塁審 (5月2日)

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軟式野球の「塁審」なるものを、初めて経験しました。

末の子(想、そう)が地域のスポーツ少年団(以下スポ少)で野球をしており、今年は6年のため試合が続くのです。さらに今年は「親の会」の理事が回っていて、いろんな手伝いの割り振りをしなくてはなりません。

公式戦では、主審は置いておくとしても、塁審にも資格が要ります。春にそれに備えた「講習会」があったのですが、ちょうど法務と重なり、私は受講できませんでした。実際に受講して資格を取得されたのは、今年の6年の親では5名です。公式戦のたび(感覚的にはほぼ毎週)、各チームから塁審を2名ずつ出さなくてはならない。ちょっと考えればわかるように、特定の方に負担が集中するのです。とうとう先日は、試合の時間仕事を抜けてもらって塁審をお願いするというようなはめになりました。

先月の 29 日にも試合がありました。この日は親善試合だったため、資格が必要なかった。公式戦で資格をお持ちの方に無理を頼まなくてはならない都合上、できるときにはしておかなければと、私が買って出たような次第です。

私はスポーツ音痴で、プロ野球もほぼまったく観ません。簡単に言って、野球のルールそのものをよく知らない。ですから去年・一昨年にあった非公式戦で、当時の理事から塁審の依頼があったときも、私にはできないと断り続けていました。グラウンド整備などの手伝いはできるときにはしていましたが、正直なところ、グラウンド整備ですら「どう」すれば整備になるのかよくわからず、ただ周りの人の真似(?)をしていただけです。自信をもってできることがあるとすれば、グラウンドの草引きくらいのものでしょう。

それが、必要に迫られて、逃げるに逃げられず、とうとうせざるを得なくなりました。2塁の塁審はランナーの有無などの試合状況に応じて立つ位置から大きく変わり、私の理解を超えるので最初から考えず、ほぼ立っているだけで用が済むだろうとたかをくくって三塁の塁審に回りました。

一応、どこに立っていればよいのかといった最低限のことは経験者に聞き、最初の試合のときに塁審の動きを観察して、自分なりにイメージは作っておいたつもりでした。なお、フォースプレイ(塁が詰まっているところに次のランナーが出た場合、出塁している走者には進塁の「義務」が生じる。そのときには直接走者にタッチしなくても、次の「ベース」にタッチすればアウトとなる)とタッグプレイ(走者への直接タッチではじめてアウトになる)との違いくらいは知っています。まあ気楽に行こう、何かあっても主審がよきにはからってくれるだろうとのん気を装ってかかったのはいいのですが。

いざグラウンドに立ってみると、頭が真っ白になって、何も見えないのです。こりゃいかんと、とにかく「ボール」から目を離さないようにしようとしたものの、気を抜かずにちゃんとボールを追うというのがそんなに簡単ではない。かつかつそれができるようになるまでに数回進んでいました。

次は、アウトカウントとボールカウントをきちんとたどることです。やり慣れた方はカウンタを手に持ってそれでカチカチとやっていらっしゃるのですが、当然そんな「専門的」な備えなどなく、やむを得ず左右の手の指を折ってアウトの数とストライクの数を数え、ボールは口で復唱してたどることにしました。(得点については放棄です。) しかしこういう「数字」をきちんと追いかけるだけでも、慣れない者はけっこうへろへろです。

さらに悪いことに、6年生ともなると試合もそれなりに本格的で、3塁にもけっこう走者が来るのです。ピッチャーからの牽制はもちろんキャッチャーからの牽制もあり、スクイズも、スクイズ失敗で走者が挟まれることまで平気である。もうウロウロおろおろ、冷や汗のかき通しでした。

ついでに言っておくと、さっきのはインフィールドフライではなかったかというアピールと、挟まれた走者へのタッチが無効だった(ボールの入っていないグラブでタッチした)のではないかというアピールが、各一回、ベンチからありました。そのたびに主審が塁審に確認をとったのですが、私には何が問題になっているのかすらよく理解できず(ですから当然「見て」などおらず)、知らん振りをして立っていることしかできませんでした。家に帰ってからインターネットであわてて野球ルールの基礎について調べ、やっと事態が理解できたようなことです。

しかしまあ、三塁上で極端なクロスプレーがなかったことに救われ、塁審初体験の試合は終りました。引き続きもう一試合、うちのチームから塁審を出さなくてはならない。毒を食らわば皿までもと、もう一回挑戦しました。同じ三塁です。

腰が引けているとどんどん弱気になるので、今度は攻め(?)の姿勢で、積極的に「見る」ことに集中しました。立ち位置から、教えられた通りにというのではなくて、自分で探してみました。

3塁に走者がいないときは、あまりベースに近づくよりも、思い切って離れる方がよく見えることがわかった。結局落ち着いたところは教えられた通りの位置だったのですが。(つまり、最初は教えられた通りにはしていなくて、近すぎるところに立っていたのです。) 3塁に走者がいるときには少し近づくのが「基本」です。が、「教えられた通り」の位置ではキャッチャーが見えにくく、試合の次の動き(キャッチャーからの牽制など)にとっさについていけなかったことがあったので、(私にとっては)大胆に移動してしまいました。ここなら見える! という位置と姿勢が見つかると、とたんに試合が、塁審が楽しくなってきた。試合の動きというかリズムに、乗れるようになったのです。

結局、「見る」というのは「目」における出来事でもましてや「頭」においての出来事でもなくて、からだごと状況にはめてやったときに初めて実現できることなのでしょう。私は、私の人生を、からだを張って引き受けているか。楽しんでいるか。私の人生に「乗って」いるか。

いい経験をさせてもらいました。

合掌。

文頭


わくわく (5月13日)

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何だか、とんでもないテーマを思いついてしまいました。「わくわく」です。

実は、私は今わくわくなどしていません。表だけ見ればむしろ逆です。

2年前、腹を決めてそれなりの収入のある仕事を止め、山寺に腰を据えたときには、草刈りや草引き、薪作りといった肉体労働がそれだけで新鮮でした。しかし2年も続けていれば目新しさはなくなって、半人前ながらからだもでき、草刈り機を使っても時間・量的に当時の4倍の作業ができるようになっています。チェーンソーも扱える。薪割りにはハンマーとくさびを使うのですが、昔は両手で振るのがやっとだった大きなハンマーを今は片手で使って、しかもバテるまでの時間が優に倍以上になっている。

草引きにしても、指でつまむ力が桁違いに強くなっていて、少し湿った土だったらグラウンドの草でも手だけで簡単に引けます。(もちろん、道具を上手に使えばもっと楽ですが。) 一言で言って、かつては目新しいが故にわくわくしていた毎日の出来事が平凡な日常になっているのです。

しかも、子供の小児がんに転移が見つかりました。警戒していた肺(内臓系の「癌」がリンパ系経由で転移することが多いのに対し、小児がんは血流に乗っての転移が主。原発部位を離れたがん細胞が最初に通過する毛細血管群が肺なので、定期的に肺のCTチェックをしている)ではなくて同じ右足の膝の裏で、リンパ転移だったようです。

転移そのものは覚悟していた(相手が小児がんである以上、何もなく簡単に「完治」するのを期待するのは虫がよすぎる)ことでもあり、手足でしたらそれだけで直接生命への危険はありませんから(最悪で切断したとしても、生活上の不便はあるにしても生存には影響ない)、何だかドラマになり損ねたとでもいうか、私たち家族にとっての「日常」を大きくは踏み越えていないのです。

つまり、「劇的」な出来事が減った。ただ、その分しらけているかというともちろんそんなことはなくて、一昔前だったならば十分以上に劇的であり得たことが、当たり前の装いで目の前にある。

一種、不思議な感覚です。かつて大きく頼っていた「感動」とは如実に縁遠くなっています。しかし、おそらくこれまで見過ごしていた小さなこと――力仕事の途中で口にする水の味、草刈りをしていて感じる草の手応え、チェーンソーのその日その日の調子の違い、日の色の移ろい具合など――が、一々驚かずとも確かなものとしてそこにあり、強く静かに響いてくる。

正直に言えば、とまどっています。何が変わったのだろう?

一つ思い当たるのは、時間の感じられ方が変わったことです。私にとっての時間ではなくて、私とは表向き無縁なものがその内に抱え込んでいる時間あるいは歴史が、その切り口としての新鮮な「気づき」の趣ではなく、その総体のままの不可解さの姿で懐かしく慈しめるのです。

何もわからない。何もわからないことが心地よく、何もわからなくてよいところでみんな――草も道具も、息子のがん細胞も――生きている。その「事実」が嬉しい。

かつての私の「わくわく」ないし感動は、相手の時間を、私の都合で切り取るものだったのかもしれません。うまく切り取ることのできた時間は、カッコいい。そんなカッコよさには敏感であるつもりでいたのですが、そんなことはどうでもよくなってきました。切り取るのではなくてただ「出会った」だけの(私のものではない)時間は、よそよそしいようで懐かしい、不可解でありながら納得できる、深い奥行きを見せてくれます。

惜しや欲しやと思はぬ故に、今は世界が我物ぢや (『大笑小笑』第十二の六)

わくわくの反対は淡々なのでしょうか。ならば、宇宙大に気持ちを広げて淡々としていたい。

合掌。

文頭


 (5月18日)

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今日は久しぶりに雨でした。

正直、そろそろ雨が欲しいと思っていたところでした。土が乾いているということもあるのですが、冬にやり残した木の片付けとお茶揉みが重なって、さすがに疲れがたまってきているのです。虫のいいことに、昨日で木をみんな薪にして雨のかからないところに仕舞いこみ終り、これでいつ降っても安心とほっとしたところでもあります。

ついでに勝手な都合を言えば、明日からは末の子の修学旅行です。降るのだったら今日降ってくれるといいなと思っていたら、ぴったりそうなって、何だか少し申し訳ないような気持ちです。

外の仕事が中途になっている間は、ついでに区切りがつくまで天気が続くといいなと思います。ただ、天気ばかりだとお日様を惜しんで外を優先するので、次第に中の用事も滞ってきます。道具類の買出しも必要になる。ときには雨も降らないと、生活の中でたまったごみが流せません。

今日は買出しが急ぎでした。チェーンソーのチェーンオイルが切れかけているのと、チェーンソーを使うときのゴム引きの手袋がさすがにくたびれてきたのが中心です。チェーンソーの目立て用のやすりも磨り減っている。鋸も手ごろなのがあればもう1本欲しい。さらに、草刈り機の刃を研ぐ工具も要る。

実は末の子のアトピーの塗り薬がなくなりかけていて、旅行に持たせるのに心細く、いずれにしても今日は用足しに出なければなりませんでした。天気のよい日に出かけるのはもったいないような気がして気が急くのですが、雨だと落ち着いて用事が片付けられます。ただ、子供が学校から帰るのを待ったので遠くまで出かけられず、草刈り機用の工具は見送りました。

その他にも、ジャンパーをクリーニングに出し、子供たちの緊急食(おやつが切れていてお腹がすいたときのためのカップ麺)を補充し、ついでに晩酌用のお酒も安いところで買えてと、いろいろと落ち着きました。

晴れが続けば仕事が進む。しかし進んだ分、というより他を犠牲にして進めただけ、あちこちしわ寄せもきている。時には雨が降って、仕事を進めたくても進められない日があってよい。

何もかも予定通りになめらかに進んでいるときは、晴れです。晴れを喜んでいるのは、本当は頭だけかもしれません。晴ればかり続くと、いつの間にか晴れるのが当たり前と勘違いしさえします。しかしその陰で、日々老い、いずれ死を迎えなくてはならない体が悲鳴をあげています。

頭の都合の行き詰まりが、雨です。思いがけない病気や事故は、みんな晴れ続きの中の雨です。雨は実は体にやさしい。晴れの間は頭に合わせた時刻表しか見ませんが、雨の日には体に寄り添った時間が流れます。忘れられていた老いを取り戻し、死に備えることもできる。

一日ゆっくり休んだおかげで、左肩が痛み始めました。左に無理が来ているのはうすうす気づいていたのですが(鋸を使う時など、実際に鋸を動かす右手よりも木が動かないように押さえている左手の方が実は負担が大きい)、やっとまともに痛いと感じられるようになりました。

もう数日雨だといいのかもしれません。しかし明日は晴れそうですし、修学旅行の息子には晴れて欲しい。そして晴れたら次の仕事が待っています。

合掌。

文頭


 (5月22日)

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次の力仕事にかかって目が配れなくなる前にざっと見回っておこうと、庭を一巡しています。

ほとんどのところが、徹底的に手を入れてからさらに数度、取り残した草までとってあるので、風で飛んできた落ち葉を拾って新しく芽を出した草を引く程度と、庭の守が本当に楽になりました。笹や萩、それに名前を知らないつる草など、薮になる元凶の大物はもうほぼ影も形もありません。

庭がスギゴケ中心で調ってくると、如実にモグラのトンネルが減りました。手入れの上では好都合なのですが、それだけ「生態系」としての豊かさは少なくなっているわけで、どことない寂しさも感じないではありません。しかしそもそも、スギゴケを中心に特定の植物だけ残してほかは取り除け、下の土も砂を撒いてふつうの草が生えにくくしているのですから、今更「生態系の豊かさ」も変な話です。

考えてみれば、庭の手入れにはけっこう微妙な問題がある。

欧米人を相手に「日本庭園」の説明をするとして、「自然」というキーワードを使う人は多いのではないでしょうか。私も若い頃はよく考え抜きもせずそうしていたところがあって、フランスからの留学生を竜安寺の石庭に連れて行き、半日近くそんな話をしたこともあります。そうしたら後日、そいつが「自然の石」と題した写真を持ってきた。山の中でただ草に埋もれている石、川原に転がった石、などなど。

フランス人というのは一筋縄でいかないと、変な「先入見」の元となった出来事でもあったのですが、さすがに以後、不用意に「自然」という言葉は使わなくなった覚えがあります。

先日どこかで、先生が幼稚園の子供たちを連れて蝶々取りに出かけたら、そこで写真を撮っていた若者が「ここでは蝶はとってはいけないことになっている」と言い出して険悪な雲行きになり、とうとう警官が出動したというような記事を読みました。そうしてみると、私が学生時代の「欧米」はすでに一部日本人の間にも根づいているということでしょう。

何が問題になっているのかというと、原理主義的な「自然(ないし、手つかずの環境)至上派」と、寄り添い影響し合う「自然共存派」の発想の食い違いです。

例によって私は、どちらの考え方が「正しいか」ということにはあまり興味がなく、同じ主題に対して複数の見方があること、さらにはそれらが「ぶつかり合って」いることを見つめようとしています。

言うまでもなく私個人は「自然共存派」によりシンパシーを覚える立場ですが、諸外国に対してそれを主張するとすれば日本が絶妙な「人間に親しい程度に豊かで強い」自然環境にあることを自覚した上でないと変な話になりますし、日本国内的にですら、身をもって田舎での生活に入り込んでいこうとしているという一般的とは言いにくい立場ですから、無条件に「自然との共存」を主張する気にはなれません。

この点にもう少し具体的に踏み込んでおけば、たとえば「棚田保存運動」のような運動があります。かつての日本の里山の原風景であった棚田を、何とか保全し継承していこうといった類の運動ですが、私としてはあまり積極的に賛成ではありません。寄付・協賛金などの資金援助をする、あるいは週末に車で乗り付けて手入れをする、というのでは、本当の保全とはかけ離れたものにしかならない。一生かけて「棚田での作業」に合ったからだを作り、棚田と共に老いていくくらいの覚悟でなければ、とても棚田との共存などできないでしょう。たまに都合のよいところをつまみ食いする程度の「保全」しかできないのならば、棚田が廃れていくのはさみしく眺めているほかあるまい。そうでなければ博物館にでも任せて置けばよい。そんな考えです。

話がそれましたが、庭です。

長久寺の庭は、逆立ちしても観光の対象になるような庭ではありません。一般家庭の庭とは多少「公共性」において拡がりが違うかもしれませんが、行き着くところは私個人の問題です。

庭の手入れって、何だろう。どうして私はこんなに庭に入れ込むのだろう。

都会的な観点から見た「豊穣なる自然」とは、脳的な「可能性」の言いかえなのかも知れません。それに対して、豊穣であるが故に未現実の(手つかずの=荒れるに任せた)自然に手を入れて自分の思いに近づけていくことは、ある可能性を選び捨て、自ら支えることのできる姿へと謙虚になっていくことであるとも言える。その意味では、庭の手入れは確かに禁欲的な快感を伴う作業でもあります。

他面、人工物で固め囲い込んだ庭でない以上、決して終ることのないひたすら持続する手入れが必要になります。相手が「生きて」いるわけですから、常に思いがけないことがある。さらに、わたしの参与が予期せぬ結果を生み出してしまうことさえある。「わかることのできない」心地よさとでも言えばよいのでしょうか。

ほぼ、イメージした通りに調った庭は、おそらく私の「生きる」姿の投影なのでしょう。心地よくもあり、一種殺風景でもあり。大した庭でないことだけは確かです。

合掌。

文頭


衆生 (5月26日)

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しつこく、草引きの話です。

庭をざっと一巡してもう大丈夫と安心していたのですが、昨日予定の山の仕事が終ったあとの暇つぶしにぶらぶら見回っていて、「びっしり」と小さな草の芽が出ている一角を見つけてしまいました。

うわぁ! です。

今は大学生の上の娘が小学生の頃、ビーズを使った工芸に凝っていたことがありますが、一びん(高さ5cm で直径2cm 程度の小さなもの)のビーズを手のひらにあけたくらい、といった密生度です。それが、多少濃い薄いはあるにしても1m四方くらいに拡がっている。

そういえば、ここは本格的な手入れしたのが去年の夏で、この時期以前はまだ上面をざっとというところでした。ですから春遅くから初夏にかけて茂る草がとりきれていない。その種が山のように残っていたようです。しかもそれ以降に芽を出す草は徹底的にきれいにしてあるので、競合するものがなくなって爆発的に増えたのでしょう。

さて、どうしたものか。

妙に、耐性菌の出現を連想してしまいました。抗生物質の発見で、感染症は劇的に治療できるようになった。たとえば、ペニシリンは細菌が分裂する際に細胞壁の形成を阻害します。だから細菌は増殖できずに死ぬ。ところが、100 万個に 1 個くらい、ペニシリン影響下でも細胞壁の作れる細菌が突然変異で生れてくる。

「それだけ」のことならば、数の点で、ほとんど問題になりません。が、重要なのは「他の細菌はまったくいない」といういたって不自然な環境を、人間が作り出していることです。だから文字通り爆発的に増殖する。

細かい点でつじつまが合わないのは無視するとしても、中途半端な「徹底的」な働きかけが思いがけない結果を招くというところは一緒でしょう。いくら何でも、ここにこれだけの「数」の草が生えた覚えはありません。

さて、どうしたものか。

裸地に雑草だけが生えているのなら、除草剤を撒くなり、土ごと削り取るなりできます。が、ややまばらとはいえ、スギゴケも生えている。とすれば問題は三択です。一.このまま放っておいて、自然のバランスに任せる 二.スギゴケを犠牲にして、一度「駆除」する 三.一つひとつ、引き抜く

行きがかり上、選べるのは三だけです。う~む。

しばらくかがみ込んで観察しましたが、少なくとも現時点では、とても指でつまんででは引けません。本気でピンセットを使うか。それとももう少し大きくなるのを待つか。

どう対応するかは別にして、手を出した以上、四季を通じて「徹底して」手を入れるという方針は貫くことに覚悟を決めました。その中で行過ぎた徹底はおのずと補正され、私が参加できる新しいバランスも見えてくるだろう。

そうは言っても、この数! まあ、仮にピンセットを使って一つひとつ引いたとしても(老眼になったらできないな)、終るまで続ければ必ず終る(おそらく、それも現実には長くても数日で)と思うのですが、数に圧倒されてさすがの私も取りかかろうという気にはなれません。

「衆生」という言葉を、初めて生々しく感じました。一切衆生など、衆生の中の一人が軽々しく口にすべき言葉ではない。

一切衆生を漏れなく救うと誓われた法蔵菩薩の願い。とんでもないことです。

合掌。

文頭


報恩 (5月30日)

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理解していたつもりの言葉や考えが知らない間に自分の内で育っていて(あるいは目の前で育てられて)、ふと口にしたとき自分にも思いがけない響きで響いてくる。ここのところ出講のご縁をいただくたび、自分で自分が何を話しているのかわからないといった状態になるのですが、どうもそういうことのようです。

昨日まで、「降誕会(親鸞聖人のご誕生をご縁にいただく法座)」に出講してきました。実は長久寺では降誕会は勤めておらず、そのような法座があるということを知ったのすら比較的最近のことで、もったいないことながら、降誕会には個人的にあまりなじみがありません。「定型書式」のような話の組み立て方がもう一つピンと来ないのです。

準備に当って随分考えたのですが、やはり付け焼刃でどうなることでなし、名称はどうあれ真宗寺院で営まれる法座はすべて「報恩講(狭義・正式には親鸞聖人のご法事に相当する法座、ここでは意図的に拡大解釈している)」だと開き直って構成しました。

(骨格だけ紹介すれば、「生きる」→「念仏というできごと(まことの命に触れる=生まれる)」→「正定聚(しょうじょうじゅ、まさしく往生成仏する身と定まったなかま)」→「報恩」という組み立てです。)

本来であるならば、少なくとも駆け出しの初心者の間は、話す言葉を一語一句書き下ろし、聞きづらい重複や話の飛躍するところに手を入れて、仕上がった原稿を丸暗記するくらいの準備をしておくべきだと思います。せめて一度くらいそういう準備をしてみたいといつも思うのですが、どうも私にはできない。

目の前でお聴聞してくださっている方の「顔」を見てしまうと、事前に準備した「原稿」は思い出せなくなるのです。(逆に言った方が正確でしょうか。細部まで準備した話をしようとすると、目の前が見えなくなるのです。)

最近ではこれまた開き直って、「これだけは忘れない」という話の柱だけを意識の中心に据え、後は行き当たりばったりでその場で考え言葉を捜すことにしてしまいました。一応、スタックしてしまわないよう事前に使えそうな話題をピックアップしてはおくのですが、そういったネタまで「忘れないように」すると人の顔が見えなくなるので、あまり頼れません。ですから、いざ皆様の前に立つときには、途中で止まってしまわなければよいがとはらはらです。

今回のご縁では、法座の前日の夜に、一般の方(?)向けのイベントがあり、その場でも短い話をしました。必ずしもお寺でのお聴聞になじんだ方ばかりではないとうかがっていたのでそのつもりではいたのですが、何と、幼稚園児がたくさんいた。そんな話は聞いてないよ~!

しかし、しっかりと「見て」しまったのです。子供たちの顔を。

とっさに子供たち向けの話に変えられるほどの力量もなくて、また、正式な(?)法座の席には子供たちはいなかったのですが、何だかずっと、その子たちの顔を見ながらお話させていただいていたような気分です。そこに、(歳はもう違うとはいえ)わが子の顔も重なっている。そしてその自然な延長で、あの子たちの歳の「私」もそこにいて、私の父の眼でその自分自身を眺めてもいる。

そんな中、親鸞聖人の「ご誕生」にちなむご縁で、「報恩」へと収束する(はずの)話をさせていただいた。ひょっとしたら、まだおかっぱ頭の親鸞聖人をも「そこ」に一緒に見ていたのかもしれません。

事前の準備などくそくらえです。話が「予定」の通りに進もうはずがない。ここまで「訳が分らなくなった」のはさすがに覚えがないのですが、ただ、今回は「これまでのようには」落ち込みませんでした。何だか、安心して訳が分らなくなっていたような感覚です。

そんな私の口からでる「報恩」の響きは新鮮でした。恩という言葉にまとわりつく(悪く取れば)粘っこい響きを洗い流して、子供たちのほっぺたのようなつやつやした強引さ、有無を言わせぬ生命感で置き換えたようなとでも言えばよいでしょうか。

もちろん、「法話」の席の実際はそんな奇麗事ではありません。おずおずと、口ごもりためらいながらの表現ですから、お聞きの方には聞き苦しかったろうと思いますし、それを思うとやっぱり落ち込みます。

が、今回のご法縁は、間違いなく素晴らしいものでした。

報恩とは、ただ、輝いて生きている自分自身に感動することです。

合掌。

文頭