百千万劫まんごふすぐれとも

いつゝのさわりはなれねば

女身によしんをいかでか転てんずべき

(65)

釈しや迦かは要門えうもんひらきつゝ

定ぢやう散さん諸しよ機きをあわれみて

正しやう雑ざふ二行方便はうべんし

ゴシユノシヤウギヤウゴシユノザフギヤウナリ

五ノシヤウギヤウトイフハライハイドクジユクワンザチシヨウミヤウサンダンクヤウロクシユトイフトキハサンダントクヤウヲフタツニスルナリ

ひとえに専修せんじゆをすゝめしむ

(660438)

助正ならべて修するおば

ミダヰチブチノコトヲシユスルヲシヤウギヤウトイフ ヨブチヨゼンヲスルヲザフギヤウトイフ

すなわち雑修ざふしゆとなづけたり

イツヽノシヤウギヤウノナカシヨウミヤウノホカ四オバジヨゴフニス タヾ一心ニシヨウミヤウスルヲ一向専修トマフスナリ

一心をえざるひとなれば

仏恩ぶちおん報ほうずるこゝろなし

(67)

仏号ぶちがうむねと修しゆすれども

現げん世ぜをいのる行者おば

これも雑修ざふしゆとなづけてぞ

マジヘオコナフ

千中无一ときらはるゝ

センガナカニヒトリモムマレズトナリ ヱカムゼンジノシヤクニハマンブヰチシヤウトシヤクセラレタリ

(680439)

こゝろはひとつにあらねども

雑ざふ行ぎやう雑修ざふしゆこれにたり

ザフギヤウハヨロヅノギヤウ

ザフシユハゲンゼヲイノリ助業ヲシユスルヲイフナリ

浄土の行にあらぬおば

ひとえに雑修ざふしゆとなづけしむ

(69)

善導ぜんだう大師し証しようをこい

十方シヨブチニマフシタマハクコノクワンギヤウギヲツクリサフラウニシヨウニンニナリタマヘトイノラセタマヒタリ

定ぢやう散さん二心をひるがへし

貪瞋とむじん二河の譬喩ひゆをとき

シンハイカリハラダツ

タトヒ

サトルトヨム

トムハメヲアイシオトコヲアイシ

弘願の信心守しゆ護ごせしむ

マモル

シユハタトエバクニノヌシトナリテマモル

マモル

ゴハクニノヌシナラネドモスベテアツマリテマモルナリ

(700440)

経きやう道だう滅尽めちじんときいたり

ブチポフメチジントキイタリマチポフマンネンノアヒダハタヾゴンケウアリテジチケウナシ マンネンノノチヒヤクネンミダノケウマシマスベシ

如来出世の本ほん意いなる

本願真宗しんしゆにあひぬれば

マコトヲムネトス

ケニタイシテシントイフ 八万四千のホフモンハケモントス ジヤウドヰチシユヲシンモントス

凡ぼむ夫ぶ念じてさとるなり

(71)

仏法力の不思議ふしぎには

諸邪しよじや業ごふ繋けさはらねば

モロモロノアクゴフニサワリナシ

弥陀の本弘ぐ誓ぜい願ぐわんを

増ぞう上じやう縁えんとなづけたり

マサル

ヨロヅノゼンニマサレルニヨリテゾウジヤウエントイフナリ

(720441)

願力成じやう就じゆの報ほう土どには

自力の心行いたらねば

大小聖人みなながら

ダイジヨウノシヤウニン

シヤウジヨウノシヤウニン

如来の弘ぐ誓ぜいに乗じようずべし

(73)

煩悩ぼむなう具ぐ足そくと信しん知ちして

本願力に乗じようずれば

すなはち穢ゑ身しんすてはてゝ

ケガラワシキミ

法性しやう常じやう楽らく証しようせしむ

タノシミツネナリ

(740442)

釈しや迦か・弥陀は慈悲じひの父母ぶも

種種しゆじゆに善巧ぜんげう方便はうべんして

われらが无上の信心を

発ほち起きせしめたまひけり

タチオコス

イマハジメテオコスヲキトイフ

ヒラキオコス

ムカシヨリアリシコトヲオコスヲホチトイフ

(75)

真心徹到てちたうするひとは

トオリイタルズイニイタリトオル

金剛こむがうの心なりければ

マコトノシンジムナリ

三品の懴悔さむぐゑするものと

上品ハマナコヨリチヲナガシミヨリチヲイダス

中品ハマナコヨリチヲナガシミヨリアセヲナガス

下品ハナミダヲナガシズイニコヽロガトオルヲイフ

ひとしと宗しゆ師しはのたまへり

(760443)

五濁悪あく世せのわれらこそ

金剛こむがうの信心ばかりにて

ながく生死をすてはてゝ

自じ然ねんの浄土にいたるなれ

(77)

金剛こむがう堅けん固ごの信心の

シムノカタキヲケントイフ

コヽロノカタキヲコトイフナリ

さだまるときをまちえてぞ

弥陀の心光摂護して

オサメマモル

ムゲクワウニヨライノオムコヽロニオサメマモリタマフナリ

ながく生死をへだてけれ

(780444)

真実信心えざるおば

一心かけぬとおしへたり

一心かけたるひとはみな

三信しん具ぐせずとおもふべし

(79)

利他りたの信楽しんげううるひとは

願ぐわんに相応さうおうするゆへに

教けうと仏ぶち語ごにしたがへば

外ぐゑの雑縁ざふえんさらになし

マジエミダル

(800445)

真宗しんしゆ念仏きゝえつゝ

一念无疑むぎなるをこそ

ヰチネムモウタガヒナキヲホングワンヲウタガフコヽロナシトナリ

希有けう最さい勝しよう人にんとほめ

マレナリ

スグレタリ反スグレテ反

モトモ反スグレタリ反

サイハモトモコトニスグレタリ

アリガタクスグレタルヨキヒトヽホムルコヽロナリ

正念をうとはさだめたれ

ワウジヤウノシンジムアルヲシヤウネムヲウトハイフ

(81)

本願相応さうおうせざるゆへ

雑縁ざふえんきたりみだるなり

信心乱失らんしちするをこそ

正念うすとはのべたまへ

(820446)

信は願より生ずれば

ワレラシユジヤウノシンハミダノグワンヨリオコルナリ

念仏成じやう仏自じ然ねんなり

自然はすなわち報ほう土どなり

証しよう大涅槃ねちはんうたがはず

ダイネチハンヲサトラムコトウタガハズトナリ

(83)

五濁増ぞうのときいたり

疑ぎ謗はうのともがらおほくして

ウタガヒソシル

ウタガフモノソシルモノオホシトナリ

道俗だうぞくともにあひきらい

修しゆするをみてはあだをなす

(840447)

本願毀滅くゐめちのともがらは

ソシル

ホロボス

ソシルニトリテモワガスルホフハマサリマタヒトノスルホフハイヤシトイフヲクヰメチトイフナリ

生盲まう闡提せんだいとなづけたり

シヤウマウハムマルヽヨリメシヰタルヲイフ

ブチポフニスベテシンナキヲセンダイトイフナリ

大地微み塵ぢん劫ごふをへて

コマカナルチリ

ウサギノケノマンサキニヰヒツジノケノマンサキニモヰルチリヲミヂントイフ ウサギヒツジノケヨリホキモノナシ

  ªトモウヂンウサギノケ ヤウモウヂンヒツジノケº

ながく三塗づにしづむなり

(85)

西さい路ろを指し授じゆせしかども

ニシノミチ オシヘサヅケシカドモ

自じ障しやう障しやう他たせしほどに

ワガミヲサウルヲジシヤウトイフ

ヒトヲサウルヲシヤウタトイフナリ

曠くわう劫ごふ已い来らいもいたづらに

ハルカナルヨリコノカタトイフナリ

むなしくこそはすぎにけれ

(860448)

弘ぐ誓ぜいのちからをかぶらずは

いづれのときにか娑しや婆ばをいでむ

仏恩おんふかくおもひつゝ

つねに弥陀を念すべし

(87)

娑しや婆ば永劫やうごふの苦くをすてゝ

浄土无為むゐを期ごすること

本師釈迦のちからなり

長時に慈じ恩おんを報ほうずべし

ツネニトイフナリ

0449已上善導大師

 

源信大師 付釈文 十首

(88)

源信和尚ののたまはく

われこれ故こ仏ぶちとあらはして

モトノホトケトイフ

化縁くゑえんすでにつきぬれば

本土にかへるとしめしけり

(890450)

本師源ぐゑん信しんねんごろに

一代だい仏教ぶちけうのそのなかに

念仏一門ひらきてぞ

濁ぢよく世せ末代まちだいすゝめける

(90)

霊りやう山ぜん聴ちやう衆じゆとおはしける

源ぐゑん信しん僧そう都づのおしえには

報化ほうくゑ二土をおしえてぞ

ホウジンホウドクヱシンクヱドナリ

専雑せんざふの得失とくしちさだめたる

(910451)

本ほん師し源ぐゑん信しん和くわ尚しやうは

懐ゑ感かむ法ほふ師しの釈しやくにより

ヱカムゼンジノグンギロンニヨリテシヨギヤウワウジヤウノヤウヲアラハセリ

¬処胎しよたい経きやう¼をひらきてぞ

ボサチシヨタイキヤウノニノマキケマンヘンヂノヤウヲトカレタルヲヒカレタリ

懈け慢界まんがいおばあらはせる

(92)

専修せんじゆのひとをほむるには

千无一失しちとおしえたり

センニヒトツモトガナシトナリ

雑修ざふしゆのひとをきらふには

万まん不ぷ一生とのべたまふ

(930452)

報ほうの浄土の往生は

おほからずとぞあらわせる

化土にむまるゝ衆生おば

すくなからずとおしえたり

(94)

男女なむによ貴賎くゐせんことごとく

タウトキヒト

イヤシキヒト

弥陀の名号称しようするに

行住座臥をえらばれず

時じ処しよ諸縁しよえんもさわりなし

(950453)

煩悩ぼむなうにまなこさえられて

摂取せふしゆの光明みざれども

大悲ひものうきことなくて

モノウキコトヽイフハオコタリスツルコヽロナシトナリ

つねにわがみをてらすなり

(96)

弥陀の報ほう土どをねがふひと

外ぐゑ儀ぎのすがたはことなりと

ホカノスガタ反ミノフルマイ反

ギヤウヂユザグワ 四ヰギノスガタハコトナレド

本願名号信受して

寤寐ごびにわするゝことなかれ

ネテモサメテモ

(970454)

極悪ごくあく深重じむぢうの衆生は

他たの方便はうべんさらになし

ヨノゼンヨノブチボサチノハウベンニテハシヤウジイデガタシトナリ

ひとえに弥陀を称しようしてぞ

浄土にむまるとのべたまふ

已上源信大師

リヨウゴムヰンノウチニヱシムヰンノソウズノオムナヽリ ヱシムヰンハ御バウノナヽリ

 

源空聖人 付釈文 二十首

(980455)

本ほん師し源ぐゑん空くよにいでゝ

弘願の一乗じようひろめつゝ

日本一州しうことごとく

浄土の機き縁えんあらわれぬ

(99)

智慧ちゑ光くわうのちからより

本師源ぐゑん空くあらわれて

浄土真宗をひらきつゝ

選せん択ぢやく本願のべたまふ

(1000456)

善導ぜんだう・源ぐゑん信しんすゝむとも

本師源ぐゑん空くひろめずは

片州へんしう濁ぢよく世せのともがらは

カタガタノクニトイフ

いかでか真宗しんしゆをさとらまし

(101)

曠くわう劫ごふ多た生しやうのあひだにも

出しゆつ離りの強縁がうえんしらざりき

イデハナル ツヨイエン

本師源ぐゑん空くいまさずは

このたびむなしくすぎなまし

(1020457)

源ぐゑん空く三五のよわいにて

无む常じやうのことわりさとりつゝ

厭えむ離りの素そ懐くわいをあらわして

イトヒ

モトノ

ハナル

オモヒ反コヽロ反

菩ぼ提だいのみちにぞいらしめし

(103)

源ぐゑん空く智ち行ぎやうの至し徳とくには

聖しやう道だう諸宗しよしゆの師し主しゆも

シヤウニンノシヤウダウノオムシノチニハミナクヰシタテマツルナリ

みなもろともに帰くゐせしめて

一心金剛こむがうの戒かい師しとす

(1040458)

源ぐゑん空く在ざい世せのそのときに

金色こむじきの光明かうみやうはなたしむ

兼実けむじち博陸はくりくまのあたり

カネザネノセフシヤウクワンパクナリª月輪殿御法名円照º

拝見はいけんせしめたまひけり

ウヤマイミタテマツル

(105)

本ほん師し源ぐゑん空くの本ほん地ぢおば

世せ俗ぞくのひとびとあひつたへ

ヨノナカノヒトヽイフ

綽しやく和くわ尚しやうと称しようせしめ

ダウシヤクトモシメス

あるひは善導ぜんだうとしめしけり

(1060459)

源ぐゑん空く勢せい至しと示じ現げんし

シメシアラハル

あるいは弥陀みだと顕現けんげんす

アラワルヽナリ

上皇くわう・群臣ぐんしん尊そん敬きやうし

京きやう夷い庶民しよみん欽きむ仰す

ミヤコ

モロモロノタミ

ヰビス

ウヤマヒアフグナリ

(107)

承じよう久きうの太だい上じやう法皇は

後高倉院

本師源ぐゑん空くを帰くゐ敬きやうしき

釈しやく門もん・儒林じゆりむみなともに

ゾクガクシヤウ

ホフシガクシヤウ

ひとしく真宗しんしゆをさとりけり

(1080460)

諸仏しよぶち方便はうべんときいたり

源ぐゑん空くひじりとしめしつゝ

グヱンクヒジリトシメシツヽトアソバシタルホンモアリ

无上の信心おしえてぞ

涅槃ねちはんのかどをばひらきける

(109)

真しんの知ち識しきにあふことは

かたきがなかになほかたし

流る転てん輪りん廻ゑのきわなきは

疑ぎ情じやうのさわりにしくぞなき

ウタガフコヽロ

(1100461)

源ぐゑん空く光明はなたしめ

門もん徒とにつねにみせしめき

トモガラ

賢哲げんてち・愚夫ぐぶもえらばれす

カシコクヨキヒト

オロカナルヒト

豪貴がうくゐ・鄙ひ賎せんもへだてなし

ヨキヒト

イヤシクイヤシ

(111)

命みやう終じゆその期ごちかづきて

本ほん師し源ぐゑん空くのたまはく

往生みたびになりぬるに

このたびことにとげやすし

(1120462)

源ぐゑん空くみづからのたまはく

霊りやう山ぜん会ゑ上にありしとき

声しやう聞もん僧そうにまじわりて

頭陀づだを行じて化くゑ度どせしむ

(113)

粟散ぞくさん片へん州に誕たむ生じやうして

ムマルト

アワヲチラセルガゴトクナルクニナリ

念仏宗しゆをひろめしむ

衆生化くゑ度どのためにとて

この土どにたびたびきたらしむ

(1140463)

阿弥陀如来によらい化くゑしてこそ

本ほん師し源ぐゑん空くとしめしけり

化縁くゑえんすでにつきぬれば

浄土にかへりたまひにき

(115)

本師し源ぐゑん空くのおわりには

光明くわうみやう紫し雲うんのごとくなり

ヒカリムラサキノクモノゴトクナリ

音楽おむがく哀婉あいゑん雅が亮りやうにて

アハレニスメルコヱニテ

異い香きやうみぎりに映芳えいはうす

カヾヤシキカウバシキナリ

(1160464)

道俗だうぞく男女なむによ預よ参さむし

カネテ

マイル

卿けい上しやう雲客うんかく群集くんじふす

ムラガリアツマル

ケイシヤウハクギヤウ人

ウンカクハテンジヤウ人

頭づ北ほく面西めんさい右う脇けうにて

如来涅槃ねちはんの儀ぎをまもる

(117)

本ほん師し源ぐゑん空く命みやう終じゆ時じ

建けん暦りやく第だい二に壬申にむしん歳さい

ミヅノエサルノトシ

初そ春しゆん下げ旬じゆん第だい五日

シヤウグワチナリ

浄土に還ぐゑん帰くゐせしめけり

0465已上源空聖人

 

 已上七高僧和讃 一百十七首

弥陀和讃・高僧和讃都合

 二百二十五首

*宝治第二戊甲歳初月下旬第一日

釈親鸞七十六歳書之畢

見写人者必可唱南无阿弥陀仏

 

*(顕智本別尾3)

五ご濁ぢよく悪あく世せの衆しゆ生じやうの

選せん択じやく本ほん願ぐわん信しんずれば

不可ふか称しよう不可ふか説せち不可思議ふかしぎの

功く徳どくは信しん者じゃの身みにみてり

118 国宝本に無し、 顕智上人本¬浄土和讃¼末尾の別和讃三首目より。

 

(1190466)

南无阿弥陀仏をとなふれば

衆善しゆぜん海水かいしゐのごとくなり

ミダノクドクノキワナキコトヲウミノミズニタトフルナリ

かの清浄しやうじやうの善ぜんみにえたり

ナモワアミダブチトトナフレバミヤウガウニオサマレルクドクゼンゴンヲミナタマハルトシルベシ

ひとしく衆しゆ生じやうに廻ゑ向かうせん

ミヤウガウノクドクゼンゴンヲヨロヅノシユジヤウニアタウベシトナリ