がん 【医学、分子生物学、死生学】 (2004/01/28)

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息子が小児がんに罹患しました。

寺の掲示板に、「人生には三つの坂がある 上り坂、下り坂、まさか」 と書いて張ったのは自分だったのですが、まさに 『まさか』 でした。がんというと、独特な 「不気味さ」 がつきまといます。自分自身が不用意におびえないためにも、「がん」 とはいったい何なのか、その不気味さの正体を中心に整理してみようと思います。

癌 (正確には癌腫、carcinoma) は狭義には 「上皮(皮膚や消化管、各種の腺など、『表面』をつくる細胞組織)由来の悪性腫瘍」 を指し、「(肉や骨など)非上皮系の悪性腫瘍」 を指す肉腫 sarcoma と区別されます。広義には癌腫・肉腫を含めた悪性腫瘍全般を指し、その場合には 「がん cancer」 とひらかなにされることが多いそうです。

生体を構成する細胞自身が、生体全体としての調和を離れ、勝手に異常増殖し始めたものを腫瘍 tumor と言います。腫瘍であっても、増殖した細胞が一箇所にとどまって塊になっているだけの場合は良性で、それに対しいわゆる転移をするものが悪性とされます。

この時点で、がんにまつわる不気味さの一端がはっきりします。転移です。転移をしないものならばただの腫れ物であって(子宮筋腫などが該当します)、がんではありません。また、がんであったとしても(性質的に転移をし得るタイプの腫瘍であっても)、まだ転移をしていないならば実際上は腫瘍と変りません。

しかし、転移するのは 1〜数個のがん細胞です。一般のがん検診で発見できるのは大きさが 1cm 程度になったがん(細胞数で言えば数億個)であり、疑ってかかったとしても 数 mm 以下のものを見つけることはできません。つまり、「転移していない」 ことを確かめる術はないのです。結局、転移の心配は 「可能性」 という目に見えないものを相手にしていることになります。ここに、がん細胞だけでなく、不安やおびえが勝手に増殖してしまう余地ができます。

次に、よく言われるように、がんは遺伝子の病気です。この 「遺伝子」 という用語の理解しにくさも、ときに不要な不気味さにつながります。

大多数のがんは、遺伝しません。がんになりやすい体質といったものはあり、それは遺伝します。しかしがんそのもの、ないし 「確実にがんになる定め」 のようなものが遺伝することはなく、実際に発症するかどうかは、各自の生における 「偶然」 です。

現在では、がんの発症に至るメカニズムはかなり詳しくわかるようになっており、百種にのぼる 「がん遺伝子」 が特定されています。しかし、正常な細胞にあるのは正確には 「プロト(原)がん遺伝子」 で、細胞の(正常な)増殖にも不可欠なものです。それが発がん性をもつウィルスに感染するなどして異常に働き始めたとき、がん化へのプロセスが始まります。ただ、プロトがん遺伝子の暴走が即発がんにつながるわけではなく、さらに 「がん抑制遺伝子」 の欠損が重なって初めて、具体的ながん化へ至るのです。つまり、がんが遺伝子の異常を原因とすることは事実としても、異常な遺伝子をもつのはがん細胞だけであって、他の細胞とは関係がありません。

もとをたどればたった1個の細胞にたまたま重なった遺伝子の異常が、その細胞をがん細胞へ変えるのです。

もっとも、正常な細胞と比べてがん細胞ではいくつかの遺伝子が異常になっているとは言え、残りの圧倒的多数の遺伝子はもとのままです。ここに、がんの理解しにくさの3点目が関係します。がんは、我が身の命を脅かす悪魔の顔を持っていながら、よくよく見れば我が身自身なのです。

(この点は、がんの治療のしにくさにも関係します。からだにとって 「異物」 である細菌と違い、化学療法などでがん細胞をたたこうとすると、他の正常な細胞にも何らかのダメージを与えてしまいます。いわゆる副作用です。活発に増殖しているといったがん細胞の特徴を狙って攻撃するのですが――抗癌剤には DNA の複製を阻害するものが多い――、正常な細胞でも皮膚や消化管の上皮、造血細胞などはやはり常に増殖しており、抗癌剤の影響を被ります。)

子供が小児がんと知らされたとき、治療に臨むに当たって、「どのようなイメージをもてばよいか」 を真剣に考えました。不必要におびえることなく、悲観的になることなく、かつ過剰な治療に走らなくてもすむようなとらえかたがないものだろうか。息子の場合、「本体」 は右足首にできたこぶし大の腫れ物(病名はユーイング肉腫)だったのですが、本人と相談して、この腫れ物を 「影丸」 と呼ぼうということになりました。影をなくしてしまおうと考えてしまえば、おそらく行き過ぎです。影におびえる必要もない。ただ、影が影の分を越えて勝手に自己主張しているのは見逃せません。できることならば、影には影の分に戻って欲しい。ここで 「影の分」 とは、つまるところ私たち自身の身体になるのでしょう。

がんとは、少なくとも当人にとって、医学・生物学の問題であるにとどまらず、「論理的」 な課題でもあると言ってよいと考えています。転移の警戒は 「可能性」 の問題へつながり、遺伝子をきちんと理解しようと思うと 「情報」 について考える必要が出てきます。そしてなにより、「がんは自分自身」 なのです。

がんの不気味さは、結局のところ 「自分」 の不気味さと同じ根からくる。がんを直視することは、自分の根っこを見据えることと同じです。自分におびえることがなくなるならば、がんとも仲良く、かつ毅然と、付き合っていけます。

【直接参照した資料:生田哲『がんとDNA』(ブルーバックス)、http://www.jfcr.or.jp/

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