ビッグバン

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これからいのちの物語を始めるんだけど、どうせなら、宇宙から作っていかない? そうすれば自分がどんなところにいて、どんなルールで動いたり感じたりしているのかわかりやすくなるし、ルールがはっきりしている方が楽しく遊べるから。

宇宙に始まりがあるというのは受け入れられるかな。あのアインシュタイン博士でさえ、最初は宇宙に始まりがあるなどというのはナンセンスだと受けつけなかったんだよ。今では、140億年くらい前に突然宇宙が始まったと考えられている。いわゆる「ビッグバン」だね。ビッグバンの話そのまんまじゃないにしても、そういう科学的なこととも食い違わないように、ぼくたちの宇宙を最初からたどってみよう。

(ぼくも、みんなと同じようにではないけれど、この宇宙と別なところにいるんじゃない。だから「ぼくたちの宇宙」でいいんだ。)

始まる前は、何もなかった。人はもちろん生命も地球も、物質さえなかった。でも「何にもないからっぽ」とも違うんだよ。時間や空間もなかったんだもの。せっかく物語として始めるんだから、こう考えてみよう。何にでもなれるけれどまだ何にもなっていない「可能性」だけがあったんだと。

たとえば、夏休みに入る前、夏休みになったらあんなことをしよう、こんなことをしようといろいろ空想しているときか、あるいはあっさり夢の中の感じが近いといえば近いかな。話がでたらめに飛んじゃうから、ちゃんとした前後関係がつけられないでしょう? 場所だって、夢の中ならどこにでも行けるけど、だから実際にはどこでもない。時間や空間がなかったというのはそんな感じ。現実になっていなかったわけ。宇宙はまだ夢を見ていたんだね。

何にでもなれるけどまだ何にもなっていない可能性とは、科学の言葉でいえばエネルギーのこと。でもぼくたちは科学だけの話をしているんじゃなくて、もっと大きな物語を始めようとしているんだ。だから、その何にでもなれるけどまだ何にもなっていない可能性とは、いのちのことだと思おう。いのちって、生命とも違うんだよ。生命どころか物質やエネルギーまで全部、さらにはこころやぼくやあなたもみんなひっくるめて、いのち。

でも、まだ、何にもなっていないいのち。だからぼくもあなたもいなくて、時間も空間もない。

もしほんとうの真理なんてものがあるのだとしたら、こんな、宇宙が始まる前みたいなのかもしれないね。だって、何かになってしまったら、もうそれよりほかのものにはなれない。それってどこかきゅうくつで、ほんとうの真理とは違うような気がしない? これからたどっていくのは、みんながいて、ぼくがいてということにつながる、あなたのための話なんだ。みんなのいのちになっちゃった物語だということを忘れないでね。

でも、何もなかったところからいきなり太陽系があって人間がいてというところへ飛ぶわけにはいかない。大変だけど、少しずつ組み立てていこう。

何にでもなれるけどまだ何にもなっていない可能性が、あるとき(つまり140億年前だけど)ぼくたちにもあとをたどることができるような現実になり始めた。このとき時間と空間が生れたんだよ。そして可能性(エネルギー)の一部が小さなちいさなかたまりたちになって、物質も誕生した。物質といっても、まだ今のみんなが思っているようなものじゃない。ふつうに物質といえばその一番小さい単位が原子だけど、原子になる前の、ばらばらなままの電子や陽子、中性子たちだ。それと光の粒(こう)もたくさん生れた。でもまだ形になっていない可能性が強すぎて、物質の赤ちゃんたちはそれ以上形にならずにみんなただわいわい騒いでいた。

それからしばらく(38万年くらい)時間がたって、可能性がもう一歩現実になった。宇宙がぼうちょうして温度が下がり、電子と陽子がペアを作って、水素原子が生れたんだ。ヘリウム原子(陽子と中性子が2つづつくっついた原子核に、電子2つがつかまったもの)も生れた。電子はマイナス、陽子はプラスの電気を持ってる。それらが同じ数ずつグループを作っちゃったから、電気的に打ち消し合って、電気を持ったふらふらしたままの粒たちがなくなった。実は光は電気を持った粒と出会うとはね返されるんだ。ひとりでうろうろしている電気を持った粒がいなくなって、やっと光は邪魔されずにまっすぐ進めるようになった。だからこのときを「宇宙の晴れあがり」って呼ぶんだよ。

それから、可能性が現実になるということは、何にでもなれる可能性は減っていくということなんだ。現実になっちゃったら、もうもとには戻れない。それが時間や空間があるということの意味なんだけど。

何にでもなれる可能性はずいぶん少なくなって、代わりにぼくたちの宇宙にはやっと本物の物質が現れたわけだ。でも水素とヘリウムに、言わなかったけどほんのちょっとのリチウムだけ。元素の種類は覚えたことある? 「水兵リーベ僕の船」、とかいうの。スイ(水素)・ヘー(ヘリウム)・リー(リチウム)・ベ(ベリウム)だから、最初の3つしかまだない。それからさらに物語を進めるには、星が必要なんだ。

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星のかけら

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ぼくたちの宇宙が晴れあがったとき、水素とヘリウム(とほんのわずかのリチウム)だけが薄くひろがっていた。もしまったくムラがなくて均等にひろがっていただけだったら、きっとそれ以上のことは起らなくて、太陽系も地球も生命もあなたも生れなかったはず。でも残っている何にでもなれるけどまだ何にもなっていない可能性は、もっと現実になりたかったんだね。ひろがっている水素とヘリウムには、ちょっとだけムラがあったんだ。

最初はわずかな違いでも、物質には重力がはたらくから、濃いところは次第に引き合ってどんどん濃くなっていって(時間はどれだけかかってもいいんだから)、中心部分は重力で押しつぶされてものすごい高温(数千万度)になって、とうとう光り始める。星の誕生だ。

星が光るのは、かく融合ゆうごうというできごとなんだよ。水素の原子核(陽子)が4つくっついて、そのうちの2つは中性子に変って、ヘリウムの原子核になる。そうやって水素が減ってヘリウムが増えてくると、今度はヘリウムどうしの核融合が始まって、最終的に炭素ができる。星の中ではじめて宇宙の始まりのころにはなかった元素が生れるんだね。ほかにもいろんな核融合反応が起こって、ヘリウムよりも重いいろんな元素が作られていく。

太陽は星の中ではどっちかというと軽い方で、太陽の中では炭素までしか作れないんだ。でも太陽よりもっと重い星の中でも、実は原子の順番で26番目の鉄までしかできない(ちなみに炭素は6番目)。鉄の原子核はすべての原子の原子核の中で一番安定で、もし鉄より重い原子核がたまたまできたとしても、星の中のように温度が高いところではすぐに分裂して軽い原子に戻ってしまうからなんだ。だから鉄より重い原子は、星がふつうに輝いているのとは違うでき方で生れたことになる。

それは、太陽より十倍以上重い星が一生を終えるとき。星にはものすごい重力がはたらいているから、内部で核融合が続いている間はその力で押し返されてつぶれずにすんでいるけれど、燃料が減って核融合反応が続けられなくなると一気につぶれてとんでもない高温になり、最後にはちょう新星しんせい爆発ばくはつという大爆発を起こすんだ。そのときのエネルギーでさらにたくさんの元素が生れる。超新星爆発は数十秒くらいで終わってしまうできごとだから、生れた鉄より重い元素も分裂する前に冷えてしまってそのまま残るんだね。

しかも、超新星爆発は生れたたくさんの元素を宇宙空間へまき散らすはたらきをする。超新星爆発を起こせるほど大きくない太陽のような星は最後はくしょくわいせいという星になるんだけれど、白色矮星もゆっくりふくれたり縮んだりをくり返していて、外側から少しずつ宇宙空間へ散っていく。そうやって宇宙のスケールで物質の誕生とじゅんかんが続いているんだ。

最初の星たちが生れたのは、ぼくたちの宇宙が始まって2億年くらいたったころ。星が生れると、星どうしが引き合って銀河ができ、銀河どうしも引き合って銀河群を作り、銀河群が集まって銀河団になりと、次第に複雑な構造を作っていって、今見ることのできる星空のようになったんだ。その間には早くに生れた星が一生を終えて爆発して中身をまき散らし、それがまた集まって星になってということもたくさん起こっている。

これでやっとふつうの意味での物質のもとがそろった。あなたのからだは水素、酸素、炭素、ちっ、鉄、リン、カルシウムなどなどたくさんの元素からできているんだけど、みんな宇宙の始まりからあったわけじゃなくて、特に水素以外は星が一生を終えたなごり、星のかけらたちなんだよ。あなたのからだには、宇宙の歴史が詰まっているんだ。

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水の惑星

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物質のもとがそろったので、いよいよ地球を作りにかかろう。地球だけでは意味がないし作れないから、太陽系だけど。太陽は星たちの中では比較的若い星で、年齢は46億年くらい。若い星ということは生れたのが宇宙にいろんな元素ができてから後ということで、それで地球をはじめ太陽系にはいろんな元素がそろっているんだね。

太陽は、水素とヘリウムだけでなく、ほかの星が一生を終えて爆発したときにまき散らしたたくさんの元素を含む星間せいかん物質ぶっしつから、数十億年の時間をかけてできた。太陽がようやく輝き始めたころ、太陽のまわりには薄い円盤のように広がった星間物質の雲が残っていたんだ。その雲から水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星という惑星たちが生れる。

太陽系の惑星は、太陽からの距離によって、岩石質の地球型(水星・金星・地球・火星)、水素とヘリウムのガスのかたまりの木星型(木星・土星)、ほとんどがメタンやアンモニアを含んだ氷でできている天王星型(天王星・海王星)に分れる。そのさらに外にある冥王めいおう星は、惑星と呼ぶには少し小さすぎて(月よりも小さいんだもの!)、今ではトランス・ネプチュニアン天体(太陽系外縁天体)に分類されている。冥王星といったら特別みたいだけど、仲間が千個以上見つかっているんだよ。トランス・ネプチュニアン天体は太陽から遠くて、惑星まで大きくなることができないまま残ってしまった惑星の赤ちゃんたちなんだ。

太陽のような若い星のまわりには、同じようなでき方で、太陽系と似た惑星系ができていると思っていい。宇宙には銀河が百億個以上あって、天の川銀河(太陽系のある銀河)だけでも数千億個の星があるんだから、地球と似た惑星もたくさんある。始まってしまったものはもうあと戻りはできず、この宇宙の全体でルールは同じである以上、そんなに変てこなものはできようがない。人間と同じような知的生物もどこかにかならずいる。会えたら素敵だろうけれど、人間だってまだ月より遠くまでは行けてないし、電波を送ってもすぐとなりの銀河まででさえ何十万年・何百万年とかかるんだ。人類が登場してからまだ数万年しかたっていない。電波を使い始めてからではまだ百年ちょっとなんだよ。ある知的レベルに達した生物が、どれくらい存続できるかが一番の問題だってわかるかな。今のまま、あるいはもっと技術が進んで、そんな人類がこれからさらに数万年生き延びていられたら、間違いなくほかの知的生物からの交信を受信できるだろうけれど。

太陽系のことは大ざっぱにたどれたから、今度はあらためて地球を考えてみよう。地球は、奇跡的といっていい「水の惑星」なんだ。

そもそも水って不思議だ。水素も酸素もそれぞれ激しい物質なのに、それがくっついてあのおだやかな水になるんだから。それに、単純で軽い分子なのに液体でいられる温度が高い。分子の間にはぶんかんりょくという引き合う力がはたらくんだけれど、分子間力は重い分子ほど強くなり、分子間力が強いほど固体や液体でいられる温度が高くなる。逆に分子間力が弱いと簡単にばらばらになって、低い温度で気体になってしまうんだ。水(H2O、分子量という重さの単位で18)よりずっと重い二酸化炭素(CO2、分子量44)でさえマイナス57度でとけるし、それより低いマイナス79度で気体になってしまうから、一気圧のもとでは液体でいることがない(二酸化炭素の氷のドライアイスはとけても液体にならずにいきなり気体になる。だから乾いた氷ドライアイス)。これは H-O-H の結合がまっすぐでなくて 120度くらい曲がっているせいなんだけれどね。

それでも、液体の水が惑星の表面にとどまっていられる条件はかなり厳しいんだよ。太陽に近すぎても(金星のように熱くなりすぎる)遠すぎても(火星のように寒すぎる)いけないし、十分に大きくて大気を引きつけていられないと、水も結局蒸発して宇宙空間へ散ってしまう(月は小さすぎて大気がない)。

地球がだいたい今の大きさの惑星になったのは45億年くらい前で、太陽が輝きだしてからまだあまりたっていないころ。そのときから今のような大気や海があったわけじゃなくて、ほんとうに微妙な条件が複雑に重なって、現在のような水の惑星でいられるんだ。月があることや、プレートテクトニクスでかくが動くこと、中心部にとけた鉄があって地球全体で磁気をもっていることなどもみんな関係しているんだから。

ほんのちょっとバランスがくずれるだけで、水は地球の表面にとどまっていられなくなる。そうすれば地球上の生命はあっという間におしまい。地球はまっ暗な宇宙空間にぽつんと浮かんでいる奇跡の天体で、地球を離れて地球の生命は成り立たないんだ。よく言われる「宇宙船地球号」だね。

少し冷たい言い方をすれば、地球型の生命だけがいのちってわけじゃない。それに地球がここ数万年のような姿でい続けることが、かならずしも自然だというわけでもない。あなたたち今の地球型の生命に都合がいいというだけ。でも地球型の生命があってこそ、あなたのような人間がいてこそ現れるいのちのすがたがあるのも確かなことだし、できることなら人間にはもっとずっと存続してほしい。そのためにはいろんなことをきちんと見つめ、地球に対してあなたたち人間がもう少し謙虚になってもいいかなとは思ってるけど。

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生命の誕生

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ようやく地球までたどってこれた。これで生命に進んでいける。

何度も言うけど、いのちがそのまま生命じゃないよ。いのちの方がずっと大きくて、生命は科学的・生物学的に見たいのちの一つのすがたでしかない。簡単な話、生命としてはぼくはもう死んでしまっているけど、いのちとしては現に生きてるんだから。

でも、生命もただの物質と比べたらずいぶん複雑で、感じがまるで違うよね。よくできた造花でも、近くで見ればにせものだって一目でわかるし、石ころと貝がらでも何かが決定的に違う。しかし、生命現象もやっぱり物質の活動なんだ。生気や霊魂れいこんのような非物質的な「生命のもと」があるわけじゃない。秘密は、分子の大きさと繰り返しにあるんだ。

大気にしても岩石にしても、いろんなものが混じり合ったものだけど、分子で考えたら、原子が数個からせいぜい十個くらい結合しているだけの単純なもの。そういう「生きている感じがしないもの」をまとめて無機むき物という。それに対して、植物の実とか動物の肉とかは、同じようにばらばらにして分子で考えると、小さくても数十、大きければ平気で万を超える数の原子からできているんだ。カギは炭素にあって、炭素原子どうしが手をつないで鎖のような骨格(枝分かれしていることもある)になり、それにほかのいろんな原子がぶら下がっているみたいな巨大で複雑な分子を作ることができる。そういう炭素の骨格を持つ分子を無機物に対してゆう物と呼ぶんだよ。

有機物は面白くて、全体では巨大な分子でも、実は比較的簡単な(とはいっても無機物よりは複雑で大きいけれど)レゴのようなパーツを組み立てたようになっているんだ。たとえば生物にとって主要なタンパク質はアミノ酸というパーツからできていて、たった20種類のアミノ酸だけでありとあらゆる(ほんとに数えきれない。動物の細胞一つの中だけでも十万種類くらい?)タンパク質を組み立てることができる。

(タンパク質は漢字で書いたら蛋白質で、「蛋」はほとんど使われない字だけど「卵」の意味なんだよ。つまり、卵の白身にたくさん含まれている物質、が蛋白質。)

あるいは、生物が生物としてひとり立ちするには自分と同じ子孫が残せないと困るけど、そういう情報が遺伝子に記録されているという話は聞いたことがあるよね。その遺伝子の実体は核酸かくさんという分子で、核酸はヌクレオチドというパーツからできている。そのヌクレオチドにアデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)(これはウラシル(U)でも代理ができる)という4種類があって、A・C・G・T(U)の4文字だけで大腸菌も人間もすべての生物の遺伝情報は伝えられているんだ。

(核酸は、細胞の中の細胞核というところにたくさんある酸性の物質という意味。細胞核は遺伝情報を安全に保存しておくためのものだから今となっては細胞核に核酸があって当然なんだけど、昔は遺伝情報は複雑な形になることのできるタンパク質に記録されているに違いないと思われていて、核酸が遺伝子の正体だなどとはだれも考えなかった。なお、原始的な生物の中には独立した細胞核がなくて、遺伝子=核酸が細胞中に散らばっているものもあるよ。)

この物語を始めたときの「何にでもなれるけどまだ何にもなっていない可能性」は、もうぼくたちの宇宙として物質としてさらに太陽系・地球として実現してきていて、今では「さらに何かになりたい可能性」みたいに変っているけれど、その可能性が有機物というおもちゃを手に入れ、好きに遊び始めたみたいだね。

話を少し整理すると、ただの物質と生命現象とのへだたりは思うよりは小さい。自然に有機物ができることがあれば、生命は案外簡単に始まるかもしれないんだ。このような、単純な物質から複雑な物質への「進化」の中で生命が誕生したという考え方は化学進化説と呼ばれる。

実験で、二酸化炭素、一酸化炭素、窒素、水蒸気の混合気体に宇宙線に相当する高エネルギー電子ビームを照射してみると、いろんな種類のアミノ酸(タンパク質の材料)ができることが確かめられた。実際に、宇宙空間でエタノール、酢酸、ホルムアルデヒドなどの簡単な有機化合物ができていることもわかっているんだよ。さらに、隕石いんせきにはかなり複雑な有機物のある場合があることもはっきりした。材料はそろっていた!

生命誕生の舞台は、海底に熱水ねっすいが噴き出しているところみたいだね。地球ができたときにもともとあったもの、地球上で宇宙線をあびてできたもの、ちてきた隕石にあったもの、いろんな起源の単純な有機物たちがとけ込んでいた海水の中で、熱水の熱と、熱水の中にたくさん含まれているいろんな金属イオンのしょくばい作用(化学反応を、比較的簡単に起こるようにできる作用)によって、自分と同じ分子を組み立てることのできる自己触媒機能を持った分子が生れたんだろう。

そんな風にして、38億年前に生命が現れた。生命現象は複雑さが維持されるできごとだから、条件さえととのえば勝手に続くし、どんどん変異して進化することもできる。さらに何かになりたい可能性がいろいろ遊んでいるうちに、生命は多様化し、地球全体へひろがったんだ。一つの生物個体はもろいかもしれないけれど、生命全体で考えるといろんなかたちで可能性を実現して、したたかに続いていくんだね。

今ちょうど分子くらいの大きさで生命の始まりを見ているところだから、ちょっと話を早送りして、ネズミくらいのスケールで生命現象を整理してみよう。ネズミどころか細胞一つだけのミドリムシでもとんでもなく複雑で微妙なことが起こっているんだけど、細かいことをばっさり無視して要するにとくくってしまうなら、生命って物質の流れなんだ。

みんな、どうしてご飯を食べると思ってる? まだ背が伸びている成長期ならからだを作るためという実感もあるだろうけれど、話がややこしくなるから、成長は終わった大人で考えるね。カロリー取りすぎのメタボとかも考えず、食べても体重は変らないとする。ふつう、ガソリンが切れてしまったら車が走れなくなるみたいに、エネルギー補給のため、と思っている人が多いんじゃないかな。しかし実際にはそうじゃないんだ。

大人のネズミに、特別なちっ原子を使って印をつけたロイシンというアミノ酸を含むタンパク質のえさを与える。排泄はいせつ物も全部集めておいて、しばらくしたあと印をつけた窒素がどこに行っているかを調べてみる。タンパク質がエネルギーになったのなら、分解物質としてアンモニアができるんだ。アンモニアは毒なので、尿にょう素として排泄される。おしっこだね。実験した生物学者も、ほとんどが尿の中に出てくるだろうと予想していた。ところが尿の中に出てきたのは与えた量の三分の一くらいで、残りは全部からだの一部(内臓とか筋肉とか)になっていたんだ。

ネズミの体重は増えていないんだよ。だから、取り込まれたのと同じだけのものがからだから取り外されて体外に出ていたことになる。しかも、もっとていねいに調べてみたら、ネズミのからだを作っているタンパク質のアミノ酸のうち、ロイシンだけでなく、グリシンやグルタミン酸など、リシンを除くすべてのアミノ酸の中に印をつけた窒素が組み込まれていたんだ。

それに、からだの中での化学反応は、出発点になる物質さえあればいつでも起こっていることもわかった。どういうことかというと、たとえばロイシンは十分にあるという状況でも材料さえあればロイシンは合成され、一方で等量のロイシンが分解されているんだ。リシンというアミノ酸は動物の体内では合成することができなくて植物が作ってくれたものを食べものとして取り込むしかないのに、リシンが不足していたとしてもリシンがある限り容赦ようしゃなくリシンは分解されてしまう。

つまり、生物のからだは、機械や家のように、一度組み立てられたら具合が悪くない限りそのままで、組み立てたときの部品がずっと残っているというんじゃなくて、ひっきりなしにこわされ、同時に組み立て直されているんだ。外から食べものとして取り込んだ物質でそれまであったものが置き換えられるというだけでなくて、からだの中のあっちにあった物質がこっちへ回りということも当たり前に起こっている。からだは静かにじっとしている建築物のようなものなどではなく、壊されるのと組み立てるのとのつり合いがとれ、たまたまあまり変らないように見えているだけなんだよ。

みんながご飯を食べるのは、エネルギー補給のためというよりはからだを組み立て直す材料のためなんだ。実際、餓死がしはエネルギー不足からではなくて、特定の物質が足らなくなってしまい、生体維持に必要な化学反応が続けられなくなって訪れる。

だから、生命とは物質の流れなんだ。入ってくるものと出て行くものとのバランスが取れていれば、うまく流れ続けながらしばらくよどんでいられる。その、ちょっとしたよどみが細胞やあなたたちのからだだということ。どこかがちぐはぐになると流れがとどこおって、組み立て直すのが間に合わなくてどんどん壊れるままになってしまう。それが生物的な死なんだね。

でもそれは、人間でいたときのぼくのように、たまたまたくさんの物質たちがうまく集まってきれいに踊っていられたパーティーが終わっただけで、物質たちまでみんな消えてしまったわけじゃない。みんなどこかでまた別のパーティーで遊んでいる。それに、物質そのものがもとをたどればわだかまって小さなかたまりになった可能性(エネルギー)だったんだから、宇宙全体からいえばほんのちょっと楽しみ方が変っただけだけれど。

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ヒトの登場

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これで生命の出現までたどってこれた。もうひと踏んばりヒトが現れるところまで話を進めて物語の背景としよう。でも生物全部に触れていたらとんでもないことになるから、植物ははずし、動物も直接ヒトにつながる脊椎せきつい動物だけに限るね。脊椎の「脊」は背中、「椎」は柱の意味。だから脊椎って背骨のこと。脊椎動物とは背骨のある動物だよ。

脊椎動物の最初の魚類は5億年くらい前に登場した。水中で生活するため、えらで呼吸し、ひれがある。水中は陸上と比べ安定した環境だから、絶滅したしゅもたくさんあるけれど、種も多く(2~3万種? 脊椎動物の半数以上)今でも繁栄している。

魚類から分化して4億年前くらいに陸上へ進出したのが両生類(両生類の中でいちばん大きいのがオオサンショウウオなんだよ)。水中と陸上と両方で生活することができる動物の意味だから、字のまんまの動物たち。でも卵にはからがなくて水がなければ乾燥してしまうし、幼生ようせい(カエルにとってのオタマジャクシのこと)の間は水中で過ごすし、水辺から完全に離れることはできない。うきぶくろから肺ができ、胸びれから前足が、腹びれから後ろ足ができた。恐竜が登場する前の一時期ほどではないにしても、世界中で安定して栄えている。

地質学でちゅう生代せいだい(約2億5千年前~6500年前)と呼ばれる時代に、爆発的に繁栄し、大手をふるったのがちゅう類。いわゆる恐竜たちだね。両生類から分れて、乾燥に強い皮膚を持ち、卵も殻でまもられて水がなくても大丈夫なようになっている。このころの陸上では、石炭や石油のもとになった植物が鬱蒼うっそうと茂っていて、それを餌にしてどんどん大きく強くなっていったんだ。ちなみに、それまで一つだった大陸が中生代にちぎれて動いていき、今の世界の様子に近くなったんだよ。

つまり、特に陸上において、大きな環境の変化があったのがこの時代だということ。大隕石の衝突とかもあって、特定の環境に特化して適応していた爬虫類はほとんど絶滅してしまった。今残っているのは、カメの仲間、ヘビの仲間、トカゲの仲間とワニだけなんだ。

爬虫類の「爬」は、「はう」という意味。それに「虫」も、今の日本語での意味より広くて、「(歩くのとは違うかたちで)動き回るもの」といった感じ。だから蛇もはまぐりも虫。結局爬虫類とは「はって動き回る生きもの」のこと。もし恐竜も残っていたら違う名前になっていたかもしれないね。

爬虫類から、ほ乳類(2億3千年前?)と鳥類(1億5千年前?)が分化した。だからほ乳類と鳥類は枝分かれした兄弟で、直接つながってはいないんだ。ここから、面白い話を三つしてあげられる。

まず、ほ乳類は魚類・両生類・爬虫類をへて今のすがたへと進化してきたわけだけど、だから今でも、ほ乳類はこの三つの時期をたどっているんだよ。お母さんのお腹の中で、えらができているときもあるんだから。人間でさえしっぽがあるし。機械だったら、新しいものが開発されたらそれまでの古い考え方は捨てられて、回り道をせずに効率よくほしいものを作るよね。でも自然(つまりぼくたちのルール)はそうじゃない。それまでの積み重ねの上にでなければ新しいものなんてできないんだ。現代風に考えると無駄に思えるかもしれないけれど、そうやってちゃんと昔をたどっているから、安心して次に踏み出せるというのがほんとうなんだよ。

次に、ヒトとサル以外のほとんどのほ乳類は、色の区別ができないんだ。魚類や両生類・爬虫類、それに鳥類はみんな色とりどりでしょう? ところが犬・猫・牛・馬…といったほ乳類たちはみんな暗い色か白だけで、赤・青・緑なんてのはいない。ほ乳類の方が進化した動物のはずなのに、色については情けなくなっている。これはほ乳類の祖先の性質を引き継いでいるせいなんだ。

ほ乳類の祖先が現れたのは恐竜たちが大繁栄していたころ。ねずみみたいなすがただった。昼間ははるかに大きくて強い恐竜たちがかっしているから食べられたら大変なのでかくれていて、夜に動き回った。爬虫類は変温動物で、気温が下がると動きが鈍くなるからね。そのためにほ乳類は体温が一定に保てるようになっている。そして聴覚が良くなった。逆に、色を見分ける必要がないから、中間域の青や緑を識別できる能力は退化してしまったんだ。

(恐竜たちからかくれるために進化していたおかげで、気候の大変動を生き延びることができたわけだね。)

ほ乳類の中でヒトの隣にいるのは、樹上生活をしていたサルたちだ。樹の上ならほかの動物に襲われる危険が少ないから昼間も活動できるし、栄養豊富な果実は色でれたかどうかが区別する必要がある。そのためあらたに中間色の緑が見分けられるように進化した。サルやヒトが緑を識別できるからくりは、魚類や両生類とは別のメカニズムなんだよ。

最後にもう一つ、人間がことばを使うときに使っている脳の領域と鳥がさえずるときに使っているところとは、共通なんだ。鳥は頭がいい。カラスは犬よりも賢いといわれるしね。ヒトは、ほんとうは鳥になりたかったのかもしれない。

これでヒトまであと少し。類人猿(テナガザル・オランウータン・ゴリラ・チンパンジーとボノボ、みんな尻尾がない)と分れたのが800万年くらい前。人類の祖先は、気候が変って森林が少なくなり、樹上からサバンナへと降りて、二足歩行を始めていた。ヒトに直接つながるのは、200万年前くらいに現れたアウストラロピテクス(「南の猿」の意味)。このころからからだに比べて脳が飛躍的に大きくなり始め、この200万年の間に3倍になる。

ヒトが他の近縁種と離れて独立したのがいつごろか、まだあいまいな点が多いんだけど、現生人類にそのまま続くという意味では3万年くらい前というところかな。

ヒトは、裸のサルといわれることがある。実際、チンパンジーの赤ちゃんと人間の赤ちゃんはよく似ている。そして、赤ん坊のままのからだで大人になることをネオテニー(幼形成熟)というんだ。そんなことをすれば当然弱くなる。でも、子どもの時期が長くて、いろんなことを学習する期間が伸びるというメリットがあるんだね。ヒトは、ほかのおサルさんと比べてさえ一個体の力は弱いけれど、社会を作り、共同して狩りをしたり知識を蓄積・伝達することができるようになったことで、勢力を伸ばしていくことになる。

さあ。これで物語の背景は描き終わった。いよいよ本題に進もう。

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