カエル (6月3日)

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夜になると、近くの田んぼでカエルの声がにぎやかです。

ゲコゲコゲコゲコ、帰れ還れと歌っています。

帰去来(いざいなん)、魔郷には停(とど)まるべからず。ご本願に、還りましょう。


 (6月7日)

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子供がキャンプに参加し、山を越えた隣町の「少年自然の家」まで送って行きました。

新しい施設で、私も行くのは初めてです。行きは時間に遅れるといけないので、案内に従い、慣れた道をたどりました。高速道路を一区間利用します。帰りは時間に制約がありませんから、節約を兼ねて、これまで通ったことのない、山の中を抜ける県道を通ってみました。

隣町とは言え、こちらは東へ向かう錦川(にしきがわ)の源流、むこうは西寄りに南に下る佐波川(さばがわ)の上流、県境を越えるくらいの隔たりがあります。道沿い、思いがけない新鮮な景色が楽しめました。

こんなところにこんな道があったのか。

釈尊が、そして親鸞聖人が開いてくださった確かな道に、新たな感慨を抱いたことでした。


生苦 (6月11日)

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仏教は、生苦から始まります。

私たちは「苦」の中へ生れてきたのです。そこから目をそむけている限り、仏教とは無縁です。苦が救いへと転ぜられるご恩も、味わえないことになります。


いのち (6月15日)

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最近、ひらかなの 〈いのち〉 という表現が増えてきたように思います。私も好きで、よく使います。

このときの 〈いのち〉 は単数形です。全宇宙に遍満する、唯一の 〈いのち〉 です。

その 〈いのち〉 の一端を担って、具体的な姿をとったのがこの私の「生」です。そう思って眺め返してみると、上の「生苦」も味わいが少し変りました。

生は、単に苦しいのではないのでした。宇宙の亀裂とでもいうべき、とんでもない出来事なのでした。


 (6月19日)

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愚(ぐ)とは、自分を捨てた姿です。

とはいえ、いとしいこの自分、そんなに簡単に捨てられるものではありません。「なるほど、そうであったか!」 とうなずける大きな力に触れたとき、私が捨てるのではない、その大きな力に掬(すく)い取られて、小賢しい自分の殻が破られるのです。

愚とは、足元をいつも大きな力に支えられている、確かな姿です。


 (6月23日)

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梅の実を捥(も)がないといけません。

例年、気をつけていないと梅は採る時機を逃します。今年も、梅干用ならばもう少し熟れてもいいのですが、梅酒にするには少し遅れてしまいました。

果物というとついつい秋を思ってしまうからでしょうか。色や大きさが目立たないせいでしょうか。梅は、気がついたら実になっています。その上どうしてもこの時期は雨が多く、タイミングよく採れたためしがありません。

毎年 「あ、梅」 と思い出すとき、何か大切なものを忘れていたような、どことない申し訳なさを感じます。


 (6月27日)

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昼の後には夜が来ます。

南極や北極の白夜でない限り、夜は必ず来ます。(白夜のあるところも、それと同じだけ、一日中夜の日があります。)

夜は、迷妄の時間ではありません。昼の間の活動でたまったさまざまな穢れを、そっと宇宙へ還す、感謝と懺悔(さんげ)の時間です。

私たちの生活から、夜がなくなりつつあるのかもしれません。