3・11

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2011(平成23)年三月十一日以来、日本の社会は変わりました。

星野富弘氏が、こんなことを書いていらっしゃいます。

1946年生れ。24歳のとき頸髄損傷で首から下の運動機能を失う。口に筆をくわえて描いた詩画作品やエッセイで著名。引用は『いのちより大切なもの』(いのちのことば社フォレストブックス、2012年)より。

    いのちが一番大切だと

    思っていたころ

    生きるのが

    苦しかった

 

    いのちより

    大切なものが

    あると知った日

    生きているのが

    嬉しかった

 

 「いのちより大切なものとは何ですか?」

 1986年にこの詩を書いて以来、長年この質問を受けてきました。しかし、未曾有の大災害となった2011年三月十一日の東日本大震災以降、この質問をされる方がほとんどいなくなりました。

地震、津波、そして原子力発電所の事故とが重なり、多くの方の生命とたくさんの街が失われ、今も復旧が続いているこの災害を、どうとらえまたそこから何を学ぶかは、人により立場により大きく異なるでしょう。政治家、技術者、文明批評家、遺族、被災者、現地で行政に携わる人、そして一般人、それぞれの思いがあるはずです。

いずれにしても、3・11後を生きている者にとって、それまでの自分と同じではいられなくなったという面は間違いなくあります。それをいのちのおしえの立場からとらえてみます。

わたしが住んでいるのは山口県のしかも過疎地の山間部で、被災直後を含め、直接の影響はほとんど受けていません。放射線量の広報とも余震とも無縁です。周囲にはボランティアで現地入りした知人もたくさんいますが、わたし自身は特に何もせずそれまでと同じ生活をしています。

自分の生活には影響がないから何もしない、というのではありません。そうやって静かに受けとめるのがわたしの役割と思うからです。

仮想的に、がんという病気を通じていのちを考えるといった会合があると考えてみてください。そこには、がんと宣告され何としてでも治ると気を張り詰めている当事者、同じ患者であっても治療はあきらめ死と向き合っていこうとしている人、さらに身内をがんで亡くしたがん遺族が参加します。遺族も、大人のがん死だけでなく、小児がんで小さい子どもさんを亡くせた人もいます。その場で話をしなくてはならなくなったとして、どこに立てば全員に届く話ができるでしょうか。

現実的には、少なくともがんと闘おうとしている人と受け入れようとしている人は分けるべきでしょう。こころの向きが正反対なのですから、片方の一番聞きたいであろう話は、他方を頭から否定してしまう内容になりかねない。かといってお座なりな話で済ますわけにはいかない場です。

しかしここでは、あえて仮想的に考えます。現実的な対応では結局蓋をしてしまって触れずに逃げていることになる面もあるからです。この仮想「がんの会」で、話し手も含めた全員が共通に立っている土俵が、実はあります。「今生きている」ということです。

それが一番伝えにくいのはがん遺族、それも子どもさんを亡くせた方でしょう。たいていの人は、死んでいった子どものことを考えている。もっといい病院だったら、もっと早く気づいていたら、救えたのではないか。それは自分が生き残っていることのやましさからくるものです。そのやましさをすり替えて、問題を手の出しようのない遠くへ据えてしまっています。悪くすると、現行の医療制度への不平や恨みにもつながりかねない。

わたしがわたしの立場で引き受け、その上で伝えたいことは、ほんとうの問題は死んでいったわが子ではなく、そういう大きなご縁に出会うことで、心許ないものと現れている自分自身のいのちのはかなさだ、ということです。がんを患っている当事者であろうとがん遺族であろうと、今自分が生きている、つまり自分のいのちのはかなさに否応なく気づかされ打ち震えている、という点では同じところに立っているのです。

そこから言うと、逆にがんの当事者も、自分から袋小路に入っていないとはかぎりません。もし自分を、貧乏くじを引かされてしまった被害者のように思ってしまうと、ほんとうの問題は隠されます。がんにならなかったら死なずにすむわけではないのです。がんという病気になることで、死を逃れられない自分であることを突きつけられているというだけです。問題は、生きていることにあります。

「がんの会」はここでは比喩です。がんの当事者とは現地の被災者であり、がん遺族はわたしを含め自分の生活にはなまの影響がなかった者です。「今生きている」という共通項も、被災、特に津波で生命を落とした人に対し、「自分は死なずにすんだ」ということを言っているのではありません。生きている無事ではなく、むしろ生きている危うさ、あるいは負い目、より正確には生きているという謎ないし課題を指します。

3・11を通じて、わたしたちは生きているということが当たり前でないことに気づかされた。また、小さい自分のいのちが最優先というだけではあまりに薄っぺらいこともよくわかった。ここでは重きを置いていませんが、自分がこれまで無自覚に享受してきた便利さの問い直しを迫られるという側面もあるでしょう。

わたしは、防災、危機管理、再建、現地支援などの重要性は重々心得た上、そういった対応だけではこぼれてしまうかもしれない出会い方として、生きているわたしたち自身の「いのちのもろさ」を知らせるために突きつけられた刃と受けとめます。津波で流されていった人たちと自分とが「同じ」と見えたとき、亡くなっていかれた方々の死が無駄にならない。災害に遭おうと遭うまいと、わたしたちは死にます。その重さを引き受け、わたしたちはそれを身をもって教えてくださった方々と共に、救われていかなければならないのです。

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やましさ

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人間でいることのどこか深いところに、得体の知れないやましさの感情が潜んでいるように思います。

ここ数年、ネットで見つけた阿弥陀仏の画像に一言だけ書き添えて賀状としています。ある年、神峯かぶさん寺の阿弥陀如来像(おそらく座像)に、「案ずるな、生きよ。」と添えて新年の挨拶を送ったところ、のべで二十人近い方から、電話、メール、手紙などで「すばらしい言葉をありがとうございました」といった旨のお礼をいただきました。年賀状にこんな反響があったのは初めてで、わたしの方が驚かされました。

しかも、一人の例外なく日ごろ仏教とは縁のない方で、世間的にはしっかりしたやり手と見られているであろう人ばかりなのです。男女比は3:2くらいで男性が多く、年齢は七十・八十代が中心ながら、一人は四十前でした。いただいた言葉の中に「毎日やましさを抱えて過している中、ほっと息がつけたように感じた(取意)」といった内容のものがいくつもあり、それ以来「やましさ」に着目するようになった次第です。

人間は常に進歩・発展しているという歴史観とは別に、わたしたちはどんどん退廃しているという見方もあります。仏教で言う末法思想などが後者の例です。個人的には退廃説により親しみを覚えつつ、単に厭世的・否定的というだけではすまない、積極的と言うと違いますが必然的な何かを感じています。人間は弱くなっていく傾向をはらんでいる?

非生命的な物質が生命体へと飛躍したとき、はかなくもろい姿となったことと引き替えに、環境の変化に適応し、自己を複製して増殖していくというしたたかな強靱さを手に入れました。植物に対する動物も、生存のための条件がより厳しくなる一方で能動性を勝ち得ています。動物の中にヒト(ホモ・サピエンス)という種が成立したとき、何を犠牲にして何を獲得したのか。

生物学に、ネオテニー(幼形成熟)という考え方があります。ヒトは裸のサルです。チンパンジーの赤ん坊と人間の赤ん坊はよく似ていますが、チンパンジーとしての成体にならず、子どものままの姿で大人に育ったのがヒトなのです。ヒトがチンパンジーのネオテニーであるように、犬は狼のネオテニーです。

進化上、ネオテニーという戦略をとった生物が淘汰されずに繁栄している以上、デメリットを補えるだけのメリットがあったはずです。デメリットは、端的に言って成体の個体としての弱さです。文字通りひとり立ちすることを放棄したのですから。それを埋め合わせているのが、学習期間の長さです。それによって単なる群れを超えた社会を作り上げました。

さらに、人間とは宙ぶらりなことでした。宙ぶらりであることで、環境を対象化し利用するという一生物の分を超えた大きな力を手にしているわけですが、それは地に足がついていない弱さと表裏一体です。

一見後ろ向きにも見える歴史の退廃説は、実はそういう根源的な弱さの自覚、人間であるという事実に対するより深い責任感覚の現れであるというのが真相なのではないか。そしてやましさ、後ろめたさという感覚も、掘り下げていけばそこへ届くものなのです。

その意味で、キリスト教で言う「原罪」とは実に深い宗教意識です。おかした覚えのない罪に問われる。しかも罪を問われることはまっとうだと感じられる。人間であることの根底に潜む無力さと、そして同時に全宇宙に対する負い目ないし責任感を切り出したものでしょう。原罪意識を欠いた一神教は、簡単に危険な独善の体系になります。

生きていく間には、しておけばよいこと、しなくてはならないことであっても、十分にはできていないことがたまってきます。根がしっかりしたまじめな人ほどその思いは強いでしょう。それがやましさです。やりたくてもできないからやましさとして抱え込むので、やましさを感じてしまうとそれを自分で解消するのは不可能です。かつかつにでもやらねばならぬことはできていると思っている間は、やましさなど意識しないはずですから。

そんな、自分ではどうしようもないところへ追い込まれていた人に、「案ずるな、生きよ。」が届いたようです。

やましさにより深くさいなまれているのが、子どもを亡くした親、あるいは自死で肉親を亡くせた遺族などです。気休めは通じませんし、また一度覚えたやましさは消えてくれることはありません。

しかしやましさの矛先を、過去へではなく今の自分の生に向けられたら、また見えるものが変ってきます。取り返しのつかない過去へ、ましてや亡くなってしまった人へ向けられたやましさは、もうほんとうに手の出しようがなく、いたずらにわが身を責める以外できることがありません。しかしそれではもったいない。やましさが実際にはわたしの今に関わることであると知れたならば、宙ぶらりな生を生きているということそのことからくる生々しい感覚だとうなずけたならば、やましさこそ生きていることのあかしになるのです。

そこに、「案ずるな、生きよ。」が響きます。しっかり生きろ、ではありません。しかりすることができなくて味わっているやましさであり、そのやましさが教えてくれるわが身の無力さに直面して開かれた、自分で生きなくてはならないのではなくて生かされていたのだという気づきが、まかせ安心したくつろぎへ通じます。

開き穴と通じてはじめて、大悲のいのちが流れます。いのちとは流れです。しっかり生きているつもりのときはかえってまだ自分に閉じており、いのちの柔らかいすがたに遠い。無力さを教えてくれるやましさを自分の今の深いところに据えられたら、我執のこわばりの底が抜け、ほっこりとした楽な心地が向こうから入ってくる。そのとき身を切るような冷たいやましさが、血の通う暖かいもったいなさに転ぜられます。

やましさを、いとおしんでください。やましさを通じておのれの無力さを思い知らされ、そこより逃げ場がなくなれば、もう自分で自分を支える意味はなくなります。正しくあることができなくなってしまえば、すでに自分を護る必要がない。丸裸でいられるのは、実は一番楽なあり方なのです。

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人権

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やましさをいとおしむ心性からすると、人権という主題もまた違った見え方になります。

人権にとっていのちは重要なテーマですから、「人権なんとか協議会」のような団体の研修会で講師を依頼されることがよくあります。しかし正直に言うと、わたしは人権は苦手なのです。human rights(人権)というよりはhuman lefts を考えているのがわたしの立場であり、また人権の文脈で問題にされているいのちは何より個々人の生命であってヒューマニズムの圏内にとどまるものであるのに対し、わたしはある面それを強く否定しようとしているからです。

権利 rights が右 right と関連していることによるシャレで、右を左 left に置き換え、権利放棄、あるいは権利に対する疑義といった意味で用いられる。copyright(著作権)に対して copyleft(著作権放棄)など。

ですからそのような場で話すときには、まずわたし自身の人権を放棄することでスタンスをとります。もちろん人間はどこまでも社会的な存在ですから、わたしが勝手に放棄したからといって責任まで逃れることはできませんが、要は自分自身を「正しい側」に置いたままで発言しないという、自分に対する態度表明です。

人権は、政治的な土俵における主題です。一方で自分よりも強いものに対して対等であろうとする闘争であり、他方で自分より弱いものをかばおうとする擁護です。わたしはどちらに対しても違和感を覚える。強者・弱者、どちらにもくみしないところに立つことで見える風景を、簡単に紹介してみましょう。

東京で小学校の先生をしている知人(男性)が、人権訴訟を起こされました。受け持ちのクラスに、素性はいいのだけれど学習習慣のない女の子がいて、ここで踏ん張ったらいい学校へ進学できるとの思いから、「お前、それじゃあダメだぞ、少し勉強をしよう」と居残り学習をさせました。それが取りざたされた。最初又聞きで聞き知ったときには、女の子と暗くなるまで学校に残ったというような配慮の足らないところがあって、それにつけいられたのだろうとくらいに思っていたのですが、詳しい実情を知って驚きました。訴訟内容は「人の子をバカ呼ばわりした」というものだったのです。幸い示談に持ち込め、そういうことのために保険にも入っていたので、実質的な被害はほとんどなかったとのことでしたが。

いわゆるモンスターペアレンツです。しかしわたしは、そういうモンスターたちがおかしい人と切り捨てて片付けようとしているわけではなく、大なり小なり現代人はモンスター化していると感じます。ほとんどの人に、どこか「わたしは正当に扱われていない」「不当にいい思いをしている人がいる」といった感覚はあるのではないでしょうか。それがある限り、潜在的なモンスターです。

別な知人が、コンビニの駐車場で通路の真ん中の思いがけないところに停めてあった車に気づかずバックして、軽くぶつけて相手の車をへこませてしまいました。修理費三万円ばかりの小損傷です。自分の車はバンパーにかすり傷がついただけ、すぐに事故証明をとり、保険屋さんに連絡して、一応ことは済みました。ところが相手の車の持ち主から、最初は新車に代えて欲しいと連絡があり、しまいには慰謝料をくれと言われだして困ったと話していました。法律的な弁償(原状回復)の意味を説明し、その程度の損傷は事故歴にならず後々の下取り査定にも影響しないことなどを説明してもなかなか納得してくれない。とうとう、法律で正当に定められている以上のものを要求することは「ゆすり・たかり」になるのですよ、と少し脅してやっと、しぶしぶ引き下がってくれたとか。特別な人ではないふつうのおじいちゃんだったそうです。

どこか、権利意識が不自然に肥大している。

ものの考え方、自分が置かれている状況の評価の仕方が、ほとんど根拠なく想定された「パーフェクト」からの引き算になってしまっているように思えます。それでは不満しか出てきようがありませんから、不幸です。同じ(パーフェクトに照らすならば不十分なところのある)対応をしてもらって、「ありがたい」と喜んで受け入れられるのと、「泣き寝入りを強いられた」と割り切れずにいるのとでは、幸福度は雲泥の差になります。

また別な話に、小学校五年生の女の子に、「どうして投票率は百パーセントにならないのか」と真剣に詰め寄られて返答に窮したことがあります。確かに理屈では投票は成人の権利であり義務であるわけですから、全員がきちんと義務を果たせば投票率は百パーセントになるはずです。しかし、「それが当然だ」と振りかざされると、ちょっと待ってくれと言いたくなる。ただ、正当に弁論するのはむつかしそうです。その子の言っていることは間違いなく正しいのですから。

問題が指摘できるとすれば、完全な正しさ、パーフェクト、などが考えられるのはことばの世界だ、ということです。ことば、あるいはあたまだけが突っ走ってしまっている中で、それについていけないこころやいのちが置き去りにされていないか。上の投票率の女の子の話も、ずっと考えていると、いじめを育む空気と重なってきます。現代人はみんな、正しさ・正当さの中で酸欠になっている。正しくばかりはあり得ない、白黒割り切りようのない、等身大の自分が生々しく生きている様そのものが感じ取りにくくなっているように思われます。

あたまそのものに、あたまの暴走を止めることはできません。いのちの復権を工夫しなければならない。

いのちは流れです。しかしここではそれにはこだわらず、むしろ弱さ、正しくありえなさとしていのちを考えます。その時点で、人権の文脈でふつうに語られるいのち――無条件に尊重されるべきもので、輝いているような何か――とは別物です。さらに人権擁護というスタンスとも違います。しっかり独り立ちしている強い者が、不完全で弱い者を支えたすけるというのではなくて、わたしたち全員の内にある弱さであり正しくありえなさを認めることなのですから。

これまでの話とつないで簡単に言うならば、やましさを受け入れ、ちゃんと居場所を与えることです。生きていることにはやましさがつきまといます。やましさをどこか病的な悪いものとして一方的に嫌うのではなく、むしろまさに生々しく生きている証拠として迎えることができれば、気持ちの深いところでひとつくつろげます。その小さなくつろぎを互いに見失わずにいられるなら、世の中もまた変ってくるはずです。

人権という言葉は、どこか強すぎる。強すぎるがゆえに隠してしまっているわたしたち人間の具体的で生々しく、そしてか弱い姿がある。そこに寄り添うところから、わたしはいのちを考え、いのちに触れていきたい。

ただ、自分の弱さを「自分で」肯定したのでは、結局ヒューマニズムを超えることができません。ですからやましさとは究極的には自分の無力さを知らしめられる契機であり、それを通じてわたしに対する他としての大悲のいのちに開かれてはじめて、いのちのおしえと言い得ることは言い添えておきます。

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差別

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人権の続きで、黙って通り過ぎるわけにはいかない課題、差別についても考えておきましょう。

残念なことではありますが、仏教も差別と無縁ではありません。釈尊その方の提唱された仏教は、現在のカースト制度にも通じる固定化したバラモン教の身分社会の中において、出自を問わずそれまでの職業の卑賤を言わず道を求める者だれでもを受け入れ、対等にさとりへの道を示したのですから、本来社会的な差別を否定するものであったはずです。しかし長い歴史の中、結果的に差別を助長・温存する形になったことが少なからずあるのです。

一つには、歴史的経緯によるものです。中国においてそうであったように、日本でも伝来後奈良・平安時代には仏教は国家宗教として庇護されました。王朝国家の思想的基盤を与えたと言えば聞こえはいいですが、一握りの貴族による支配体制を是認し、現実世界のあり方を予定調和的な善きものとして支えたとすれば、その実状は釈尊の仏教とはかけ離れたものだったと言わざるを得ないでしょう。

鎌倉期に登場した新仏教は、当時の社会秩序を踏み越え、あらためて生ける者一人一人にとっての仏教を再生するものでした。しかし時代が進み江戸時代の安定期に至ると、幕藩体制の中に取り込まれ、庶民の側というよりは支配者側に立って、*1差別を含む社会体制を維持していく力となってしまうのです。江戸時代が終わって百五十年、社会の大きな変動を経つつも、いまだに家を単位とする*2檀家制度に依存しているとするならば、既存の仏教教団はすべて、宗派を問わず差別を温存する体質から抜き出し切れてはいないと言わなければなりません。

*1 いわゆる部落差別に関しても、被差別部落出身者とわかる差別戒名(真宗では法名と言います)をつけていた例や、就職や結婚に際しての身元調査に寺院が協力していたという事実があります。

*2 寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係。檀家が寺院の経済的基盤となる。幕府がキリスト教禁令のために実施した寺請てらうけ制度とリンクして、一般民衆はキリシタンでないことを寺請証文として発行してもらわないと事実上生活していけなかったため、双方向的で対等な関係ではなく、一方向的な強権力として機能した。

二つ目により根の深い問題として、仏教教理の誤解あるいは曲解による差別の肯定があります。その最たるものが、間違った宿業観です。業とは本来決定論的に変えようのないものとして自分の生涯をとらえる考え方を打破するためのもので、現在の行為が明日の自分を形成していくという主体的・自己責任的な考え方でした。それが過去に向けられて、現在の境涯は過去世の行為の報いであると理解されるようになったのが宿業です。

宿業ももともとは、今自分が苦しんでいるとしても、それは自分には手の届かない外在的な理由によるものではなく、ほかならぬ自分自身のしてきた行為によるもので、したがって自分の責任で変えていけるという意味か、あるいは逆に、仏法に出会えるなど思いがけない善果に遭遇したとき、それを自分の努力の結果とうぬぼれるのではなく、自分の知らないところでたくさんの善因に支えられていたのだろうと喜ぶものであったはずです。

それにも関わらず、たとえば障害を持って生まれてきたというような人に対し、それは宿業だからあきらめよと強引に受け入れさせるための論理に曲解・悪用されるようになってしまいました。「親の因果が子に報い」などとなると仏教的には論外なのですが、現実にそういう理解が広まり、またそのような布教活動がされていたという事実もあるのです。

上記二点は、昔のことあるいは間違ったことを言ってきた僧侶が悪い、と片付けてしまうわけにはいかず、現に僧侶であるわたし自身が担っていかなくてはならない歴史の事実です。ですので、第一に本来の業および宿業の意味を伝えていくと同時に、第二にわたし自身の言動においてそのような負の遺産を精算していかなくてはならないことです。それに対しての申し開きはできませんし、しません。

しかしもっとやっかいなのは、仮にわたしが百パーセント善意の人間であったとしても(そんなことはありませんし、また不可能なのですが)、好むと好まざるとに関わらずわたしが生きているというそのことにおいて生み出している差別です。

農村で、昔は押切おしきりという道具を使っていました。刃渡り 50cm 以上の大きな包丁が上を向いてついていて、その上に草を乗せ、間に隙間があって包丁の刃が通り抜けられる添え棒を上から当てて文字通り押して切り、小さく切りこんだ草を田畑に肥料として鋤き込むための道具です。最近では本来の用途で使うことはほとんどなくなっていますが、うちの寺にもあります。

わたしが子どもの頃、作業中に、間違って押切の歯の上に尻餅をついてしまったおばあちゃんがありました。お尻がパックリ切れてしまって大騒動です。詳細は知りませんが、大急ぎで病院へ運び、消毒して縫い塞いでだったはずです。

わたしたちの身体でさえもが、パックリ口を開いたままでは生きていけないのです。ここは内、ここから向こうは外と、はっきりと仕切っておかないと生存に差し支える。ましてやわたしたちの我執、これはわたしあるいはわたしのもの、そっちはわたしには関係ないと、ちゃんと線引きすることを求めます。しかしそれが我他がた彼此ひし、我と他とあっちこっち、いざこざギクシャクの原因です。

あるいは、盆踊りは『盂蘭うらぼん経』という偽経の記述によると言われます。神通第一の目連尊者が、亡くなったあの慈悲深い母はどこに行っているのだろうと神通をもって探してみたら、何と意に反して餓鬼道に堕ちていた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したけれども、ことごとく口に入る前に炎となって母親の口には入らない。どうすればよいかと釈尊に問うと、比丘たちに飲食を施せばその一端が母の口にも入るであろうと。そのように実行して、目連尊者の母も救われ、飲食を施された比丘たちがうかれ踊った様から盆踊りが始まったとされます。

中国撰述の経典。『盂蘭盆経』は儒教の孝の倫理を流布する目的で編纂されたとみなされている。

盆踊りの話はどうでもよくて、ここで取り上げたいのは母の愛です。浄土真宗でも阿弥陀仏の慈悲を伝えるのに母の子を思う思いは比喩としてよく使われるのですが、人間世界における親の愛は、わが子の偏愛に留まります。目の前でわが子とよその子とがいっしょに溺れているとき、わが子から助けようとするのが親の人情でしょう。実際、小学校などで海で遠泳実習をするとき、必ず肉親に見守りを依頼すると聞きました。引率の教師は全体を見ていて、必ずしも一人一人を見ていない。それが命取りになることもあり得るので、「この子」から目をそらさない肉親に頼るそうです。

しかし、それが潜在的で根源的な差別です。そのような執われの内にあったからこそ、目連尊者の母親も餓鬼道に堕ちた。わたしたちが生きているということは、どう取り繕ろおうとも、我愛を離れられない。生きている哀しさです。

いのちのおしえは、それを是認することはありません。そのままでは結局迷いを抜け出せないのははっきりしているからです。しかし嫌わない。抱き取りつつ打ち破る。そんな大悲のはたらきに抱き破られて、わたしは穴になります。

差別についても、現実の差別を社会的に解消していく政治的な努力と同時に、わたしたちが「別の個体」として生きていることそのことがはらんでいる差別と、逆にその差別が示している絶対的な平等に気づいていくという方向が必要です。簡単に言って、わたしたちはみんなかならず死ぬ。その事実の暖かさです。

みんな死ぬる

人とおもえば

なつかしき (木村無相)

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自死

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もしあなたが今、死んでしまおうかなと思っているのなら、一言だけ聞いてください。ただ死んでも、なんの解決にもなりません。

生きる希望どころか気力さえないくらいに追い込まれているとしても、今あなたの心臓はけなげに動いている。今あなたの目はこの文をたどってくれている。そしてあなたが生きていることそのことに寄りそっているおおきなはたらきが、あります。「案ずるな、生きよ」と。

意味があるから生きるのではなくて、生きていることに、わたしたちにほんとうにはわかり切れないだけの意味があるのです。その意味を少しでも知りたいから、みんな生きている。その不思議な意味に気づくことなく生きるのをやめてしまわれると、わたしには切ない。そして生きている不思議さに気持ちが開かれれば、死んでいくことにも大きな意味のあることがいつかわかります。それを知ることなく今死ぬのは、ほんとうにもったいない。

あなたのまわりに、あなたのことを知っている人がたくさんいます。あなたがいきなりいなくなってしまったら、みんなわけがわからなくなります。ひょっとしたらそれもピンとこないかもしれないけれど、たとえば今あなたの着ている服があります。その服を着てあげる人がなかったら、きっと服もさみしい。あなたのいのちは、あなたの内側だけにあるのではなくて、あなたが思っているよりおおきくひろがっているのです。

もしここまで読んできてくれているのなら、だれでもいいから近くの人に、「死のうかなと思うくらいつらい」と、そっと伝えてください。

……

もしあなたが大人であれば、とりあえずちょっと立ち止まって、ゆっくりまわりを見回してみていただけたらと思います。

きっと、大きな挫折に出会い、自分なんて無価値だと感じていらっしゃるのでしょう。しかしあなたの価値はあなたが挫折なさったことの中にだけあったのですか。仕事で失敗なさったのなら、あなたは仕事だけの人だったのですかということです。

気持ちの上では、そうだったのかも知れません。しかし人間、一つのことだけで百パーセント自分を決定できるほど簡単でも単純でもありません。ものも食べるし、トイレにも行く。そういうところでも生きている自分を忘れていたとすれば、今のあなたは頭だけの幽霊です。死ぬまでもありません。

できれば、一度深呼吸してみてください。息は、入ってきて、出て行ってくれるでしょう? つまりあなたは幽霊ではなくて、しかも開かれているのです。ということは、これまでのあなたは自分で自分の首を絞めていただけです。

そもそも人間一人、たとえ合衆国大統領であろうと、大したことはできません。あなたの思いに関係なく、日は昇り、日は沈む。しかしあなたにとっての日は、あなたがいなければ昇りません。同様にいくらささいであっても、すでにあなたでなければ支えられないもろもろの諸事情があるはずです。それを放りだしていいのですか。というより、そのようなしがらみこそ、あなたが現に生きているということのはずです。

心配しなくても、いずれ、必ず死にます。それまでもう少し苦しんでみるのもいいではないですか。苦しんでいる間に、とんでもない宝物に出会えないともかぎりません。

……

もしあなたが自死遺族であったなら、これまでの話は不要につらかったかも知れません。わたしにも、お亡くなりの前にお出会いできていたらという思いがあります。仮にそれがとんでもない思い上がりであるとしても。

しかし現実には受けとめていくしかありません。ですので言い切ります。お亡くなりの方は、死に切らせてあげてください。

何で? どうして? という(言葉は不適切かも知れませんが)被害者意識、あのときこうしておけばよかった、なぜ気がつけなかったのかという自責の念、あるいはあれが悪い、こいつのせいだと責任転嫁の思いの中で、引きちぎられ苦しんでおいでのことと思います。

ならば、いずれわたしが成仏した暁には間違いなく救って差しあげますから、お亡くなりの方その方のことはわたしに任せてください。(ほんとうは、このご縁を通じて何より「あなた」が成仏くださって、あなたにお亡くなりのその方を救っていただきたいのですが。)

3・11の項でも触れたように、大切なものを亡くして直面しているこの理不尽な感覚は、すべて、あなたが今生きているということの内にあります。それを伝えたいがためのゆえの「死に切らせてあげてください」です。あなたの目があなた自身の外に向いてしまっている限り、あなたの救われようはありませんし、あなたがしがみついて迷わせている(のかもしれない)お亡くなりの方も迷い続けるしかなくなるかもしれません。

すべての苦悩も謎も逆にすべての喜びも解決も、今、わたしが、あなたが、生きていることの内にあります。わたし一人の努力、力で生きるのではありません。このようなわたしが生きていることにおいてしか現れようのない何かが、現に生きてはたらいているからです。

ですから、ここで救われましょう。救われるとは、立派な人間になることではありません。安心して迷いの凡夫をしていられるようになることです。そのことの内に、一切衆生の救済が実現されています。

……

以下は一般論です。

なぜ人を殺してはいけないのか。なぜ生きていなければならないのか。

人間が、(別のあるいは同じ)人間の意志で人間であることをめられたのでは、終わりがなくなってしまうからです。ヒトという動物は殺せるかもしれませんが、人間に人間は殺せない。何より、「わたし」の本性は死ねないものでした。ですから、宙ぶらりなままの「人間」が解決のすべを失って残ってしまうのです。

殺人も自死も、人間という土俵でのみ問題になる、人間であることの意味をめぐっての問いです。それをベースに、具体的な局面に降りていきます。

閉じた共同体の中でならば、人を殺すことの抑止には「自分が殺されたくないから、人を殺してはならない」でふつう十分でしょう。そこからこぼれてしまう場合として、身近なところでは自己防衛があります。身を防ごうとして、結果的に相手を死なせてしまったという場合です。これは、少なくとも共同体的には免責されてよいと思います。人間的と言うよりは動物的・本能的な対応だからです。

次に、たとえば人質を取って立てこもる凶悪犯を特殊部隊が射殺する、というような場面が考えられます。法的にどのように理論づけられているのかは知りませんが、差し迫った危険を排除するという意味で、能動的と言うよりは受動的ですし、自己防衛の延長ととらえます。もちろん、上記二件とも、人間が人間を死なしめたという事実は残ります。また、それが我愛という差別に起因することは見失わずにおきたいと思います。

しかし、犯罪者に対する死刑となると話は変わります。時間には余裕があるのですから、しっかり考えてみることはできます。どう受けとめるのがもっとも「人間的」か。ここで言う人間的は人道主義の意味ではなくて、わたしたちが人間として抱えている迷い・苦しみを、少しでも解消の方向に向けるにはどうすればよいかです。

まず被害者あるいは被害者遺族側から言って、犯人に極刑を望むことで何が救われるでしょうか。それでなくても犯罪に巻き込まれることで尋常でない苦痛を抱え込まされているのに、それに加えて恨みを募らせてはかえって苦しくないか。あなたが出会った苦しみは、ただ仕返しをすれば気が済むようなものであったのか。小さな苦しみはやがて忘れる。大きな苦しみはわたしを育てる。深い苦しみは慈しみに至る。むしろ、あなた自身が今の理不尽な思いから解放されるためにも、安直に極刑に頼るというのは性急すぎるのではないでしょうか。

次に犯罪者側から考えるに、犯罪者も人間です。性善説的に犯罪者の更生を信じるとか犯罪者の人権がとかではなくて、犯罪者が人間であるということは、わたしもそうならないと限らないということです。「さるべき強縁ごうえんのもよほさば、いかなるふるまひもすべし(歎異抄)」です。いかに「人間とは思えない」ような犯人であっても、彼が人間であるかぎり、同じものがわたしの内にもあります。それを見失わないためにも、極悪犯罪者は抹消してしまえばよいという発想には抵抗があります。

結論を出すのは急がないにしても、「人間に人間が裁けるのか」という問いははっきり掲げておきましょう。

「殺人」に関わってもう一つ考えなくてはならないのが、戦争です。しかし実は、いのちのおしえに照らして何が言えるのか、わたし自身まだよくわかっていません。もちろん、戦争肯定でないことは間違いありませんが、いったいどこでそれが支えられるのかがつかめないのです。

仏教は宗教戦争をしなかったという言い方をする人がありますが、間違いです。一向一揆では加賀の国を支配しましたし、石山本願寺は対等に信長勢と戦った。第2次世界大戦の際、本願寺教団は政府の方針と足並みを揃え、戦死者には手厚い葬儀をするなど内容上戦争賛美に等しいことをしてきています。スリランカでは仏教勢力側からの武力弾圧もありました。

確かに一神教の事情と比べれば「平和的」に見える面もありますが、それはむしろ一神教の方が社会実践に積極的で、仏教はそういう面には弱いという性格によるものでしょう。(これまで仏教が積極的に戦争回避に動いた例としては、ダライ・ラマ14世の亡命が挙げられるでしょうか。彼は武力衝突は望みませんでした。)

「子どもたち」が子ども一人一人とはまた別に生きているとするなら、国家、あるいは民族ないし部族も、その成員とは独立に生きています。内紛も含めた戦争は、そういう生きものどうしの生存をかけた争いということになるでしょう。その次元で、一成員の立場から、わたしに何が言えるか。

当座大きな紛争に直接巻き込まれておらず、治安もよくて、また徴兵制度がない日本で暮らしていれば、戦争に反対するのは簡単です。しかしたとえばレバノンでは若い女性や子どもまでもが自爆テロに加わっている。状況がほんの少し変われば「○○をやっつけろ!」と国中が盛り上がってしまわない保証はありません。仏教の側から言ったとき、今の日本の平和は仏教が積極的に関わって実現しているものではなくて、ほとんど偶然です。そして万一紛争への気運が高まったとき、現在の仏教の影響力からしてそれに歯止めがかけられるとも思えません。

もし仮に日本が交戦状況に入り、わたしがまだ十分に若かったとして、招集があったとすれば拒否するつもりでいます。それで国内法に問われるのはかまいません。家族にも困難を強いることになるでしょうが、それも目をつむります。しかしそれが、自分は人は殺さない、そういうことは他の人に任せるというだけであれば、火事場での危険な作業を職業消防士に頼っているというのとはわけの違う話になります。

国家がひとつの生きものとして生きている、というイメージからすれば、上述のわたしの招集拒否は、有機的な国体に対する一成員の反逆です。言ってみるならばがん細胞と同等です。一成員が我を張れば、全体が機能しなくなる。国家間の戦争で、中枢の一部指導者が暴走し、庶民が犠牲になるという理解のしかたはあまり好きではありません。上層部の肩を持つわけではなくて、庶民が犠牲者ならば指導者も犠牲者、指導者が暴走したのなら一般庶民も同列と言うべきでしょう。

しかし、戦時には国家に忠誠を、とも受け入れられない。結局、いのちのおしえにおいて自分自身がいのちの現場を離れまいとするならば、戦争に走ってしまった国を否定するしかないということになりそうです。わたしを包む全体として有機的な国家体制が上を覆って邪魔してしまうと、直接大悲のいのちそのものと関わるのがむつかしくなるからです。厳しい選択ですが、そうなってしまわないためにも、平和を願わなくてはなりません。

(なお、ここの記述で身体や国体のような有機的な全体と、涅槃という契機を経て触れられた全体とが少し混線しています。宇宙全体、といった形容において、有機的・予定調和的で実体的なものを考えているわけではなく、大悲というはたらきがはたらきとして実現していることにおける一体性を問題にしています。)

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自分さがし

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自分さがしは不毛です。さがして意味があるのはしっくりくる環境と、安心して隙の見せられる人です。

多少は揚げ足取りのような面がなくもありませんが、自分さがしを不毛と言い切る理由は、環境・人両方の意味での周囲と独立した「自分」などというものが、はっきりとあるわけではないからです。さがし方を間違うと、見つからないだけでは済まなくて、探せば探すほど希薄になってしまうおそれさえあります。

紀元前十世紀のギリシャ人には自己意識がなかった、という研究があります。ギリシャ人が取り上げられているのはそれくらい昔の状況を再構成できる資料(ギリシャ神話ほか)がたまたま残っていたためで、他の理由はありません。その頃のギリシャは小さい部族単位で生活していて、他部族との交流もあまりなかったらしい。そうすると、同じ環境で同族のものがこじんまりまとまって暮らしているわけですから、感情や考え方が共有されて自分と他人とを区別する必要がなかったのです。

やがて人口が次第に増えてくると、他部族の生活圏と接し合い、ときにはぶつかるようになった。同じ言語を話しているのに、隣の部族の振る舞いは自分たちと微妙に違う。「こいつら何を考えているんだ?」とひっかかることで、逆に自分(たち)のことを意識するようになり、そこから時間をかけて「自分」という考え方が生れてくるという話です。

つまり、自分とは、異質なものとの関わり合いの中で生れ育つものなのです。

一昔前の日本も、ある面自分はなかった、あるいは弱かったのかもしれません。無私、滅私のように、おおやけに対するわたくし(プライベートなもの)を消し、公的な共同体そのものを生かすことの方が重視されていたと言えるでしょう。しかしだからと言って一人一人の満足度が今より低かったということではなく、むしろ比較的小さくて動きの少ない社会の中で、周囲と調和して落ち着いており、その意味では「自分」は現代よりも大きくゆったりしていたのかもしれません。

ところが現代の社会は、昔と比べ格段に対称性が高くなっています。対称性が高いとは、固定的な何かに固まって身動きがとれなくなることなく、何にでもなることのできる状態です。たとえば、氷が融けて水になり、水が蒸発して水蒸気になるとき、順に対称性が高くなります。コップの中の水はそこに局在してコップの外へ出られませんが、水蒸気は自由に部屋中を飛び回っています。ですから対称性が高いことは、いい方に言えばある程度の平等性が実現されていることです。理屈上、今の子どもたちは親の職業や性別にほとんど関わりなく、なりたい職業に就くことができます。しかし逆に言えば、対称性が高いとはそのまま不安定であることでもあります。何にでもなれるということは、まだ何でもないということですから。

そのような状況の中で大人になっていくことは、可能性を伸ばすことという以上に、無意味な可能性を捨てていくこと、あきらめていくことです。ところが先に見てきたように、現代人はあきらめるのが下手になっている。ですから間違った自分さがしをしてしまうと、現実的でない夢だけ追って、つらさを伴う具体的な努力は何もせず、結局支えとなるようなものは何も残らないということになってしまいかねないのです。

それは宙に浮いたあたまの妄想です。いのちは流れです。草がそよぎ葉が揺れて風が知られるように、異質なものとぶつかりそれに抵抗されてはじめて流れは流れとわかります。ですから自分といういのちが一番輝くのは、人との関わり合いの中でです。思いどおりにはならないほかの人の思いとぶつかったとき、自分の思いがどちらに向こうとしているのかがわかる。あっちにぶつかりこっちで抵抗されと、小さい挫折の積み重なりの中で、自分という流れが次第にはっきりしてきて、またどういう環境が一番気持ちよく流れていられるかがわかってきます。そんな中でこそ、支え合い励まし合うことのできる友人や、独力では見通せない流れの先を示してくれる先輩とも出会えるでしょう。

温泉につかっているかのようにただ心地よいというのと、何かが気持ちよく流れているのとは、重なる部分もあるのですが、違います。温泉ではわだかまりがほぐれてゆったり広がる感じで、「生きかえる」といったところでしょうか。しかしゆったりくつろいだ先は、たとえ露天風呂でも限られた広がりの中、あえて言うならばまだよどんでいます。異質なもの、わたしではないもの、他、との出会いがありません。自分さがしが「一番心地よくしていられるところ」さがしになってしまうと、最悪ぬるま湯の温泉に行き着くかもしれない。

対して気持ちよく流れたときには、大げさに言えば「生れ直し」ます。

うちの寺には、まだ薪を焚いて炊事をするかまどがあります。もう寺の行事で使うこともなくなり、年末に家族で新年のお供え用の餅つきをするときに使うだけです。餅つきも臼と杵でなどではなくて、今では家庭用の餅つき器です。餅米を蒸すのにかまどを使います。

一年使わずにいると、最初は燃えません。煙突が抜けてくれないのです。一度は煙突の天辺に鳥が巣をかけていたこともありました。それは特別なことですが、そうでなくても古い空気がヘドロのように詰まっているみたいで、どこかよどんで気持ちよく流れない。しかし火吹竹でフーフーやったり煙突をつついたりしているうちに、「あ、抜けた」となるときがあって、あとは大丈夫です。古いよどみが解消されて、今年の新しい流れが生れます。

自分とは生れたときから(?)ずっと変らず続いているようなものではなくて、ましてや最初から完成しているものなどではなくて、わだかまりよどんでは生れ直し、またしばらくよどんで力を蓄えてから一回り大きく生れ直しというように、青虫が脱皮を繰り返していくように育っていくものなのでしょう。一般的には、三歳頃、小学校四年生前後、中学校二年生、そして思春期の終る二十歳過ぎあたりが脱皮の季節のようです。それ以後は人による。十年ごとくらいに生れ直す人もいれば、大人になったらそれっきりという人もいます。

脱皮を迎えるには、失敗をため込まなくてはなりません。失敗して窮屈になって、それでも流れずにはいられない力が溜まる。あるとことろでそれまでの殻を破って新しい世界へと吹き出す。若い間はそういう出来事であるはずです。だから、イヤな思いを避けていたり失敗するのを逃げてばかりいると、脱皮のための力がたまりません。極端に言ってしまえば、失敗しないと成長できないのです。

むつかしいことを言っているのではなくて、いのちとはそういうものです。あたまの勝手ばかりで考えるのではなくて自分のいのちに耳を傾ければ、よどみ溜まって堰を越え、またよどみ溜まってはせせらぎになりと流れずにはいられないものに気づかされるはずです。

真正のいのちのおしえ、親鸞聖人の仏教で言えば、自分さがしは親さがしです。親とは生みの親の意味ではなくて、わたしを支え意味づけてくださるはたらき、真宗的に言えば阿弥陀仏のことです。自分は自分だけでは自分になれない。わたしではあり得ない他と出会い破れ開かれたところに、すがたを現すいのちの流れがわたしです。だからわたしは穴なのです。

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