ーー〈私〉のすがたーー

by 山寺のおしょう

HOME   住職の部屋   new

今公開している断片は、項目のタイトル、全体の中における位置、そして内容に至るまで、すべて未確定です。(逆に言うと、ある程度あてにできるのは章のタイトルだけです。) とにかくいろんな思いを吐き出し、少しずつ落ち着くべきところへ落ち着けていこうと考えております。その点は悪しからずご了承ください。


はじめに

第一章 きりとられた生

第二章 つながりのなかの個

第三章 閉じられない孤

おわりに


はじめに

●小さな歓び

ものを考えるに当たって、そもそものはじめに、何を据えればよのか――それがようやく、おぼろげながら感じ取れるようになってきました。

それを仮に、「小さな歓び」と呼んでおきましょう。

静かに燃えるろうそくがフッと揺れて、〈揺れ・た〉と意識に上るより先に元の静けさに戻ったとき、そこに現れる深い静けさ。なかったはずのところに、知らない間に芽を出していた小さなスギゴケ。あるいは、微分・積分におけるΔx

十分に小さいがゆえに、背景のひろがりの大きさを隠さないような小ささであり、そこに何かが姿を現すからこその歓びです。

それは無垢で突然の、置き換えようのない「質感」であって、現れるものというよりは、与えられるものです。主観(〈私〉の私秘性)と客観(公共性ないし普遍性)が未分化な状態であり、逆に言えば、私と世界が出会い統合されている姿でもあります。

この「小さな歓び」の実質的な質感を捨象し、思考上の指針ないし枠組みとして取り出したものを、「穴」と呼ぶことにします。

穴は、必ず変化・運動、あるいは行為に即して与えられるのですが、変化や行為を「還元」して得られるものではなくて、むしろ変化や行為の源、まさに〈いのち〉が湧き出しているところです。

穴が、〈私〉のすがただった。それをこれから、穴の構造、穴を出入りするもの、出入りに伴う質感、……、などなど、いろいろな角度から、味わってみようと思います。

●山寺のおしょう

著者名が「山寺のおしょう」となっているのは、結構まじめに考えてのことです。意図は、有國智光という私「個人」ではなく、ネット上の「山寺」という場所でのいろんな思いの交錯、また「おしょう」というハンドル名であちこち(といっても数箇所)出没しているという出来事を、そのまま人格化できないだろうかといったあたりにあります。

私個人は、実はかなり古いタイプの人間だと思っているのですが、それが触媒となって新しい時代の息吹を写しとることもあり得なくはなかろう。もっとも、新しければよいなどとはこれっぽっちも考えていません。ただ、現実として、すでに新しい時代が動き始めているという感覚はリアルにあり、それに振り回されると同時に実は新しい時代を生み出しつつもある自分自身のすがたを、見つめることができたらと願っています。


第一章  きりとられた生

この章のテーマは「生物個体」です。モノと生き物は、どのように連なり、どのように異なっているのか。生き物もモノである以上、モノとしての振る舞いに逆らうことはできません。と同時に、生き物にはモノに還元し尽せない独特な「質感」があります。

ひとつ視点をずらすと、人間も生き物であり、知的な活動といえども生物体として妥当な範囲内に根拠を持っていなくては変でしょう。そのような意味で、続く章の土台の吟味もしてみたいと思っています。

○ (モノ)

●「ある」ということ

私は、渦というイメージが好きです。

お風呂に入っていて少しぬるくて追い焚きをすると(ただし、ここでは給湯器で沸かすタイプの風呂のことを考えています)、湧き出し口から熱めの湯が出てきて、ゼリーかなにか粘っこいもののように、そこに滞っていきます。うちの風呂では足先の左側になり、左足の小指だけが熱くなります。このとき、右手を広げてゆっくり――水が「重く」感じられるくらいの速さで――前に押してやると、風呂の大きさと波長が合ったところで、フッと風呂全体の水が一つに動き始め、熱い湯の塊の滞りがほどけて、もわーっと暖かさがおしりから背中へと広がってくる。あの感じです。

あるいは、昔ゴム動力の飛行機を作ったとき、ゴムを巻いていくと、だらんと垂れ下がっていたゴムひもにプクンとねじれのコブができて、コブが増えるにしたがってゴムひもの遊びが減り、全体が一本のコブのひもになって、それからさらに巻き足すと、コブひもにまたゴクッと大きなコブができる。ベルクソンにエラン・ヴィタール(生の飛躍)、エラン・ダムール(愛の飛躍)という用語があるのですが、この élan (飛躍、躍動)という言葉に接したとき、私はゴムひものコブを思いました。

渦は、波とも親戚です。

昔、どこだったはよく覚えていないのですが、ダムの湖水の水をずっと眺めていたことがあります。川上からダムの堰堤へと進む波、ダムにぶつかってはね返ってくる波、向こう岸からこちらへと斜めに進んでくる波、それがこちらの岸ではね返ってそれていく波、水面にのぞいている棒杭のまわりにできる丸い波、それに湖水全体の大きなうねりと水面のさざなみを加えて、七つの波が区別できました。そして、全体では静かなダムの湖水でした。

物理学では微積分が不可欠で、ビセキとなると三角関数と指数関数が主役です。文系人間にはしきいが高い代物なのですが、具体的・技術的な計算のことをばっさり省いてしまうならば、三角関数も指数関数も、要は持続し変化する現象を記述するための道具です。このとき、持続とは実は変化の反対ではなくて、むしろ周期的な変化のことを指します。三角関数は内容から言えば円関数です。

私たちが素朴に「ある」と思っているものは、おそらくすべて、周期的な変化のすがたを見ているのでしょう。まったく変化しないものは、少なくとも物質的にはあり得ませんし、一過的な変化で繰り返すことのないものは、だれにも気付かれることなく消え去っていく。もう少し正確に言うならば、変化というにも、最低限の持続が含まれていなければ変化にすらなり得ないだろうということです。ひょっとしたら全宇宙の歴史は一回だけで繰り返されることのない大きな変化なのかもしれませんが、その内実は数え切れないほどたくさんの持続、あるいは周期的な変化です。

私は、あると言いえるものはみんな、何らかの形の渦(波)だろうと思っています。面白いことは、物質的な意味での実体がないところにも、渦はできることです。電磁波は真空中でも伝わっていくのですが、そのからくりは、電場の「変化」が磁場を生み、磁場の「変化」が電場を生みと、二つの「(周期的な)変化」が絡まりあって、ほとんど「右足が落ちる前に左足を上げて、左足が落ちる前に右足を上げれば、空が飛べる」ようなかっこうで、何もないところを飛んでいくのです。

 

●内と外

コンピュータのプログラミング言語の一つに、Lisp (リスプ) というものがあります。

私はプログラミングは嫌いではなく、もうプログラムを書いて遊んでいる暇がなくなった今でも、ひとつだけは Visual Basic というプログラミングソフトをコンピュータに残しています。BASIC (ベーシック) のほかにも FORTRAN (フォートラン)CPascal (パスカル) などいろんな言語で遊んだことがあるのですが、Lisp だけはその頃には結局よくわかりませんでした。

BASIC C などの言語が、やりたいことを (十分に細かく分解した上で) 順番に命令していけばよい 「手続き型」 の言語であるのに対し、Lisp は 「関数型」 と呼ばれます。ひとまとまりの処理をまとめて関数とし、プログラムの本体から呼び出すというのは手続き型の言語でも日常的に使う技術ですから、関数そのものに抵抗があったのではありません。今になって思えば、書いているプログラムの 「本体」 自体がひとつの関数だということがまったく理解できていなかったのでした。

どういうことかと言うと、関数を、基本的にはいつも 「外」 から見ていて、その 「内側」 で考えるということが思いつけもしなかったのです。

Lisp の中でも特にわけがわからなかったのが、ラムダ式と呼ばれるものです。具体的に紹介すると、たとえばある自然数の 「次の数」 を求めるという関数のラムダ式は

(lambda (n) (+1 n))  ……@

となります。内部的な変数を仮に n として、n に 1 を足す (+1 は組み込みの関数です) ということを表しています。

どうということはない、「当たり前」 のことをしているように思えるのですが……この関数には名前がないのです!

名前がありませんから、「外」 から呼び出して使うことはできません。実際、Lisp では現実にプログラムを書く場面でラムダ式を使うことはあまりないそうで、ふつうは外から呼び出せるように関数を定義する defundefine function の略) を使って

(defun next-n (n) (+1 n))  ……A

のようにします。なお、ここで next-n はこの関数に 「勝手に」 つけた名前です。

私自身 Lisp で実際にプログラムを作ったことはないので、どのような場面でラムダ式を使うと生きるのか具体的なことはわからないのですが、今興味をひかれているのは、ラムダ式が、「透明な内部をもつ」 ことです。

「透明な」 というのは、ラムダ式が自分のまわりに特別な構造をつくらないことを指します。たとえば、内部的な変数のない

(lambda () (+1 x))  ……B

は、このラムダ式が置かれている一番近い環境での変数 x を参照します。ですから

(defun next-n (x) ((lambda () (+1 x)))  ……C

next-n の内部変数 x を参照してそれに 1 を加えるので、Aとまったく同じ働きをします。しかし通常の 「名前のある」 関数では、自分の外側はすべて公(おおやけ) になります。もし

(defun next-x () (+1 x))  ……D

として next-x という関数を定義し、これを使って

(defun next-n (x) (next-x (x)))  ……E

としても、next-x からは next-n の内部変数 x は見えず、「どこからでも見える」 公の変数 x を参照してしまいますから、思ったとおりの動作はしてくれません。

「内部をもつ」 ことは、表向き通常の関数と同じで、@を使って内部変数に数値の 100 を渡した

((lambda (n) (+1 n)) 100)  ……F

の結果は、Aで定義した next-n に 100 を渡した

(next-n 100)  ……G

と同じで 101 になります。数学的に書けば、

f (x) = x + 1  のとき   f (100) = 101

ということです。

しかし、ラムダ式の 「内部」 にははっきりした輪郭がありません。Lisp のラムダ式は論理学でのラムダ・カルキュラス (λ 論理) を応用したものですが、ラムダ・カルキュラスによれば、(Cのように) 「外のある」 ラムダ式も、λ 抽象という操作を繰り返すことで、外を内部化して 「閉じた」 λ 式にすることができます。そして、究極的にはあるプログラムの全体を、ひとつの (広い意味での) λ 式と見ることができるのです。

 

●一つと寄せ集め

私が得度 (正式な 「僧侶」 の資格の取得) をした際、それを記念して寺で梵鐘 (釣り鐘) を再鋳しました。

昔は長久寺にもいい音のする梵鐘があったとのことですが、戦時中の金属供出で、武器に作り変えられてしまいました。(その頃に住職であったら、いったいどのような対応ができたろうかと思います。) 以後、私が子どもの頃には、寺に鐘はありませんでした。

鐘楼 (鐘つき堂) まではまかなえなかったので、本堂の縁側の角に釣ってあります。柱を付け足して補強し、そこにチェーン・ブロック (滑車を組み合わせて重いものを持ち上げる装置。チェーンをガラガラと手で引っ張ると、少しずつ真ん中のフックが上がっていく) で吊り上げたのですが、そのとき、(鐘の上の方にたくさんついている親指くらいの太さのいぼいぼ) にワイヤをかけたのに驚きました。

すぐに折れてしまって、とても鐘の重さを支えられるようには見えなかったのです。

その顔を見て、鋳造くださった業者さんが、後で溶接したものならともかく、最初から一つに作った鋳物だから、このくらいで取れたりすることはないと説明してくださいました。そんなものなのかぁと思うと同時に、目の前の鐘が、いろんな部品をくっつけて形になっているのではない複雑な形の隅々までが一つのものとして、とたんに一回りも二回りも大きく充実したものに見え始めました。

一度そう見えると、最初は弱くて小さないぼいぼ程度にしか感じられなかったが、鐘の本体としっかりつながった、というよりも文字通り鐘そのものが 「出っ張った」 部分として、そこにワイヤをかけて何の心配もないと信頼できるようになりました。

 

末の子が、バルサ (カッターで切ることができるくらいに柔らかく軽い木材) を使った工作をするようになりました。私も小〜中学生の頃はバルサ模型を作るのが大好きで、1mm、2mm、3mm、5mm、1cm と各種の厚さの材料をそろえ、最近のように刃先を折れば常に切れ味のよいカッターなどありませんでしたから、壊れた柱時計のぜんまいでそのためのカッターまで自作して、いろんな模型を作ったものです。

最初に方眼紙を使って設計図を描き、それをもとに作業をするとよいことは教えてやって、すぐに要領を飲み込みました。それはよかったのですが、木目の向きまではまだ感じ取れていないようです。どう力がかかる部品なのかに合わせて木目の縦・横を考えなくてはならないのに、今はそれには無頓着です。

最初は、部品取りが優先でした。余った板から、縦横関係なく部品を切り出そうとする。そうこうするうち、次第に切りやすさに合わせるようになってきました。縦 (木目に沿った方向) には簡単に切れますが、横に切ろうと思うと何度もカッターを当てなくてはならず、慣れないうちは定規がずれて、どうしても切り口がぼろぼろになってしまいます。それを嫌って、「長い方」 を縦にもってくることが多くなった。実際にはほとんどの場合それで木目の向きと必要な強度が合うのですが、穴のある部品では、そうならないこともあります。

しかしこういうことは、教えてやってどうのこうのということではないのでしょう。私自身も、最初から知っていたのではなくて、たくさんいろんなものを作るうちに、失敗から学んできたのだろうと思います。そう思って、気がついても何も言わずに見ています。

 

壊れそうに思えて、実は一つであって簡単には別々にならないもの。一つのようでありながら、ある向きにはばらばらのものの寄せ集めに近いもの。外から見てわかるものばかりではありません。むしろ、経験と知識が重なる中で、そのように見る目が養われていくのでしょう。もっと言うならば、見るということ自体が、どこを別々にとらえ何を一つに扱うかという、切れ目の入れ方の問題なのだろうと思います。

その 「切れ目」 そのものが、最初からあるのかどうなのかは、別の問題です。

 

●(膜)

●(エネルギー)

●(量子論)

○ (生き物)

●細胞

●(消化管)

●(性と死)

○ (生き物もどき)

●(資本)

●(情報)


第二章  つながりの中の個

「人間」はいったいどのような生物なのか。ぎりぎりまで枝葉を落としてしまうならば、それがこの章のテーマです。

漠然と、人間を社会的な存在とみなしています。ただ、社会や共同体を与えられたものとは考えず、人間という生物種が存続していく上で、進化論的な戦略が共同体という形をとったといった方向で考えています。

そして、言語活動をはじめ人間のいわゆる「知的」な活動も、その中でとらえてみたいと考えています。

○ (人間)

●幼さと可能性

世の中全体が、幼くなっているように感じます。

「親」 という言葉の語源は、「老ゆ」 だそうです。サケが産卵のために川をさかのぼってくるとき、もう自分の身体が傷ついても、治りません。持てるすべての生命力を子孫の繁栄に向けて、自分のことは一切省みない。すさまじいまでの親の姿です。

そこから振り返るならば、幼いとは、親になろうとせず、「自分自身の」 可能性を追い求めることに忙しい生き様と言えるでしょう。「自己実現」 という幻想に振り回されて、生れたときから抱え込んでいる自らの業、そしてその業が語らんとしているものがあまりにも隠されてしまっている。いずれ死んでゆかねばならぬ私自身の生は、いったい何のためであるのか。それを自己実現などという狭い枠に閉じ込めてしまっていいのだろうか。

そもそも、ヒトは裸のサルです。チンパンジーの赤ん坊と人間の赤ん坊はよく似ていますが、それが (チンパンジーとしての) 親にならず、子どものままの姿で成体に育ったのがヒトです。生物学ではこれをネオテニー (幼形成熟) と言います。ヒトがチンパンジーのネオテニーであるように、犬は狼のネオテニーです。

進化上、ネオテニーという戦略をとった生物が淘汰されずに繁栄している以上、デメリットを補えるだけのメリットがあったはずです。デメリットは、端的に言って成体の個体としての弱さでしょう。文字通り、ひとり立ちすることを放棄したのですから。それを埋め合わせているのが、単なる 「群れ」 を超えた個体の集合です。それを 「人間」 ととらえましょう。ここで人間は個人でも生物種でもなく、ある 「境界」 の意味です。

群れを作ることで個々の個体の弱さをカバーしている動物は、魚から四足獣まで、たくさんいます。数で勝負の群れではない 「人間」 を特徴付けるものを、ここでは雑に 「可能性」 と見ることにします。可能性とは、本能的に作り込まれた反射行動では対応できないものへの、潜在的な対応行動全般を指します。

そうすると、むしろ話を逆にした方が論点がとらえやすくなるかもしれません。「人間」 においてはじめて、可能性なるものが実体化された。人間境界の実体は「可能性」である――。

今、感覚として感じられる 「幼さ」 度が高まっているとすれば、人間境界そのものが、脱皮の前のヘビのように、新たな局面にさしかかっているということではないか。私にはそう思えるのです。

注意しておく必要のあるのは、人間境界の実体としての 「可能性」 なるものは、個人に還元され 「自己実現」 といったものとつながってくるものではまったくないことです。今、いろいろなことがわかりにくくなっている理由の一つは、「可能性」 の位置づけを間違えて、あまりにも大きく個人に引きつけているからかも知れません。

仏教の歴史の中で、やや強引な語彙を使えば、自ら強くなりくひとり立ちしていこうという姿勢から、弱さを認めそこへ還っていくという方向が選ばれたときがありました。人間の弱さ、不完全さを認めたところに、より広く共感する地平が拓かれました。

人間に 「なる」 ということは、常に 「より弱く」 という志向を、必然的に孕んでいる。

「弱く」 なるというのは、もちろん逆説的な表現です。やみくもに弱くなっただけでは、先細りで持続し得ません。弱くなり 「得る」 ところには、弱さが何らかの形で強さに転化される機構が機能しています。

単なるモノが生命体へと飛躍したとき、ある 「弱さ」 が獲得されました。生命は、一面において、はかなくもろい。しかしその半面で、自己を複製し増殖するというしたたかな強靭さを手にしたのです。

ヒトという生物種が成立したとき、次なる弱さが獲得されました。個々の個体を強力にすることによってではなく、知性という宙に浮いた特質を種において実体化し、それによって生物種同士の競合の中で戦略的なニッチ (生態的地位) を創出して、そこで爆発的に増殖しました。

しかし今、私たちは自らの拠って立つ 「弱さ」 を見失っています。弱きがゆえの強さを、いつの間にか絶対的な強さと誤解し、弱さをたたえ、その弱さを強さへと転化する機構に謙虚に恭順する作法を忘れつつあります。

ところがそのような中、弱さそのものはさらなる展開を志向しています。人間は、どこまでも弱くなるべく、生れついている。

キリスト教の言葉で 「原罪」 というとき、それは人間が弱く生きることを選んだことに必然的に添う、根源的な無力さと、そして同時に全宇宙に対する負い目=責任感を表していたはずです。私が 「弱さ」 において手にしている可能性とは、けっして 「個人」 に回収されるべきものではなく、本来全宇宙の孕む可能性であるはずです。

それを、思い出さなくてはならない。あるいは、ひょっとしたら、今人類が直面している新たな局面において、新たな作法を創出しなくてはならないのかもしれない。

幼さの意味を、真剣に問うべきときです。

 

 

●(言語)

●はね返ってこない言葉

私にとって原体験と呼びえるものは、多く、父との関係の中で出会いました。言葉というものに対する私のある種独特なスタンスも、父のことを抜きに考えることはできません。

思い返してみると――あまりすすんで思い返したいことでもないのですが――小学生の頃の私は、かわいくない子どもだったろうなあという気がします。いわゆる「運動神経」がよくないどころかほとんど「ない」口で、身体を動かすのはどんくさいし、一方でやたら理屈っぽかったはずですし。その頃の写真を見ると、怒ったような顔をして、やや左寄りに顔を伏せ、カメラの方を斜め下からにらみ上げるようなものばかりです。逆まつげがあって強い光が目にまぶしかったせいではあるのですが、自分ながら、あまり気持ちのよい表情ではありません。

小学校高学年頃だったと思います、何だか突然、真理って何? 絶対ってどういうこと? といったようなことを、畳み掛けるように父に聞き始めたことがあります。

それまでも、仏教のことなど、いろんなことをよく父に聞いていました。父は自分の方からそんなに話す人ではありませんでしたが、聞いたことにはいつも丁寧に答えてくれていた覚えがあります。夕食の時には「ご飯」を食べず、おかずだけを肴に晩酌をするのが日課で、仏教に関する質問は、一口でもお酒を飲んでいるときには答えてくれませんでした。いわく、「酔って話せることじゃぁないからね」。

ところが、真理って何? といった質問には、しらふのときにも答えてくれませんでした。実際にどんなやり取りがあったのかは記憶にないのですが、今の私に残っている印象では、遠くを見つめるような目をして、ただ何も言わなかったような絵になっています。

これは、子どもにはつらかった。

言葉って決して変わらない内容を持ったものなどではなくて、コウモリが飛ぶときに出している超音波のように、人に当たってはね返ってくることで自分がどこにいるのかわかる、レーダーのような働きをしているものだろうと私は思っています。ですから言葉が返ってこないと――自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。あのときの身が細るような心細さは、今になっても忘れられません。

しかし時間がたつと……人間、どんな状況にも住み着けるものです。やがて――といっても 10 年近くかかりましたが――私は閉じない、ということは具体的・固定的な内容を持たない、言葉でも考えられるようになっていました。

絶対という言葉が恐ろしくて使えなかった時期を経て、二十歳を過ぎた頃だったでしょうか、ゲーテの『ファウスト――悲劇第一部』に次の表現を見つけ、要するにそういうことだったのかとようやく安心したものです。

ことばをさがして見つからず、

そこで五感を研ぎすまし、思いをつくして世界の果てまでも探ね求め、

そのあげく、あらゆる最上級のことばを摑みとって、

おれの身を焼くこの熱情の火を、

無限だ、不滅だ、永遠だといったとしても、

それが悪魔流のことばのもてあそびか、たぶらかしか。

(手塚富雄訳、中公文庫 p.223)

正直に言えば、当時はおそらく熱情で言葉の担保が取れると考えたのだろうと思います。しかしそれでは半面しかつかんでいません。実際には言葉の「内容」は、(熱情も含めた)行為を通じて裏打ちされているのだと、今は納得しています。

○ (知性)

●(インターフェイス)

●(本能)

●(アイデンティティ)

●(論理)

○ (存在)

●(クオリア)

●(恥)


第三章  閉じられない孤

モノにも生物にも共同体にも回収されない〈私〉の側面――それを考えてみたいのがこの章です。宗教は人間が生み出したものなのだろうか。あるいは霊性などといったものはあるのかないのか、あるとするならばどのような形で実在するのか。

どこに軸足を置くかがむつかしい問いなのですが、うやむやにするのではなくまた天下り的に「ある」と断定してしまうのでなく、自分の内に、問いかけてみようと思います。

○ (普遍・無限)

なつかしい無限

私は子供の頃、身内では「とも坊」と呼ばれていました。

父は住職であると同時に布教使でした。布教使とは他の浄土真宗寺院での法座に講師として出講し、法話をしてご法礼をいただくという活動に従事する者の名称であり、またそのための専門トレーニングを受けているという資格名でもあります。

私の生まれ育った寺は文字通りの山寺で、とても通常の寺院活動による収入だけでは生活していけず、布教という形で収入を得ていたのです。もっとも、生活は主に小学校の先生をしていた母の収入に依っており、父はいただいたご法礼の多くを寺のお荘厳(建物の整備・管理や、仏具の購入)に充てていましたから、生活のためにと言ったらうそで、父の天分そのままだったように思います。

ただ、布教といってもこちらから一方的に押しかける訳にはいかず、出講の依頼に応じてという格好になりますから、若い頃は暇にしていました。その時間、山の手入れをしたり畑仕事をしたりというのが日常でした。一方母は小学校に勤めていましたので、私はもっぱら「お父さんっ子」だったのです。

畑仕事をする父のそばに日がな一日くっついて、芽を出した大根のまびきをする父を手伝うつもりで一本残さず引いてしまったり、急な斜面でころがり落ちてしまわないよう腰縄でつながれてマツタケを採りに行ったりして過ごしていました。畑仕事をしている父とは、とにかくよく「お話」をしました。さるかに合戦などのおとぎ話を、「かにさん、かにさん、そのおにぎり、この柿の種と代えっこしない?」「いいですよ、いいですよ」といった調子で、二人で掛け合いで進めていくのです。おさるさんになると、最後にウスさんに「ドスーン」と落ちてこられて、「あ痛たた、あ痛たた、降参です、もうしません」と謝らなくてはなくてはいけないのですが、話の初めにはそれがわからず、場面が近づいてきてから気付いて、途中で止める訳にもいかず、泣き出してしまっていたのを思い出します。二つか三つかくらいの子を相手に、筋を教え、せりふを覚えて掛け合いができるまでといったら、父はどのくらい気長に繰り返していたのだろうと泣き笑いしたくなってしまいます。

そんなある日、もっと大きくなっていた頃だろうと思いますが、父がふと草を引く手を休めて、

「とも坊、宇宙は無限なんよ。じゃからね、どこをとってもそこが宇宙の真ん中なんよ。」

何だかよくわからないままに――自分のまわりの景色が急にいきいきと語りだし、それから私に向かってきゅうっと引き締まってきて――自分自身がいとおしくてたまらないような、ものすごくなつかしい気持ちがしたのを、今でもはっきりと覚えています。

思えば、あのとき、私の中で何かが決定的にひっくり返りました。それ以後、無限やそれを連想させるたくさんの言葉は、私にとって第一義的には暖かいものと感じられるのです。

 

●静けさ

寺の庭で草引きをしていると、別世界に迷い込んだような感覚になることがあります。

周囲に、生活音がほとんどありません。川をはさんだ向かいの山腹を中国自動車道が走っており、まったく人工の音がしないという訳ではないのですが、とにかく人の気配が薄いのです。かと言って 「人里はなれた」 という心細さや緊張感(あるいは開放感)のようなものもなく、現に人が暮らしている家であって、さらには小規模ながらもときには人の集う公共の場でもあります。かつ、本堂にはご本尊がおいでになる、「聖なる空間」 であることも事実です。

そんな場所で直接には生産活動と関わらない庭の手入れをしていると、日常の生活においてはほとんど当たり前のように身に添っている遠近感が、まったくといってよいくらい役に立たなくなるのです。

風がそよぎ、池に注ぐ水の音が単調に続き、鳥が鳴き、お日様が動いていく。それに同期して、ひとり黙々と、手を動かす。

去年、草むらのつもりで草を取っていたらなんとスギゴケが絶えずにいて、草がなくなってしまったあとにまばらな無精ひげのような貧相なスギゴケだけが残っているところでは、これまで山のように落ちていた雑草の種が次から次から芽を出します。指が大きすぎてつまみにくいくらいの小さな芽を、ときにはドライバーの先に人差し指を添えてはさんでとっていきます。そんな折、うまく引き抜けたときの 「手応え」 がズンと響いて、地球が震えたように感じられるときがある。

つつじの間で薮をつくっていた萩はみんな引いてのけたつもりなのですが、まだ根が残っていて、しぶとく芽を吹いてきます。思わぬ親玉を見つけ、ドライバーで土をほじって株の急所を突き止めて、足場を定めてペンチでつまんでウンと引っ張ると、両手で握っているペンチの柄が指に食い込み、背中の筋肉が張って、これは引き抜くのをあきらめようか食い下がろうかと思案し、うまくいけば断念する前に、「いけた!」 という感触があって、ずる、ずるずるずると、ごぼうのような根が引きずり出せます。思わず、その根が自分のはらわたのように見えるときがある。

スギゴケがスギゴケらしく密生しているところでも、間に、名前がわからず子どもたちとはヒョロヒョロゴケと呼んでいるのですが、ふんわりと柔らかそうで一つ一つはひょろ長いコケが生えます。これをほおっておくとやがてスギゴケを包み込んで、ふわふわした絨毯のようになってしまいます。そうならないようドライバーでほとんど一本一本スギゴケをかき分けながらヒョロヒョロゴケを見つけ出してはとっていくのですが、同じ姿勢で屈みこんでいるので腰にきます。やれやれ一息入れて腰を伸ばそうとスギゴケの間から目を離すと、気付かない間に日が移ろって日差しの色が変っていて、瞬間季節が変ってしまったくらいの時間が経ったように思えるときがある。

いずれにしても、静かです。そして、孤独です。

ただ、私にはものすごく貴重な時間です。いろんな行事が重なりばたばたした日が続くと、無性に草引きがしたくなることがあります。あの静けさに浸って、深く呼吸がしたい――

おそらく、この静けさに 「耐える」 には、何らかの能力なり素養なりが必要です。だれにでもできるとは、ましてやだれもがこのような経験をするべきであるなどとは、考えません。私は、環境そのほかの縁に恵まれ、しかし同時にたくさんの犠牲と引き換えに、この静けさに触れています。私個人の安逸のためにではなく、ふつうの人がしないあるいはできないのであるならば、ある大きなバランスを保つために、だれかが触れ続けておかなくてはならない静けさとの接点に私自身が立とう。

直接には私の個性というか持って生まれた好みを通じて、しかしだれにでも通ずる 「人間」 というものの抱え込んでいる多くの 「必然」 の一つの表れと感じながら、静けさの中に身を置き、そこで見えるものを伝えたいと思います。

私は、たとえば都会の洗練を、否定しません。私個人は苦手で、その中でいろんなものを見つけ感じ取り表現する術を持ちませんが、何より人間が実際に生み出しそこで 「も」 生きている具体的な姿として、現代の都会での生活を、必然と感じます。ただ、それのみがすべてではなく、人間はそこのみで 生きている訳ではない。

スギゴケというと湿った場所に生えているようで、実は意外に乾燥には強く、むしろ水はけの悪いところでは腐ってしまいます。最初に移植されたものは水をやらなければ乾燥して根づかずに枯れてしまいますが、その地で増えたものは、火をつければ燃えそうなくらいに茶色になっていても、一雨あるとサッと緑に戻ります。水遣りなどは要りません。今のスギゴケの庭そのものはそんなに古くなく、父の代、私が二十台の頃に作ったものす。私が子どもの頃はもっと広く、ただ中央に木が生えているだけの広っぱで、昔にはこの庭で盆踊りをしていたこともあるそうです。私も自転車に乗る練習をこの庭でしました。今は建物の廊下を応接間に広げたこともあって狭くなり、庭の全体には玉砂利が敷いてあります。スギゴケの庭は新しくても、寺は四百年の上同じ場所にあり、十数代にわたる人々がこの庭を踏んできました。今生えているスギゴケにしても、いったい何代目のものなのか。私が手を掛けるようになって以降、増えて拡がっているところもあります。

静けさに飲み込まれると、「個人」 の大きさが消えてしまって、歴史 (日常) の積み重ねや、圧倒的に大きな宇宙と、逆にそこにまで拡がっていこうとする意識が、わずかな風の動きや、ふとした自分自身のしぐさの中に饒舌に語り出す。それが、私の 「我」 が隠れたとき、聞えてくるいのちの声だろうと思います。

 

●(論理)

○ (必然)

●全肯定

まだ大学生だった頃、日本をご訪問中だったバラモン教 (ヒンズー教) の高僧にお会いしたことがあります。

バラモン教というのも懐が深いと言うかとらえどころがないと言うか、その方も身分上は 「バラモン」 でありながら、実際に従事なさっておいでなのは仏教で、ご自身を 「仏教徒」 と名乗っていらっしゃいました。

当時、私は 「仏教の根本真理」 は何だろうというようなことを考えていました。本気で洗礼を受けることを考えたくらいに強烈なキリスト教体験があってそれほど間のない頃で、キリスト教の、神による 「無からの創造」 という厳然とした事実が内面化されてしまうと、縁起の法だとか空だとかでは役不足で、まったく感動できなくなったのです。ならば仏教全般が物足らなくなったかというとそうでもなくて、「無からの創造」 というとんでもない教えを突きつけられてなお、自分の内に静かに残っている、あるいは確かにこの私を支えてくださってある、「仏教」 が感じられていました。それが何とも不可解で、いったい仏教とは何なんだ? とでもいった問いに行き詰まっていたのです。

モーセ神にいひけるは我イスラエルの子孫の所にゆきて汝らの先祖等の神我をなんぢらに遣はしたまふと言んに彼等もし其名は何と我に言はば何とかれらに言べきや 神モーセにいひたまひけるは我は有て在る者なり又いひたまひけるは汝かくイスラエルの子孫にいふべし我有といふ者我をなんぢらに遣はしたまふと (『出エジプト記』3・13-14、強調筆者)

この、旧約聖書の言葉の持つインパクト――あるいは甚大な破壊力――に拮抗しえるものが、仏教のうちにも、確かにある。真如や法性法身でさえ、語感的に、何か足らない。それは何なんだ!? そのくらい、尖がった問いを振りかざしていました。

そんな中でお出会いしたバラモンの高僧は、静かに、「私はこれまで仏教を信じて努力を続けてまいりました。日本も仏教国とうかがっております。是非、日本の方々とも力を合わせ、仏教をひろめていきたいと思っております」 とおっしゃる。

インド哲学を学んでいる学生の定期的な勉強会の場に、その方が飛び込んでいらっしゃったような格好でした。大学院生の内部的な研究発表が終ったところに、突然黄色い法衣をまとった高僧が現れて、ごいっしょの通訳の先生が、「お急ぎでなければ少しお時間がいただけないでしょうか」 といった内容のことをご案内になって、急ぎの用事もなかったのでそのまま座っていると、本当に簡単に上のようなお話があって、いきなり質疑応答のような流れになりました。

私は、「仏教を信じて」 とおっしゃった言葉にひっかかった。

先輩院生の質問の合間を縫って、「今 『仏教を信じて』 とおっしゃいましたが、いったい仏教の何を信じていらっしゃるのですか」 と質問しました。もう昔のことで正確には覚えていないのですが、期待していた方向とずれていたことだけは確かな、簡単な返答がいただけました。一旦座りなおして反芻し、先ほどのお言葉はこのように理解してよいのでしょうか、という風に、あらためて質問しなおしました。また、私が欲しがっていた方向とは微妙にずれる返答が帰ってくる。

そうこうするうちに他の人の質問も出尽くしたようで、しまいにはいちいち座りなおすのも面倒で立ったまま、いただいたご返事を反芻しては問い返し、となりました。途中、通訳の先生が悲鳴をあげて、先ほどからのやりとりで、「言葉」 はちゃんと翻訳しているけれども、何が語られているのか私にはわからない、内容については責任を問わないでくれ、と言葉をはさまれました。しかし実際、間に通訳の方がいらしたということ自体が、その場面を除けばほとんど記憶に残っていません。

問い、返答をいただき、さらに問い、……と続けていた最後、それまで座っていらした高僧が立ち上がられ、私に対して合掌なさって、こうお答えくださいました。

「本当によいことをお尋ねくださいました。精一杯、お答えさせていただきましょう。私は、釈尊がお出ましになったのと同じ、この素晴らしい世界に生れさせていただいたことを信じて、努力を続けてまいりました」

言葉を、失いました。私は、仏教の内の何が真正に正しくて、何が頼るに足らないか、と問いを立てていた。そうではない。仏教とは、釈尊がお出ましになったということであり、その同じ世界に私が生れさせていただいているということであった。

否定すべきものは何もない。釈尊がお出ましであったこの娑婆世界は、無意味ではない。私は、そこに生きているのです。

 

●(確率)

●(宗教の本能)

○ (個別)

●(願 参照:小さな歓び)

●(回心)

●(他力)


おわりに