転倒 (9月2日)

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目玉が 「ここ」 についている以上、私たちのものの見方はどうあがいてもひっくり返っています。

ひっくり返っている者が、ああ自分はひっくり返っておるわいと気付くことができるのは、真実の光のおかげです。


 (9月5日)

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善いことをするときには、よほど気をつけないと、自を滅ぼし他を滅ぼし、多くの害毒を流すことになります。


不確定性 (9月14日)

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生きるとは、常に不確定性のただ中で今を選び生み出していくことです。いえ、一切の背景が不確定性であることこそ、いのちの一番の秘密なのでしょう。


彼岸花 (9月20日)

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昨年も同じ頃に彼岸花に触れました。今年もまた例年通り、彼岸花が盛りです。

この一年で、亡くなった方がある。生れてきた方がある。同じ彼岸花を見て、私の思いが同じではない。私も一つ、歳を取りました。

しかし、私の思いを離れて、彼岸花は毎年、無心に赤い花を咲かせることです。ただ、いのちの確かさに信頼して。


 (9月27日)

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「信じる」というのは、本当ならばつらく、苦しいことです。自分のすべてを投げ出して、そこに賭けるようなものですから。

しかし浄土真宗で言う信は、条件でも出発点でもなく、「結果」です。ふと気がつかされてみると、万事何があろうと「心配ない」のだった。そうだったのかと得心できたところが信であり、ですからわざわざ信楽(しんぎょう)と言うのです。